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住民の合意を形成する~公共交通の無料ゾーン政策見直しの事例から~

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調査期間:2011年7月30日(土)~8月7日(日)
文責:週末学校事務局 稲垣亜希子

無料ゾーンは必要?

ポートランドは公共交通網が張り巡らされていることで有名である。TRIMET(「トライメット」)と言う公的機関が運営する、主としてバス、ライトレール(軽量軌道:LRT)とストリートカー(路面電車)が市内だけでなく、近隣市にまで伸びて、身近な市民の足となっている。特にダウンタウン地区など市の中心部では、乗車料金が無料であることもポートランドの特徴の一つと言える。市民だけでなく、ポートランドを訪れる旅行者たちも恩恵に授かっている。もちろん私たちも研修期間中、有意義に活用させていただいた。

trimet(max).jpg この無料ゾーンは、もともとは1970年代に大気汚染対策で誕生したものであった。今でこそ全米一の環境先進都市と呼ばれるポートランドも、当時は高速道路が無秩序に市内を貫き、ひどい渋滞と大気汚染に悩む、アメリカの普通の都市だった。1975年、ポートランドは、企業や商店が集中するダウンタウン地区を無料ゾーンとすることで、市民が乗用車の利用を控え、代わりに公共交通を利用することになるだろうと考え、無料ゾーン政策を正式に採用した。以降、ダウンタウン地区の駐車場の数の限定、地域の都市成長目標の設定などの関連政策が策定されてきた。
これら長年の取り組みが功を奏し、現在は大気汚染問題は解消し、さらにダウンタウン地域の活性化に成功するという副次的効果も得た。

無料ゾーン導入のそもそもの目的が達成されたいま、TRIMETは当初から悩まされてきた別の問題、「ただ乗り」による料金収入の圧迫に取り組むことになった。TRIMETの収益の大半が、税で賄われているのが現実なのである。
これまでも何度か、無料ゾーンの見直しが議論されてきたが、そのたびに市民の強い反対にあってきた。その経験からTRIMETは、時間をかけて、市民と根気強く話し合うことの大切さを十分に理解していた。
無料ゾーン政策の見直しにあたり、TRIMETが経た合意形成プロセスについて、Communications&Technology部門のExecutive Directorであるキャロライン・ヤング(Caroline Young)氏に聞いた。

様々なステイクホルダーの合意を得るための愚直なまでの努力

trimet(young).JPG TRIMETが初めに行ったことはステイクホルダーの分析だった。関連自治体に加えて、無料ゾーンの近隣住民、ダウンタウン地区の企業や商店、観光関係者、ポートランド州立大学などを重要なステイクホルダーと特定し、それぞれに対して聞き取り調査を行ったところ、住民はもちろんのこと、大規模な会議やイベントが開催されるコンベンションセンターが無料ゾーンの存在を非常に利点としていることが分かった。なぜならば、コンベンションセンター周辺には宿泊施設がなく、ダウンタウン地区から少し離れた地域にあるため、センター利用者は宿泊施設が集中するダウンタウン地区から公共交通機関を利用する必要がある。さらに、市の中心部に位置するポートランド州立大学もまた、多くの学生が通学に公共交通機関を利用しており、無料ゾーンの存在を重視していた。

そこでTRIMETは、ダウンタウン地区の企業や商店を中心とした諮問委員会を作り、彼らと議論を重ねた。同時にTRIMETは、無料ゾーンを撤廃した場合の料金プラン、見込まれる乗車率、運賃収入予測など、多岐に亘る調査をコンサルティング会社に依頼した。
諮問委員会やコンサルティング会社などの第三者の意見を取り入れたことが、新しい政策の信頼性を高めることになった。

当初TRIMETは、すべての無料ゾーンを撤廃することを計画していた。しかしステイクホルダーたちとの話合いを重ねることで、無料ゾーンが特に旅行者やコンベンションセンターの利用者にとっては欠かすことのできないものと判断し、無賃乗車が最も多いと目されていたバスの無料ゾーンのみを撤廃する、と言う方針に軌道修正することとした。これでいくつかのステイクホルダーの反対は消えた。

改めて上記変更案をもって市民との議論を開始したところ、今度は年配者や身体障害者を中心に、日常の買い物に支障が生じるとの意見が多く聞かれるようになった。TRIMETはこれを非常に切実な訴えであると捉え、無料ゾーンに住む65歳以上の市民と身体障害者にはバスのフリーパスを提供すると言う、更なる軌道修正を行った。こうして、無料ゾーンを見直す政策に対するほとんどの反対意見は消えたのだった。2010年1月、遂に新しい無料ゾーンが誕生した。実に2年をかけての政策変更であった。

「市民の合意が得られなければ、政策変更はなかった」

最後に、ヤング氏は次のように述べた。
「ポートランドで最も大切なことは、利害関係者のみならず、その問題に関心がある人全員に対して、自分たちがしようとしていることを『すべて』、『丁寧に』説明すること、そして『時間をかけて』人々と議論をすること。そうすることで全員にとっての良い政策が生まれるのです。」

実際、市民の合意を得るためにTRIMETは、各関係者と様々な手段を利用して議論したという。例えばダウンタウン地区の3つのネイバーフッドアソシエーション(ネイバーフッドアソシエーションについては別レポート参照)の定例会にたびたび足を運んで話し合いを重ねた。当然のことながらホームページには頻繁に進捗情報を掲載し、メーリングリストの登録者には定期的に情報を発信した。TRIMET職員が実際にバスやライトレールに乗りこみ、乗客との意見交換を行ったこともあった。最終段階においては二度の公聴会を行い、役員が直接市民の声に耳を傾けた。
その徹底度合いに感心させられたが、様々なステイクホルダーの合意を得ることは時間がかかり、職員の労力も大きいが、その分市民の満足度の高い政策が生まれるのだと感じた。

ヤング氏の発言で最も印象に残ったのは、「(政策変更に2年もかかったわけだが、)もし最終的に市民の合意が得られなかったら、TRIMETはどういう判断を下したのだろうか」と言う問いに対する、「合意が得られなかったら、政策変更はしなかった」との回答だった。まさに「市民がまちをつくっている」ことが感じられた一言だったように思う。

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住民自治の現場~ネイバーフッド・アソシエーションの事例から~
研修生レポート① 「公(Public)という庭の志高き庭師を目指して」
研修生レポート② 「ネイバーフッド・アソシエーションに見た彼らの豊かさ」
研修生レポート③「ポートランドが生み出す住民主体のまちづくり」
「公共を担うのは誰なのか~ポートランドを訪れ、日本の自治を考える」 冨田清行(東京財団 政策研究事業ディレクター兼研究員)