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地域で支える教育

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講師:小倉滋朗(平塚市中学校区サポートチームシステム サポート連絡会)、幸地正憲(LLC都市教育研究所所長)
講義日:2012年6月2日(土)
文責:週末学校事務局 冨澤太郎

本講義の目的

近年、いじめや不登校、暴力行為、問題行動さらには被虐待など、子どもを取り巻く様々な課題が社会的な問題として取り上げられ、その原因として、子どもや家庭の抱える課題が多様化・複雑化してきたことがあげられる。しかし、課題の根源を考えると、必ずしも子どもや家庭だけの問題ではなく、子どもの成長を支える学校や地域のあり方について、いま一度考える必要があるということが見えてくる。
行政が一律で公平に・平等に教育の機会を提供するだけでなく、子どもや地域によって、様々な指導方法やカリキュラムがあってよいのではないかという考えのもと、学校や行政ばかりに頼るのではなく、地域で子どもの教育を支える取り組みが始まっている。既存の教育システムにおいて学習することが困難な子どもたちを排除するのではなく、そうした子どもを支えていくことが地域にとって重要な「公益」だという考えにもとづいた地域主体の取り組みだ。

本講義では2つの事例を取り上げる。1つ目は、非行に走り問題を起こす子どもを減らすために、地域が一体となって青少年支援に取り組んでいる神奈川県平塚市の事例だ。地域でクリーニング屋を営む側ら、青少年支援に取り組んできた小倉滋朗氏にお話を聞く。2つ目は、東京都八王子市で学校や行政と連携し、不登校の生徒に独自の教育カリキュラムを提供している取り組みだ。元教員であり、退職後に民間組織を立ち上げ、不登校の問題解決のために取り組んできた幸地正憲氏にお話を聞く。この2つの事例を通じて、地域の豊かな人間関係が支える「地域の教育」について学ぶとともに、公共を担う地域のこれからや「民」のあり方について考える機会としたい。

講義

●地域の子どもを自分の子どものように育てる―小倉滋朗(平塚市中学校区サポートチームシステム サポート連絡会)
神奈川県平塚市において、非行に走り、暴力行為など様々な問題を起こす子どもを支援するボランティアとして活動している。平塚市の特徴は、学校と地域住民が密に連絡を取り合い、学校だけでは対応できない問題を抱える子どもを地域住民がサポートしていることだ。
いじめ、不登校、暴力行為などをはじめ、子どもの教育を取り巻く問題は、ニュースでも大きく取り上げられている。もはや小中学校だけでは対応できないのは一目瞭然だろう。多くの自治体において、警察から委嘱された地域住民が「少年補導員」として行政や学校と連携をして青少年支援に従事している。私も先輩の誘いがきっかけで少年補導員として活動してきた。長年にわたる活動を通じて、地域に暮らす様々な人たちからより多くの協力を得ることで、問題を起こす子どもをもっとサポートできるのではないかと考えるようになった。
そこで、10年ほど前に、問題を起こす子どもを地域全体で支える仕組みづくりに取り組んだ。平塚市には15の中学校区があり、中学校1校に対して少年指導員が2~3名が担当することで、学校と密に連絡をとる体制が作られていた。そこに、もっと地域の人に参加してもらえないかと考え、学校の先生、少年補導員に加えて、様々な地域住民で構成される「サポート委員会」という委員会を中学校区ごとに設置した。同委員会では、問題を起こしそうな子どもに対する個別サポートの実施の可否や具体的な個別支援策などについて協議する。この取り組みの結果、地域住民が地域の子どもを支援することにより深く関われるようになり、地域と学校の連携もよりよくなった。
現在、私は地元の中学校のサポート委員の活動に加え、各サポート委員会の委員長を中心に構成される平塚市全体の「サポート連絡会」のメンバーとして、各委員会の情報交換や事例分析、対応方法に関する研修を実施するなどと、地域住民と学校をはじめとする関係機関による連携の充実にも努めている。

児童・生徒指導担当の先生と話をすると、様々な問題が明らかになる。子どもたちをどうにかして助けたいという先生や地域住民と一緒になって問題の解決に取り組んできた。
具体的な事例をお話したい。私が住んでいる中学校区でのことだ。
ある日、小学校の校長先生から「5年生で気になる子がいるんだ」という話が私にあった。
「学校に来ない。夜、公園にいたり、スーパーにいたり、最近はエレベーターに火をつけたりと、問題が大きくなり始めている。学校の先生が心配して声をかけるものの、すぐに逃げてしまう。ほとほと手を尽くしたが、まともに話ができない・・・」という。
そこで前述の「サポート委員会」で話し合い、個別にサポートすることになった。個別にサポートするにあたっては、近所の焼鳥屋のおじさん、民生委員2名、町内会長、農協職員の5名にも関わってもらった。この子が更なる問題を起こす前に何をするべきか。自分たちに何ができるだろうかとみんなで話し合った。
先生が家庭訪問を繰り返したが、親が見つからなくて困っているとのことだった。そこで、まずは父子家庭なので父親を見つけて話をすることにした。でもどうしたら父親が見つけられるだろうと困ってしまった。すると、農協職員が「わかった!その子の家の周りで犬の散歩をしよう。いつか必ず見つかるだろう」と言った。実際に朝晩に犬の散歩をしていくと、1週間ほどで父親らしき人の姿を見ることができた。
父親はトラックをアパートの近所に停めて、こそこそと早歩きで家に帰ってきた。トラックに書いてある文字を見ると、市内にある運送会社であることが分かった。
そこで、町内会長と私が、その運送会社の社長さんに話をしに行った。子どもが学校に通っていないのでしっかり面倒を見るように言ってほしいと話をした。すると運送会社の社長さんが詳しい事情を話してくれ、その父親は経済的に厳しい状況のもとに生活をしているため、子供の面倒を見る余裕がないことを教えてくれた。
社長さんから父親に小学校の校長先生と会ってほしいと伝えてもらい。後日、校長先生と私で父親を訪ねた。まずは子どもを学校に行かせるように父親に言った。子どもの教育は親の義務。ネグレクトは児童虐待。警察に捕まってもおかしくない行為だと半ば脅しかけるように説得をした。

しかし、なかなか子どもは学校にこない。困っていたところ、一人が言った。「そうだ、給食でつろう!」と言った。どうせしっかりとご飯を食べていないのだから、学校に給食を食べに行きなさいと声をかけた。2週間~3週間ほど声をかけ続けて、やっと学校に給食を食べに来るようになった。これがきっかけとなり、この子どもは地域のおじさん、おばさんに支えられながら学校に通い、小学校を卒業することができた。
喜びもつかの間、新たな問題が生じた。中学校に進学すると給食が無くなる。これまで食事ができるからと声をかけてきたので、どうしようということになった。個別サポートチームのメンバーが集まって相談をした。中学校に入ったらまた不登校になってしまうのではと懸念していたところ、民生委員の方が「私がお弁当を作るよ」と言ってくれた。子ども5人を育てた方で、いまでも旦那さんのお弁当を作っているので、一つ増えたところで何ということはないと快く引き受けてくれたのだ。
その子は毎朝、学校に行く前に、その民生委員さんの家にお弁当を取りに行った。民生委員の方には、その時に必ず声をかけるようにしてもらった。そうすることで子どもの様子が見えるからだ。風邪を引いていないか、気になる行動はないかなどと、異変はないかを見るようにしてもらった。
部活にも取り組み中学校に通うことはできたが、学校の勉強にあまりついていけなかった。そこで、中学2年生の夏から職業訓練という意味も含めて、時々、焼鳥屋のおじさんと一緒に焼鳥を焼くことをした。
このように地域の方々が、問題を起こし始めていた子どもを自分の子どものように面倒をみた。そして、地域の人の支えがあったことで、この子どもは非行の道に走らず、無事に中学を卒業して就職することができたのだ。その後、諸事情のため市外に引っ越したので、今はやりとりがない。でもきっとどこかで立派な大人になって元気にやっているだろうと私は信じている。

私たちも努力しているが、平塚市にはまだまだこのような子どもたちはたくさんいる。地域の人たちが、地域の子どもを自分の子どものように育てる。まずは中学校の卒業まで、地域の人が成長を見届ける。まるで父親や母親のように振舞う。そうやってたくさんの子どもが救われているという自負を持って、みんなで頑張ってきた。自分もその一人として引き続き頑張っていきたい。

●不登校の子どもが自分で考えて、自分で決める。そして、自分のことを堂々と話せるようになる―幸地正憲(LLC都市教育研究所所長)
東京都八王子市において長年にわたり中学校の教員をしてきた。昭和60年ごろから中学生の不登校問題の顕在化や、いわゆる学校での「保健室登校」が大きな問題となりはじめた。保健室や校長室で不登校児を抱えて、個別に対応することで対処をしてきたが、本来はそうした子どもの受け皿となる場があるべきではないかと考えた。また、学校に行けなくなった子どもを無理矢理に学校に戻すのではなく、新しい雰囲気の中で学習できる環境が必要だと考えていた。
八王子市では、これらの問題解決の一方策として、不登校生徒へ専門的に対応する『教室』の必要性に迫られ、昭和62年度に「相談学級」を開設した。教員の配置根拠としては「情緒障害学級」を準拠する方策で開設に漕ぎつけた。「情緒障害学級」を根拠としての開設であるが、就学検討委員会で判断するのではなく独自の設置要綱に基づいた入退級検討委員会を設置し入級判定を行うものとした。
その後、不登校になった生徒の受け皿としては、これまで様々な取り組みが実施されてきた。①学校内で不登校の生徒が過ごせる場として「心の教室」の設置、②個別のニーズに対応するための「適応指導教室」(家に閉じこもっていた子どもが外に出られるようにするための施設)、③日本初の「教育特区」を活用した学校(いわゆる“不登校のための学校”の設置)などだ。しかし、仲間との交流を深め協調することや社会性を育て情緒の安定を図り、在籍校に再び登校できるようにする点では、決して十分なものだとは言えない。
現在の「相談学級」は後発の「適応指導教室」もあり、教科学習を重視した方式の「八王子クラッセ・アッレバーレ」を展開している。

「八王子クラッセ・アッレバーレ」について具体的にお話したい。
生徒は、「通級」という制度のもとに、在籍校に席を置きながら通っている。公立学校では学習指導要領にもとづいて、週あたり30時間の学習時間を設けて、学習する各教科の時間数が決められている。しかし、八王子クラッセ・アッレバーレでは教科学習の遅れを取り戻したくて通って来ている生徒の為に、指導要領の拘束から離れて、週35時間の時間割を設けている。
「通級」では、原則、週2回、8時間以内、所属学級以外の学級である「通級」に通うことが認められている。しかし、このような制約のもとでは不登校の子どもが継続的に学ぶ環境として十分とは言えないため、「八王子クラッセ・アッレバーレ」では在籍校に籍を置いたままでも、毎日「通級」に登校できるようにした。その結果、約6割の生徒が月曜日の朝から金曜日の最後の授業までの全ての時間割に来ている。
「八王子クラッセ・アッレバーレ」の特徴は、生徒自身が学習計画を立てて時間割を決めることだ。自分の所属学校のカウンセラーに通っているなど、全ての授業を受けない場合もあるため、大学の履修のように自らが翌週の時間割を作成して提出することになっている。ここで大事なことは見栄を張らないこと、無理をしないことだ。出来ないことを無理してやっても、結局通えないことになってしまう。自分のいまの気力、体力などを客観的に見て、自分の時間割を組むように指導している。たとえ週1時間でも、自分にとっては100%だというならば、それを認めることが大事だ。そのうえで、どうしたら少しずつ通う時間を増やせるかを自分で考えるように指導している。
また、「八王子クラッセ・アッレバーレ」のカリキュラムの一環として、各地域の様々な職層の方に自分の仕事について話をしてもらう機会をつくってきた。教育学習だけでなく、社会の一員としての自覚を持たせたいという考えから始めた取り組みだ。お話いただく方には、不登校の生徒達が置かれている状況を理解いただき、「一日も早く大きな集団の中で頑張りたいと思えるようにしたい」という我々の思いを共有したうえでお話いただいている。
最終的な目標は、不登校の子どもが、自分がどのようないじめにあったのか、これからどのようにしていきたいのかを大勢の人の前で話せるようになることだ。自分のことを人前で話せる生徒は卒業後も不登校にはならず、高等学校に通うことができている。すべての子どもが人前で話せるようにはならないが、少しでも多くの子どもが自分のことを話せるようになることを目指している。毎年3月に「卒業演奏会」という演奏会を行っている。その場で、卒業生が自分のことについて話す機会をつくった。自分の過去やこれからについて大勢の人の前で堂々と話をして、立派に卒業していく生徒の姿を見ることが、教員にとっての最大の喜びであることを改め感じた瞬間であった。

※講義の後半は、パネルディスカッション形式で意見交換が行われた。

Q.それぞれの取り組みを始めたきっかけは何か?どのような思いで始めたのか?
小倉:少年補導員をやっていた先輩に連れられて始めたのがきっかけだ。最初は非行に走り問題を抱える子どもを支えるなんて、正直自分にはできないと思っていた。しかし、たった1年で非行に走った子どもが見た目も様変わりして「無事に卒業できました」と笑顔で報告に来る姿を見て驚いた。子どもはこんなにも変わるものかと感動した。一人の人間が変わるということに興味を抱き、面白いと思うようになった。
前述の取り組みを始めるにあたっては、「警察官みたいな人は学校にはいらない」という少年補導員に対する学校の先生の反発の声があった。しかし、情熱あふれる先輩達が苦労してきたことで、少年補導員をはじめとする地域の様々な方が関わる形となった。先輩達があきらめずに継続してきたということがあって、いまの取り組みがあると感じている。

幸地:世間一般に「優秀」とされる人たちが教員になったが、体力的にも精神的にも子どもに対応できない教員が多くいる時期があった。そして、教員が切磋琢磨し、お互いを高めあう場や機会が減ってしまった。「このままではまずい」という、これからの教育現場に対する危機感を抱き、東京都や八王子市の教育をどうにかしたいと思うようになった。
また、予備校や塾に通う子どもが増え、教育産業が一つの大きなマーケットとなり、金があれば良い教育が受けられる時代になった。しかし、その結果、お金がないと良い教育が受けられないという、経済格差が教育の差につながるという新たな問題が生じている。すべての子どもが平等に教育の機会が与えられるべきではないかという問題意識のもと、そもそも学校とは何をする場所なのだろうかを考えた。学校は学力のみならず、人間性を高める場であり、それを教えることが教員に求められているのだと私は考える。不登校の生徒を支援するだけでなく、教員の育成を支援していくことも非常に重要なことだ。

Q.行政にお願いしたいこと、考えてほしいことは何か?
小倉:非行や不登校の原因は、必ずしも子どもだけにあるのではない。親や家族が何かしらの問題を抱えている場合が多くある。また、学校における人間関係の中に問題がある場合もある。自分でもいろいろと勉強をしているが、なかなか対応策が見出せないで苦労している。やはりこれは行政の責任、学校の責任、親の責任ではなく、みんなのこととしてみんなで知恵を出し合って取り組まなくてはならないと考えている。
まずは自分が何かできないかと考えてほしい。行政として、●●市として、●●課としての考えや答えは聞きたくない。とりあえず、まずは自分の頭を空っぽにして、一個人として●●さんの意見や考えを聞きたい。皆さんの地域の住民もそう感じているものだと思う。

幸地:熱心な教員ほど「不登校」の子どもをどうにかしようと一生懸命やるが、逆にそれが「不登校」の子どもにとっては、プレッシャーとなってしまっている。よって、行政や学校、教員の問題にしていても事の解決にはならない。何よりも大事なことは、子どもが自分でできることを自分でやってみる機会や場をつくることだ。現在は、「官(公務員・教員)」という立場ではないが、「民」の立場で学校、教員、子どもを支えたいという人たちとともに楽しく活動している。
私が活動を取り組み始めた20年前よりも不登校の子どもに対する理解が広がり、学校以外の場での学習を認めることが広がってきている。少しではあるかもしれないが、私たちのような民間組織の取り組みが不登校という問題の解決につながっていると感じている。
皆さんに一番お願いしたいのは、レッテルを貼らないということだ。「ADHD(注意欠陥・多動性障害)だから仕方がない」と安易に決め付けていないだろうか。人間は簡単に分別できないし、されるべきものではない。こうした意識の変化から私達の社会、世の中は変わっていくのだと思う。

Q.うまく行かないこともたくさんあると思うが、どんな時にやっていてよかったと感じるか?
幸地:やはり人と人の関わりあいを感じるとやっていてよかったと思う。大人と10代の子どもが年齢を超えて、一つの感情を交えるということに生きがいを感じる。自分の夢を追い求めていたが、うまく行かずに、どこかで仕事もしなくてはという安易な気持ちで教員になったが、結果として、それぞれの生き様をぶつけ合える学校という場に関われたことに、そして私を支えてくれた多くの方々に感謝している。

小倉:様々な課題を抱える家庭に育った子どもと関わるのは簡単なことではない。悪いことをしたら会う大人は教師と警察官しかいないが、私たちの様な地域の人たちと話すことが大事だ。大した話ではなく、当たり前の話、人生の話をする。そうやって話をしていくと子どもは段々とまともになっていくのが分かる。子どもが著しく変わっていく様、成長を見るたびに感動する。
また、子どもたちは大人との対話を求めていると思う。学校の先生は忙しい。担当の生徒30数名全員と個々に話をすることは無理だろう。だから、私のような地域のおじさんがいろいろな子どもと接して話をすることが大切だと強く感じている。

研修生の声&所感

誰もが学校に通い成長をしてきたため、決して他人事ではなく、当事者として話を聞くことができた。また子どもと関わる研修生も多く、自分の地域における教育と地域のあり方について考えさせられることとなった。
研修生の声は以下のとおり。
 「教育の問題は、学校・教員の問題と思っていたが、地域のクリーニング屋さんや焼鳥屋さんが地域の教育を支えていると思うと、何もしていないで批判している自分が恥ずかしいと思った。」
 「問題を抱える子どもが地域に出て、いろいろな人と話をすることで成長していく様を感じることができた。地域社会は大きな包容力で人を育てる力を持っているということ、地域で子どもを見守るということが当たり前に行われていることに感動した。」
 「子どもの手助けをするものの、『対話をすること』、『自分で考えてやらせる』というのは、市民参加や自治につながるものを感じた。」
 「『人は人によってつくられる。人は変われる』という言葉に勇気付けられた。」

地域に暮らす普通の人たちが集まり、それぞれが地域の子どものために汗をかくことが、地域の力となるのだろう。何も特別なことは必要ない。人と人とのつながりを大切にして、信頼関係を構築すること、そして根気強く続けることが大事だと感じられた。
また、行政が公の全てを担うことはできない。既存の行政制度や仕組みで支援できない子どもたちを民間が支援しているという事例にも見えるが、本来は地域が自分たちで子どもたちの成長を支え、見守ることが大切なのであろう。公に関わることを行政に丸投げして、行政を批判するのではなく、地域の力で豊かな社会をつくるために自分に何ができるのか改めて考えさせられる講義であった。