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「住民自治」と「公を担う民」

講師:福嶋浩彦(東京財団上席研究員、消費者庁長官、前我孫子市長)※肩書きは当時
講義日:2011年5月21日(土)
文責:週末学校事務局 坂野裕子

fukushima2011.1.JPG 「住民自治」を担保する枠組みはある。住民は、選挙で首長を選び執行を行わせ、議員を選び決定を行わせている。加えて直接首長や地方議員の解職や条例の制定を請求する権利も持っている。それにも関らず「住民自治」が実現できていないならば、制度以外のところに問題があるのだろう。まずは、行政職員が本質をどこまで理解しているかにかかっている。いままで、自分なりの「住民自治」の理解に基づいた行動をしてきただろうか。
また「住民自治」を踏まえれば、“公”のあり方を決め、それを担うのは誰なのか。あなたが日々取り組んでいることは、本当に住民の意思に基づいているのか。行政職員であるあなたがやらなければならないのか。
千葉県我孫子市長を3期12年務めた福嶋浩彦氏は、こうした問題意識から我孫子市で数々の実践を行ってきた。福嶋氏は、「官民連携」を単なるコストカットとしてではなく市民と行政の関係を再構築するという視点から先駆的な取り組みを行った。その根本にある考え方を、自分自身の問題として考えるところから始める。

講義

●地方分権を阻んでいるのは地方自治体自身
「地方分権が進んでいくので、対応するため自治体は政策立案能力をつけなければならない」、「国が分権を進めるから自治体に対応力が求められる」という話を聞く。それでは発想が逆転している。誰かが分権を進めるから自治の力を付けなければならないというのは大きな誤解。私は、自治体職員がそう言うと「大丈夫、あなたがそう言う限り、分権は進まない」と冗談だが言っている。
分権は「自分の地域をよくしたい、地域の住民の生活をよくしたい、そのためには自分たちで物事を決める必要があるため、分権が必要」と自治体や自治体職員、また地域住民が要求しなければ決して進まない。あなたたちは、自ら決定したいにも関わらず今の仕組みのために、決定できない事業がすぐに頭に浮かぶだろうか。自治体職員が具体的に分権の必要性を感じなければ分権は進まない。
では、自ら決定したいのにできないというのは本当だろうか。強制力のある国からの「通達」は2000年の新地方自治法でなくなった。今、国からの「通知」は、強制力がなく、国がこうしてほしいと考えていることを伝えるものであり、技術的な助言である。そのため「通知」に従う必要はなく、各自治体の異なる判断に何の障害はない。それでも今なお、「通知」を何の疑いもなく強制力のある「通達」として扱い、住民から「別のやり方でやって欲しい」という要望があっても「国からの指示でやりたくてもできない」と説明していたらその人はうそをついていることになる。
かつて総務省が集中改革プランの策定を自治体に求めたことがある。行政改革のとくに人員の削減プランをつくるものだ。全国の自治体で策定しなかったところが2か所あった。今の総務大臣の片山善博さんが知事だった鳥取県と、私が市長をしていた我孫子市だ。国に指示されずとも、独自によりよい計画を立てていたので必要はないと判断したからだ。
本当に自分たちが持っている権限を使っているか今一度考えてほしい。10年前の新地方自治法で獲得した権限を本当に使っているだろうか。分権が進まない理由はいろいろあるが、自治体が自分たちのことを自分たちで決定し、責任を持つという自立の精神を持っていないことが大きな要因である。

●「公共」は全部市民のものであり、政治家や役所は公共をつくるための道具
「新しい公共」という言葉が使われるようになった。「新しい公共」という言葉は今一つつかみにくいものだ。まず「公共」は、「古い」、「新しい」という前に、すべて市民社会の構成員である「市民」の公共以外ありえないということを確認したい。政治家や役所のための公共は存在しない。政府や行政は、市民が自分たちの公共をつくるための道具であり、必要であり役に立つ優秀な道具でなければならないが道具に過ぎないのだ。

新しい公共とは、コミュニティ、市場、政府、市民社会をつくる3つの領域を新しくすること
公共とは大きく言えば社会のことである。そして社会はすべて市民のものだ。では市民社会の構造を詳しく見てみよう。

ペストフ_トライアングル.jpgスウェーデンの学者ペストフが示した三角形の図表を利用する。市民社会を構成する1つは「コミュニティ」、地域である。もうひとつは企業が営利活動をする「市場」だ。企業が営利活動をして、生産をした商品を、私たちが購入をして、生活を成り立たせる。そしてコミュニティの地域活動によっても市場による経済活動によっても提供しにくいサービスは、「政府」が税金を使って提供する。ただ、税金を使う事業の全部を公務員がやる必要はない。コミュニティも市場も担い手となる。
ペストフは三角形に補助線を引き、市場とコミュニティ・政府を営利と非営利で区別した。また、政府と市場・コミュニティは、政府(権力的)と非政府(非権力的)に区別される。また市場・政府とコミュニティは、公式と非公式に分けられる。コミュニティは任意で自発的な活動を言い、公式というのは契約に基づき責任を果たすことである。その補助線に囲まれた真ん中の部分、非営利、非政府で公式であるという部分は、共同組合やNPO法人が担う。ただこの部分は財政的に苦戦しており、どう育てていくか課題もある。

私はこのトライアングル全体を新しくするのが「新しい公共」だと考える。当たり前である市民の公共を「新しい公共」と言うのは、今までの公共が市民の公共になっていなかったからである。
市民社会を新しくするには、コミュニティを強くし、市場と政府を変える。企業は本来の活動で社会的責任を果たし、社会に役に立つ有益なものやサービスの提供で利益を上げる。そのためには、企業自らが変わるとともに、政府は規制や助成で誘導する。ただ最も大事なのは消費者の自主的な選択と主体的な行動によって安全安心な質の高い市場にすることである。
最後に政府(自治体の行政)を住民の意思に基づいて動くように変える。それには分権が必要だ。国の意思で動いていては、住民の意思が反映できないからである。
例えば、道路の建設と学校の耐震化工事、どちらを先に実施するかという判断は、これまで、国の政策、つまり国がどちらの事業に補助金を多く出すかによって自治体が判断してきた。自治体ごとに状況は異なるため、それぞれの判断がまずは必要ではあるが、その次に問題となるのは自治体の決め方である。首長の後援会の影響力などで判断されてはならない。声の大きい市民の意見で決めるようでは市民参加がだめになる。そのため自治体は住民の意思で決める仕組みを持たなければならない。

●国と自治体では住民の意思の反映方法が違うことに気づいているか

fukushima2011.2.JPG 国と自治体は選挙を通して住民の意思を反映させる代議制民主主義の部分は同様でも、住民の意思の反映方法は大きく異なる。国は間接民主主義であり、国民は国政における権力の行使(政府の決定)は、代表者が行い国民は行わない。総理大臣は議員が選ぶが、自治体の長は直接市民が選ぶ。国会議員は一度選ばれたらリコールされないが、自治体の長や議会は、任期の途中で住民が解職することができる。また、国民は法律案をつくることはできないが、住民は、条例案をつくり直接請求ができる。
我孫子市には市民が直接請求をして制定された条例がある。最終決定するのは議会だが、私は最終決定権まで市民が権利を持つ制度設計がさらに必要だと考えている。条例案を出すという意味で、住民は首長と同じ力を持っており、さらには、首長は議会を解散できないが、住民はその権利をも持っている。以上のことから地方自治体は、常に市民の意思に基づいて動くことが求められている存在である。
住民の意思に基づき動くことは、常に住民アンケート調査を実施し、その通りにすることではない。自治体の政治家は国の政治家より住民の合意を作り出し決定する強いリーダーシップが問われていることを指している。国は結果で判断されるが、自治体では、その決定がその時点で住民の意思に沿っていなければならない。例えば「困難な道だけど、乗り越えてこそわが市はよくなる」と訴えても、市民がいやだと言う場合、その信念を貫いていたら住民からリコールされてしまう。なお、自治体の長は1人で独任制の執行機関で、自治体職員はそのスタッフとして執行を担っており、職員も同様に合意を作り出し決める責任を負っていることを忘れてはならない。これらが「市民参加」、「市民参画」と言うもので、決して「市民の考えを聞いてあげよう」というものではない。
市民によるリコールの事例では、最近、千葉県銚子市の市長が市民から解職された。マニフェストで自治体病院を充実させると現職を破ったのに、多額の病院の赤字を市の一般会計から補てんできないと病院を閉じたためだ。また、名古屋市では市議会が解散させられた。ただ、これらの権利は市民が持っており市長は持っていない。名古屋市の場合には市長が主導して解散させたように見えるのはおかしい。
そもそも市長と議会の意思が食い違うことは制度として認められている。私は、我孫子市長時代、12回当初予算案を議会に提出したが、原案通り可決されたことはほとんどなかった。私は議員との水面下の根回しは一切行わず、すべて市民の前で議論を行った。条例案を否決されたこともあったが、客観的に見れば我孫子市議会が機能しているということだ。議会が市長の言いなりにならないことは当然である。また議会は否決や修正をしたらその責任を果たすことも当然求められる。

●市民の意思を反映させる我孫子市の補助金、予算編成の仕組み
私は我孫子市の補助金を3年に1度すべて廃止することにした。廃止した上で補助金が欲しい団体を募集し、応募のあったものを市民の委員会で審査し、その結果に基づいて補助金を出す仕組みにした。我孫子市は人口13万人、一般会計規模は300億円あまりだが、7億円から8億円の補助金があった。目的は既得権益と補助金を切り離すことだ。既得権となっていては新しい人は受け取ることができない。本当に必要なところに補助金が届くために数年に1度補助金のすべてを廃止し見直すことにしたのだ。
また、予算編成過程をすべて公開することにした。最初にやったのは片山総務大臣が知事だった鳥取県だ。市町村で初めて行ったのが我孫子市だ。
ある市で、ある事業の実施を望んでいる市民たちがいて、行政もその事業の必要性を認識していた。市民は、予算案にその事業が盛り込まれるか心配になり、財政課に問い合わせたところ、「今予算案の編成過程中なので答えられない」との返答。そして予算案が決まるという日に再び問い合わせたところ、「検討はしたものの財源が足りなくて盛り込まれなかった」と述べた上で、「もう予算案は決まったので変更できない」と答えた。これでは市民が意見を言う機会がない。
私は各課が出した予算案と、その後の4回の査定の結果もすべて公開することにした。そしてその都度パブリックコメントを実施した。予算編成過程が公開されれば、誰がどの時点でその事業予算を削ったのかがわかる。市民は、自分が要望する事業の優先順位を考えることにつながる。さらに自分の要望する事業が自治体全体のまちづくりの方向と合っているかも確認できる。大事なことは、自分の要望の採択ばかりにこだわるのではなく、プロセスを通じて、市民が関わることで市全体のことまで考えるようにすることだ。

●問題が噴出している現場に入って議論をする
fukushima2011.4.JPG 市民の声を活かす仕組みづくりは1番大事ではない。市民が市の事業に無関心なら仕組みは使われないからだ。私が最も心がけたのは、我孫子市で最も議論が沸騰している問題の現場に行き、住民と向き合い徹底して議論をすることである。市民の一時的な要求が正しいとは限らない。「このような問題は念頭にあるのか」などと私は時にはけんか腰の本気の議論を市民と行ってきた。そういう議論からしか自治体の政治や行政に対する関心は出てこない。
また市民参加を経て物事を決定するが、それでもなお決定事項が市民の意思と食い違うこともあり得る。長や議会をリコールすることもできるが、1つの政策で辞めさせていてはきりがない。そのため、市民が長や議員の意思を変えさせる制度もつくった。常設型の住民投票条例だ。我孫子市の18歳以上の住民(永住外国人も含む)の8分の1が、ある案件について是非を問う住民投票の実施を求めたら必ず住民投票を実施するというものだ。首長や議会に拒否権はない。住民投票の結果を尊重する義務を首長や議会は負う。このような制度を使い市民の意思で動くように政府を変えることが必要である。

●「官」と「民」の下請け関係を対等に変える
コミュニティ、市場、政府そのものを変え、そして最後にこれらの関係性を変える必要性を論じる。
税を使う公共サービスの実施主体を公務員が行う必要はない。NPO団体や企業が行えば質がよくなることはよくある。自治体は、税を使うサービスの実施が役割ではなく、そのサービスを最もよく実施する主体に発注することが役割だ。またその判断は、机上でいくら考えても無意味だ。民間はどの分野にノウハウがあるか役所の中ではわからない。具体的に実際の実施者の見通しを立てて対話を通じて判断しなければならない。
また一番安く実施する主体に発注してはいけない。多くの自治体はコストだけで選んでしまう。費用対効果は考えるべきだが、私はあえて質で決めることが原則だと考える。どの自治体も民間委託、指定管理者を使う場合、コスト削減と質の維持と言うものの、コスト削減が目的だと見えるものばかりになっているのが実態だ。
我孫子市で実施した提案型公共サービス民営化制度は、対話をする、質で決めるということを基本とした。まず我孫子市が実施している1100すべての事業の目的、予算や人件費、プランを公表する。そしてどの事業でもいいので、民間から自分たちならもっとよくできるという事業について提案をしてもらう。提案があったら、外部の専門家とサービスの受け手の市民、行政の3者で判断をして本当に市民の利益になるものであれば民間に移す制度である。私の市長時代には79の提案があり34事業が採用、もしくは条件付き採用となった。
1つの事例に、我孫子市で力を入れていた子育て支援事業のうち保健師が行っていた妊婦とその夫を対象にした出産育児の教室がある。地域の助産師の会から企画運営実行を全部やるとの提案だった。実際、助産師さんたちに任せた方が中身の充実も明らかだった。ただ、子育て支援政策と妊婦対象の政策を切り離してはいけないので、助産師と保健師が連携をすることを条件として助産師に任せることにした。
この制度は行政の都合で外部に発注するのではなく、民間の側からみて力を発揮できるもの、やりたいものの提案を受けきちんと検討して、本当に質がよいなら民間に移す制度だ。これだけで民間と行政の関係性が変わるものではなく、この制度には課題もあるが、民と官の関係性を変える肝になる考えがある。
今までの公共は、市民の意思からかい離した政府が、一方的な決定権をもって公共を仕切り、自分の勝手な都合で民間に下請けに出していたのではないか。この構造を変えずに、民間に下請けに出す量を増やす口実として「新しい公共」や「協働」と言っていなかったか。市民の意思に基づいて動く政府が、民と真摯に対話をし、適切な役割分担と連携で公共を作り出す。そういう公共は誰もが出番を持っている支えあいの公共である。支えあいはもたれあいではなく、みんなが自立し連携し公共をつくる地域社会づくりを目指していかなければならない。

研修生の声

「分権は自治体職員が進めようと思わなければ進まない」という福嶋氏のメッセージに衝撃を受けた研修生も多くいた。講義終了後、研修生からは「何の検証もせず国の通知に従っていた」、「いろんな言い訳をして私の自治体はやるべき仕事をしてこなかったのではないか」という反省の声が多く寄せられた。また、「公共とは誰のもので、行政の存在理由は何なのかは、自分たちが仕事をするすべての土台となり、このことがよくわからないままでは、私の業務は本来の目的を達成することができなかった」とか、「長期的に自分の仕事のやり方が変わってくるだろう」と自分の仕事に対する考え方を根本から見直そうという動きも多くの研修生から出ている。研修生それぞれが、住民と真剣に向き合い自分の頭で今地域に何が必要かの本質を考えていこうという強い意志が研修生の中に現れてきたようだ。

関連レポート

2011年度
・ 「『住民自治』と『公を担う民』」 福嶋浩彦 (動画)
2010年度
・ 「市民の公共をつくる」 福嶋浩彦 (レポート)
・ 「自治体財政の自立」 福嶋浩彦 (レポート)
・ 「自治をつくる」 福嶋浩彦 (レポート)
2009年度
・ 「市民の公共をつくる」 福嶋浩彦 (レポート)
・ 「自治をつくる」 福嶋浩彦 (動画)