2016年度のプログラムが終了しました(更新日:2016年12月21日)

地域の教育力を高める~平塚市の事例~

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講師:小倉俊宏(平塚市立富士見小学校教頭)、小倉滋朗(神奈川県警察署少年指導員)、片倉章博(平塚市議会議員)
講義日:2013年6月1日(土)
文責:福岡県春日市 大原佳端重(2013年度参加者)

本講義の目的

どの地域にも共通する課題に「子育て・教育」がある。子どもたちは地域の未来を担う存在であり、豊かな人間関係を作り、地域に愛着を持って育って欲しいと誰しもが願うことだろう。しかし、現実には学力の低下をはじめ、いじめや不登校、虐待や暴力など、子どもを取り巻く様々な課題が社会的な問題として表面化してきている。その原因として、子どもや家庭の抱える課題が多様化・複雑化してきたことがあげられるが、こうした問題はすべて学校や教育委員会が対処すべきものとされることが多い。しかし、そもそも子育て・教育は学校だけに任せるものなのだろうか。 神奈川県平塚市では、不登校やいじめ、暴力といった学校だけでは対処しきれない問題について、地域に暮らす人たちがその解決に積極的に取り組んでいる。何かしらの制度的根拠がないと動きが取りづらい行政と違い、この地域の人たちの動きはより自由である。例えば、家庭の事情で食事をとれない子どもには彼らが食事を与え、弁当も作って学校に送り出してやる。別の問題を抱える子どもには、また別の対応を考え実践する。そうしたことを地道に続けることで、これまで何人もの子どもたちを救ってきた。 本講義では、平塚市で長年地域住民として地域の青少年育成に携わってきている方々を講師としてお招きする。平塚市のように“地域による教育”が存在する地域と存在しない地域とは何が違うのだろう。何が、彼らの“おせっかい”を引き出してきたのだろうか。平塚市の事例を通じて、公共の担い手とこれからの地域のあり方について考えたい。

講義の内容

●講師の自己紹介

<片倉氏>
 市議会議員ということで今日は来たのではなく、中学校のPTA会長と小学校のPTA会長を経験し、地区社会福祉協議会の副会長を含めて地域活動を主体にしているため、本日出席した。湘南ベルマーレも含むサッカー協会の会長もしている。
<小倉(俊)氏>
 富士見小学校の教頭を5年している。富士見小学校は母校で、15年前に同校で担任を持った経験も児童指導担当の経験もある。ちなみに私は兄になる。
<小倉(慈)氏>
 身分は警察官ではなく、少年警察ボランティアという少年補導員、少年指導員等の活動をして20年になる。平塚署の少年警察ボランティアの会長を5年し、現在は神奈川県内の52の警察署を12ブロックに分けたうちの一つ、小田原・箱根・平塚を含む県西地区の会長をしている。家業はクリーニング屋だが、さきほど挨拶した兄が教師になり継がなかったため、自分がクリーニング店を営んでいる。

●神奈川県平塚市の紹介

<片倉氏>
平塚市は、人口約25万8千人。湘南の西に位置し、東京からJR東海道線の普通電車で約1時間。相模湾に面し、「泳げない海から泳げる海へ」と地域の青年会議所の声掛けで、消波ブロックの設置等の高潮対策工事を神奈川県が実施し、平成14年におよそ35年ぶりに平塚海岸に海水浴場が復活。Jリーグ湘南ベルマーレ(旧;ベルマーレ平塚)が地域にある。毎年、7月に開催する七夕まつりは今年第63回を迎える。

●平塚市サポートシステムについて

<小倉(慈)氏>
平成13年7月に公布された「学校教育法の一部を改正する法律」で小学校及び中学校における出席停止(第26条関係)の要件の明確化が規定されたことを受けて、「問題行動をとる児童生徒のサポートシステムを作って欲しい」と平塚市からの要請を受けて作ったのが平塚市サポートシステム。
平塚市には15中学校28小学校があり、市内の15中学校全ての校区ごとに中学校区サポートチーム委員会を立ち上げ、校区内の問題行動の情報共有を図るとともに、個別の事例について支援方法の検討を行っている。
中学校区サポート委員会のメンバーは、中学校の教員、校区内の小学校の教員、地域の少年補導員や保護司、自治会役員、PTA役員等で構成されているが、団体充て職というよりも「どれだけ地域のために尽力しているか」でメンバーを決めている。委員会の会議内容は守秘義務事項であり、「母子家庭のAさんをどうするのか」等、実名、家族構成等の個人情報を共有しながら、具体的に支援方策を検討している。中学校区サポートシステム委員会の中に問題を抱える児童生徒に対して対応を行う個別サポートチームがあり、各中学校区のサポートシステム委員会の15人のリーダーによる情報交換の場もある。
具体事例としては、父子家庭の父親が借金とりに追われているため、小学校4年生から学校に来なくなった児童がいた。その子は、小学校4年生から中学3年生まで地域の人が弁当を作ったりして支援をした。
1中学校を少年補導員数名が担当し、以前から中学校区の中で関係性があったので、よりよいシステムにつながったのではないかと考えている。
<小倉(俊)氏>
 私は、長年、高学年の担任ばかりを経験し、中学校に多くの児童を送り出してきた。生活指導にも携わっており、最初の教え子は40歳近い。
 サポートシステムが立ち上がったことで、「現場の教師には限界がある。地域の人々の支えやフォローが必要」と実感している。「もし、サポートシステムがなかったら…あの子の人生はどうなったのだろうか」と思うとゾッとする。
<小倉(慈)氏>
【事例1】
 男児が3人いる母子家庭で、母親が睡眠薬とアルコールを摂取し自殺した。発見者は末っ子で当時保育園の年中児。父親が子どもを引き取ったが、父親に収入があるため、児童相談所では対応がとれない。
【事例2】
父親が借金取りに追われる父子家庭。子どもが通学することによって居場所が特定されると困るからと子どもを学校へ通わせない父親。父親が働く会社社長を通じて、子どもを学校へ通わせるように依頼。中学校に入学してもサポートを継続し、母親の愛情に飢えている生徒のことを考えて、担任を女性にし、地域の人が小学4年生から中学3年生まで朝ごはんを食べさせてくれて、中学3年間は弁当を持たせてくれた。
<片倉氏>
 事例2の家庭については、「修学旅行の積立をするお金がない子どもがいるが、どうしようか」と学校長から相談があったので、PTAで話し合い、その生徒の分の修学旅行費をPTAが参加する祭りのバザー収益金等から工面することにした。校長から父親に言うと父親が断るので、修学旅行の3か月前にPTA会長として私が父親のもとに出向き、「PTAが協力しますが、お父さんもできるだけお金を作ってください。」と同じ子どもを持つ親として話をし、理解して貰えた。その後、父親がお金を出したことにしてPTAが旅費を出し、地域のボランティア活動にその子どもを引っ張り出して参加させておき、修学旅行のお小遣いに使うようにとまとめてお金を渡した。
<小倉(俊)氏>
 子ども達を取り巻く環境は大きく変化している。今は、給食で余ったパンも持ち帰ってはいけない決まりがあるが、ルール違反だけれど、私は朝ごはんを食べていない子どもにパンと牛乳をそっと渡すこともある。子どもが発するシグナルに気づいた人がすぐにその場で対応しないと救えないし、変わらない。ルールよりも目の前の子どものことを考えなければ命にかかわることもある。不安要素がある子どもについては、「いつもより来るのが遅かったり、顔が少し変だったらすぐに職員室に寄越して」と担任に伝えている。

―「学校が閉じているな…」と思った時はありますか?
<小倉(慈)氏>
 それなりに学校は動いてくれたと評価している。鍵を内側から開けてくれていた。
<片倉氏>
 学校長によって相当違いがある。私がPTA会長をやった2年後、富士見小学校70周年の年に校長が交代した。PTA主催のふれあいフェスタは、地域団体やボーイスカウト等が模擬店を出店するバザーがメインで、その収益金で学校の備品を購入している。ちょうど市内でインフルエンザが流行した年、中学校のふれあいフェスタが中止になった。中学校のバザーは規模が大きくないので、仕入れ額10万円分の食材を文句を言いあいながらもみんなで楽しく食べた。その後、小学校のふれあいフェスタを校長が中止すると言い出した。ふれあいフェスタの2日前に、PTA会長名で地元団体に対しフェスタ中止のお知らせを出すように言ったため、困ったPTA会長が私に相談をしてきた。小学校のふれあいフェスタは中学校と違って規模が大きく、地域の団体が約100万円分の食材を既に用意している。2日前に突然そのバザーを中止すると言ったら、地域の人間関係はどうなるのかと校長を説得したが、校長は最後までフェスタ中止を主張していた。最終的に子ども不在の地域の大人だけのふれあいフェスタとなってしまった。校長の判断によって違うのではないか。

―学校と地域が連携を始めたきっかけは?
<小倉(俊)氏>
 富士見地区は1小学校1中学校区としてのまとまりがあり、元々、富士見地区青少年健全育成連絡協議会(校区内の幼稚園3園、保育所2か所、各小中学校、高校3校、社会福祉協議会、地域団体で構成)で月1回、意見交換会を開催していて、学校と地域が連携をするベースがあった。
 平塚市では各小学校毎に青少年指導員が主催で「こども大会」を開催する補助金を市が出しており、小学校の体育館に約1000人が集まる。私は教頭として教師たちに「休みだけど出てきなさい」、「地域の人々とつながりを持ちなさい。何かの時に助けてくれるから」と言っている。
<小倉(慈)氏>
 地域に野球チームが2、3チームあって、小学校のグランド使用の奪い合いをするくらい学校施設を以前から地域の人たちが使っていた。学校は地域にとって身近な施設だった。  また、富士見地区青少年健全育成連絡協議会主催で夏休みが始まって最初の土曜日に毎年夏祭りをしており、8年続いている。地元の祭り太鼓グループや高校のチアリーダーも参加する賑やかなイベントで、実行委員会形式で行っている。夏祭りの実行委員会は富士見地区青少年健全育成連絡協議会の会議が終わった後、実行委員だけが残って会議をする。実行委員は30歳代から50歳代が中心。事例1の三兄弟の夏休み期間中の食事が心配だったので、実行委員会のメンバーにこの三兄弟の夏休み中の対応について投げかけ、地域で子ども達の食事の世話をして命をつないだ事例がある。守秘義務の範囲を拡大してしまうことに躊躇はしたが、結果的に成功し地域で子ども達を助けることができた。
<小倉(俊)氏>
 事例1の三兄弟はちょうど母親が自殺してから3年が経ち、高校生、中学2年生、小学校1年生ぐらいだったが、家を訪問しても、家で食事をしている形跡がなく、部屋の中がムッと蒸し暑い状態だった。その時に夏祭りの実行委員会メンバーだった当時のPTA会長がうな丼を持って行ったり、コンビニ弁当を持って行ったりして、なんとか命をつないだ。そして、「乗り越えることができたのは地域のおかげだ」ということを父親にも伝えた。
<片倉氏>
 自己紹介で言ったように、中学校のPTA会長をした後、小学校のPTA会長を務めている時に、地区社会福祉協議会の副会長をすることになった。社会福祉協議会のメンバーの年齢は65~75歳くらいで稀に40.50歳代の人間もお手伝いしていた。その時、「10年後、どうするの?」、「10年後、私たちは80歳。支える側から支えられる側になるのよ。」と言われ副会長を引き受けた。
富士見小学校の創立70周年記念の時に、小倉先生から地域を巻き込んでお金をかけずに周年事業をできないかと依頼され、70周年の時に校庭緑化として校庭の一部に芝生を植えた。また、校庭と校舎の間の階段3段の段差があり、その壁面にひまわりの絵を子どもたちに描かせることにした。保護者に協力を呼びかけ、地区社会福祉協議会に声をかけたら、折鶴で作った大きな絵を額に入れて持って来てくれた。それがきっかけだった。
その翌年から夏祭りを実施することになり、青少年健全育成連絡協議会の各種団体に相談し、実行委員会を作り、小中学校のPTA、地区社会福祉協議会、「ゆめくらぶ湘南平塚(老人クラブ)」、民生委員児童委員連絡協議会、体育振興会、青少年指導員会等の14団体に協力をいただき、富士見小学校の校庭で、学校を中心にお年寄りと地域とのふれあいができる場づくりをして、今年8回目になる。やっと定着してきたが、8年間かかった。子ども達を見守る大人たちの横のつながりをつくるためにも、大人たち同士が顔を合わせる関係性を持つことが必要だと思う。富士見地区は学校を中心に地域の輪が広がっている。

―「鍵を内側からあけてくれた」という言葉があったが、何故、内側から鍵を開けることができたのか。
<小倉(俊)氏>
 事例1の三兄弟は母子家庭だった当時、長男が最初にサポートシステムでひっかかっていた。サポートシステムにかかるということは、クラス担任、児童指導担当、学校長などの関係教員が情報を共有することになる。児童指導担当から担任に対し、「この子は、今は大丈夫なのか」と適宜、確認があり、学校長や児童指導担当が代わっても引き継ぎがある。サポートシステムを通じて、学校内でも情報の共有と引き継ぎがなされていることが要因ではないだろうか。
 どの学校でも、どの地域でも、学校の内側から鍵を開けて、困った子の話をすれば地域は動いてくれる。学校関係者が外部とのネットワークを持っていれば、「子どもの明るい顔が見れる」。
<小倉(慈)氏>
 バス旅行など青少年健全育成連絡協議会の現役とOBが年に一度交流する機会があり、それには現役の教師も参加する。地域の人たちと酒を酌み交わす機会もあり、鍵をかけさせない地域の力が働いているのではないか。もちろん、お堅い先生が赴任してきて鍵をかけっぱなしの状態の時もあったが、なんとか鍵を開けさせる努力をする先輩たちがいた。学校に鍵を内側から開けさせる地域性があるのではないか。

●感想

「子どもが発するシグナルに気づいた人がすぐにその場で対応しないと救えないし、変わらない。ルールよりも目の前の子どものことを考えなければ命にかかわることもある。」という小倉先生の言葉が印象的だった。市町村の職員は、何らかの問題を抱える住民と接触する機会が多い。配属先によっては、生活困窮者やDV被害者、虐待を受けている子ども達などの対応にあたる人の命が懸った現場で働くことになる。管理監督職ではなくとも、その時の現場責任者としての覚悟を持って迅速な判断を下し、行動していくことが求められることを改めて実感した。