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(2014年度国内調査)「私のまちづくり履歴から~職員に期待したいこと~」~熊本県水俣市~

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調査先:熊本県水俣市 吉井正澄(元水俣市長)
調査日:2014年6月28日(土)17:15~18:15
文責:秋田県北秋田市 長岐孝生 (2014年度参加者)

本調査の目的

「まちづくりはそこに住む人々の『想い』から始まる」。

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週末学校では、このメッセージを一貫して伝え続けている。この「そこに住む人々の『想い』」とはどのようなものだろうか。そして、そこからスタートしたまちづくりとは、どんな様相を呈しているのだろうか。

水俣病という苛烈を極める苦難を抱えながら、地域の自然や風土、そして人と人とのつながりを再起させ、新たな地域の価値を生み出し、人々が「ここ」に生きる希望を作ってきた熊本県水俣市。吉本哲郎氏(地元学ネットワーク主宰)によると、「水俣は魂の最も深いところが震えるまち」とのこと。本調査では、その地を実際に訪れ、混乱の渦中に身を置きながらも、地域の再生のために尽力し続けてきたキーパーソンらにお会いする。そして、対話や議論を通じて、彼らの地域に対する想いや哲学を肌で感じると同時に、この地域が発する熱量に触れ、真のまちづくりとはどのようなものなのかを探る。日々の生活の中に生まれた苦しみを背負いながらも、地域への想いを胸に歩み続ける人々に会い、自身の地域に対する見方や姿勢を見つめなおしてほしい。

以下では、1994年の水俣病慰霊祭で水俣病に対する市の責任を認め、公式に謝罪、1995年には村山政権との交渉の末、未認定患者の政治的決着を図り、以降、環境都市という軸のもとに「もやい直し」を進めてきたというキーパーソン中のキーパーソン、吉井正澄元水俣市長にお話を伺った際の参加者レポートを紹介する(国内調査全体については、こちらを参照)。現場を知るためにごみ収集車に乗って地域を回った経験を持つ元市長から、全国の地域を担う参加者らに、「現場、現実、現物を知る」ことの重要性を語っていただいた。

参加者レポート

「私のまちづくり履歴から ~職員に期待したいこと~ 」

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1 市議会の動き ~ 国際会議での表明、勉強の日々 ~  

1991年、産業と環境国際会議に参加し、①産業都市から環境都市へ方向転換する、②水俣での環境教育をしっかりさせる、③チッソの再生と支える仕組みをつくるという3点を表明した。

環境都市水俣をどう実現させるか、とにかく勉強の日々であった。海外ではデンマーク、オーストラリア、国内では富良野市、我孫子市、足立区など、ごみの分別の先進地を視察した。分別について勉強するうちに、環境を守ることによって経済が発展する持続可能な社会を目指そう、そして水俣がその先頭に立っていかなければならないと思った。しかし、ただ現地を見聞きするだけでは、自分の地域に合わない。地域の事情を踏まえて咀嚼し、醸成させることが必要だと感じた。水俣を変えようという想いと覚悟は、保守的な自民党の考えを変えさせ、理解を得ることができた。もっとも厳しいところから改革していくことが大切であるということを学んだ。そして、1992年に議会は「環境と健康と福祉を大切にする水俣」を満場一致で決議した。水俣再生へようやく動きはじめた。

2 水俣病と向き合う ~謝罪~ 

1994年、「環境と健康と福祉を大切にする水俣」をスローガンに市長に就任した。

市民同士、患者同士、そして、加害者となった地域経済発展の貢献者であるチッソがそれぞれの立場で対立し、混迷の渦中にある状況をどう打ち破っていくか、水俣病とどう向き合い、環境都市水俣を市民にどう浸透させていくか、暗中模索の状況であった。

そんな中、“あるじなき慰霊式”と言われていた「水俣病犠牲者慰霊式」に、犠牲者の遺族、患者を呼ぶことから始めることにした。そして、過去の過ちを素直に謝らなければ前に進まないという考えを持った。

市長に就任したその年の5月1日、慰霊式で謝罪することにした。国も県も「過ちはなかった」と主張している真っ只中でのことで、この謝罪に対し各方面から多くの批判的な声が聞かれた。

そんな中、がんばったのは市職員であった。ファックスで何度も国や県とやり取りをし、文案を練り直した。それを患者団体に持ち回って意見を聴き、修正し、心底から慰霊式への出席をお願いするために奔走してくれた。ストレートに「心からお詫びします」「謝罪いたします」という表現にこだわったが、修正し切れなかった部分もあり、少し薄めた言葉になってしまった。慰霊式の当日、ほとんどの患者団体の代表が並んだ顔をみたときは、目頭が熱くなった。

最近は、問題を起したあとに役員たちが謝罪する場面をよく見かけるが、紋切り型の謝罪をしているだけで、本当の謝罪はなかなか行われていない。

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3 水俣の再生 ~行政参加ともやい直し~

1年後、村山首相の謝罪で水俣病は、政治解決で一応の決着を見た。しかし、これからは市民と患者が一体的、主体的となって水俣の再生を進めなくてはならない。その土台に据えたものが「もやい直し」であった。

慰霊式で謝罪の言葉に続いて、「今日の日を市民みんなが心を寄せ合う、『もやい直し』の日とします」と宣言した。「もやい」とは、「船と船とをつなぎあわせること」つまり、ばらばらになってしまった心の絆をもう一度つなぎ合わせよう、という意味があり、市民同士が対話するということでもあると思っていた。価値観が違えば意見は違って当たり前である。相手の立場を理解し、認め合い、尊重することで新しい価値観が生まれる。これが新しいまちづくりの基礎となると考えた。

新しい価値観を生むためには、避けては通れない事実、水俣病を正確に把握することが必要であると考えた。そして、多くの市民の学ぶ場として講座を開いたが、そこに参加する市民はいつも同じ人ばかりだった。

人を動かすためには、“希望”が必要である。希望のないところには人は自主的に集まらない。そこで、「前から引っ張らず、骨組みは行政が提案するが、選択は市民がする。市民が話し合い、合意したら動き出す。動き出したら行政が支援する。」市民が自ら動き出すような仕組みをつくることにした。「市民参加」ではなく、市民が参加したときに行政が参加する、後押しする「行政参加」という考え方だ。

社会福祉施設をつくろうということで、構想段階から市民が加わるかたちにした。委員を公募したところ、多くの市民が参加してくれた。しかし、初回の会議は罵声が飛び交い、怒号の渦となり話し合いどころではなかった。それでも回を重ねていくうちに、まとめようとする人が出てきた。そして、話し合おうとする空気が生まれてくる。自分の意見だけを言っていた人も相手の考えを尊重するようになって来た。“対話”の始まりである。

そして、13回の話し合いを重ね、対話の中から誕生したのが、「もやい直しセンター」である。反目しあって、複雑に絡み合っていた人間関係でできた垣根は取り払われ「もやい直し」が実現した。

多様な価値観を持った人々がいる社会で対話をすること、お互いを認め、尊重しあうことの大切さを実感したできごとであった。

4 環境都市への歩み ~ピンチをチャンスに~

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ごみ焼却炉で続けて2回も爆発が起きた。焼却ゴミに卓上コンロに使う携帯用ガスボンベが混入していたのだ。炉の修理に多額の経費が必要になり、家庭にはゴミがたまる。分別しなければ大変なことになるという、やむにやまれぬ事情を抱えてスタートした。これをきっかけに市も市民も一気にごみの分別に関心が高まった。市ではごみ対策検討委員会を設け、19分別の実施に踏み切った。今もなお、大きな修正の必要がない。分別具合も、再生業者が「ブランド品」と評価する程徹底している。

こうした実績でもあるが、もっと大きな自慢は、ごみ焼却炉の爆発というハプニングを逆手にとって日本一のごみ分別を実現するという、発想の豊かさである。このような行政での成功は、市長の実績として高く評価される。しかし、システムを構築した市職員の存在は一般の人々には見えない。評価も感謝もされなくてもそれにこだわらず、むしろ、達成感ややったことに対して誇りを持ち、その自信を役所内で共有している。すごいことだ。

5 水俣のまちづくり ~地元に学ぶこと~

人口も減少し、高齢化、過疎化も進んでいる。経済も衰退してきていることは事実である。しかし、環境で優れたまちになったことから、様々な人が集うまちになった。どうして水俣に来るのか、といわれれば、あの凄惨な公害のまちが、公害という環境に学び、同じことを再び繰り返さないという想いから再生していった世界でも稀な実例であり、まちづくり・地域づくりの原点がそこにあるからであろう。

東京と地方には大きな格差があるが、日本のどこに住もうが生活の質がにわかに変わることはない。

経済的に豊かになったかもしれないが、隣近所との関係が希薄になって、無縁社会ができてしまった。幸福とは何か、生きがいとは何か?地域文化や風土、そういったものが壊れてしまった。

足尾鉱毒事件では村をつぶしてしまったが、日本人は学ぶことができなかった。今、東日本大震災で郷土を失う危機となっているなっているが、それが福島の問題で難しいところである。地元に学ぶことができないからだ。

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6 職員にも求められること ~「現場、現実、現物を知る」~

水俣病の解決には、多くの市の職員に助けられた。職員に求める前に、職員から信頼される市長でなければならないと常々思っていた。

吉本君を環境対策課長に任じたら、与党議員から「水俣病患者と親しい反体制の危険人物」と言われた。確かに「公務員の規範からはみ出た公務員らしからぬ公務員だが、特異な目線と独創力と人脈を持つ数少ない人材である。職員の中には視点の違う異端児的な存在も必要である」と説明した。つまりは、ペーパー試験の結果よりも、欲しいのは企画力や創造性であるということだ。期待される職員は庁舎内では足を引っ張られがちであるが、庁舎内では助けない。職員間のバランスを考えなければならないからだ。しかし、外からの批判に対しては擁護する。但し、擁護するに値する覚悟を持ってやっているかどうかだが。

吉本君は変わった視点を持っている。変革の時期にあった水俣には、画一的な役所の視点ではなく、草の根の視点が絶対必要だった。彼はそういう人材であった。

自治体職員には、価値観が多様化した現代において、違う視点を持つ市民の声に耳を傾け、物事を立体的に見る姿勢が求められる。そして、「現場」「現実」「現物」を知り尽くし、その上で市民や国に政策を提言してほしい。

7 期待 ~水俣の明るい未来~

人口は増えなくても、経済的にも文化的にも満足度の高いまちはできると思う。また、安心安全なまちづくりもできる。これからはその方向に進んでいくと思う。そのためには、これまで取り組んできたまちづくりを愚直に推進していくことだと思う。そうすれば人も集まるし、情報も集まる。そこで働く人たちも自信と誇りを持つことができる。それが大切である。

市の内外に向けて、人間の愚かさをしっかりと伝え、公害の未然防止をうったえること、それが社会貢献につながっていく。そのためにも、水俣に起こった事実を風化させないためにも議論していく必要がある。

水俣の将来を考えるとき、一番うれしいのは農村部や都市部に若い人材が育っているということであり、この若い人たちには、体制や組織を超え普遍的な価値やかたちを見つけ出してくれたら幸いである。大いに期待している。

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