2016年度のプログラムが終了しました(更新日:2016年12月21日)

(国内視察)人口が増加する村の特殊性と普遍性 ~長野県下條村①~

キーワード:

視察先:長野県下條村
視察日:2009年7月2日(木)~3日(金)
文責:静岡県浜松市 大澄憲雄(研修生)

36名の研修生は、3つのグループに分かれ、国に頼らない創意工夫の行政や地域活性化に取り組んでいる自治体を訪問しました(この回の概要はこちらをご覧ください)。長野県下條村視察班は、2004年の「下條村自立(律)宣言」後、同村がどのような取り組みによって自立を成し遂げたのかを視察しました。


 

国に頼らない創意工夫の地域づくり(国内視察) ~長野県下條村~

【視察日程】simojo7.JPG
7月2日(木)
・下條村 総務課長 宮島 俊明 氏 講話
・社会福祉法人 萱垣会 第二光の園
・若者定住促進住宅
・資材支給事業によって造られた道路
7月3日(金)
・下條村 村長 伊藤 喜平 氏 講話
・いきいきらんど下條
・あしたむらんど
・コスモホール

まず、下條村役場において、下條村 総務課長 宮島 俊明 氏 から、今回の視察日程(前述)や村の概要等について御説明いただいた。
長野県下條村は、長野県の最南端、下伊那郡のほぼ中央に位置し、飯田市外や中央道飯田インターから約20分の距離にある。平成20年4月に三遠南信(さんえんなんしん)自動車道天竜峡インターが供用を開始したため、インターから6~7分の距離になった。
面積は37.66k㎡で、うち山林面積が26.12k㎡、林野率69.4%となっているが、近隣町村では林野率が80%を超える地域もあるため、決して林野率が高いとうわけではない。耕地は4.39k㎡、宅地は1.15k㎡。居住地域が村役場を中心として車で6~7分の距離に密集しており、非常にコンパクトな街並みとなっている。
人口は、3,985人(平成7年4月)から4,181人(平成21年4月)となっており、増加率は4.92%である。ただし、高齢化率も25.9%(平成7年4月)から28.8%(平成21年4月)と、2.9%増加している。人口構成では、0~14歳が734人(17.3%)であり、比率としては長野県第1位となっている。
村の明るい話題としては、この人口増やアクセス向上も要因となり、来年度、愛知県から工場が移転してくるということがある。雇用者数60人とのことだが、人口約4,000人の村にとっては大きなインパクトがある。

simojo3.jpg 次に、場所を下條村役場から移し、「第二光の園」という視覚障害者のための特別養護老人ホームを視察した。
その後、「若者定住促進住宅」、いわゆる村営マンションの内部を視察した。マンションは2LDKのカウンターキッチン、約60㎡。ウォークインクローゼットと、映画もダウンロードできるほどの100GB光ケーブルを備えている。家賃は月36,000円で飯田市内の同規模物件のおよそ半額程度だが、その代わり、地域活動への参加が義務付けられている。
(写真左:村の中でもひときわ目立つ3階建てのマンションは、村外からやってきた若い夫婦向けの賃貸住宅。)simojo6.jpg

初日最後、宿泊先に向かう途中で、資材支給事業によって造られた道路、つまり村民によって整備された道を視察した。
(写真右:地域の人たちが協同作業で作った道。資材は村に提供してもらうが、作業は村民が行う。)

simojo5.jpg 二日目は、伊藤村長の講話を伺った後、平成12年度に建設された医療・福祉・保健総合健康センター「いきいきらんど下條」を視察。とても立派な施設に、深さの調節できるプールが備えられていた。これはリハビリができるよう、水温が高めに設定されているそうだ。子供達の水泳教室等にも活用されている。

その後、平成6年度に建設された図書館「あしたむらんど」を視察。蔵書約8万冊に加え、DVD等のレンタルも行っている。村民の寄附等により、少ない経費でソフトを揃えられたとのこと。とても立派な施設なので、飯田市からも来客がある。
最後に平成14年度に建設された文化芸能センター「コスモホール」を見学。コスモホールは収容人数500人を誇る大変立派な文化ホールである。二階には結婚式披露宴会場を備え、年間約6~7組の挙式が行われている。
これらの施設を拝見した後、村役場に戻って解散した。
(写真上:蔵書約8万冊の村の図書館「あしたむらんど」)

【視察を通じて感じたこと】
下條村が最も特殊と言えることは、その施策の流れにある。一般的に施策の手順は、①インフラ整備、②企業誘致による雇用増、③人口増という流れだが、下條村は①人口増、②インフラ整備、③企業誘致という流れになっている。
この特殊な施策の流れを解明するため、これらを支える事業について記載する。

まず、人口増を支えた要因として、職員給与のカットやコスト縮減により生じた余剰金を、「若者定住促進住宅」の建築に充てたことが挙げられる。下條村は、120年間合併していないにも関わらず、村役場の正規職員を59人から35人と4割以上削減し、職員給与のカットを実現した。住民の行政ニーズの多様化や介護保険制度等、行政の肥大化とも言われ新たな対応を求められることが多い現状で、健全化団体になったわけでもないのに、合併もせず職員数を4割以上カットしたのは極めて異例といえよう。これは村長のリーダーシップによるところが大きい。
ポイントは、キーマンである労働組合のトップを、村役場では事務次官のような存在の総務課長に据えて、改革を断行したことにあると推察した。これら正規職員削減等の改革により生み出した積立てが、現在、29億6,432万円に達する。これは、村の年間予算約1年分に匹敵する。杉並区の山田宏区長が考えていた減税自治体構想に繋がる取組を、下條村は既にしているのだ(第1回講義「減税自治体構想」山田宏・杉並区長参照)。

そして人口増加につながっている「若者定住促進住宅」の建設事業について。
人口5,000人未満の自治体において、村営マンションを建設するという事業自体は、特段珍しいものではない。競合する民間事業者が居ないことを前提とし、「きれいなマンションさえ建てれば、若い人がいっぱい移住してくれるだろう」という幻想から建築して失敗した事例は、全国各地にある。では何故、下條村では成功しているのか。以下2点の理由が挙げられる。
①人口10万6千人を擁する飯田市の中心部まで、車で20分程度の距離にある
②家賃が飯田市内の同程度の民間マンションと比較して半額(72,000円→36,000円)
いずれも特殊な理由だ。
また、この施策が住民の負担を生むにも関わらず地域に受け入れられているポイントは、①補助金を使わない住宅なので村がフリーハンドで入居者を選択できること(良い人に入居してもらえると村側は説明)、②若者定住促進住宅として入居条件を「子供がいる」か、これから「結婚をする若者」に限定している。③入居する若者が地域に溶け込んでもらうために、村の行事への参加や消防団への加入等を入居条件としている(おかげで36歳以上は、消防団から退団できる)の3点と考えられる。

続いて資材支給事業であるが、これは地域住民の生活環境を整備するために、住民自らが施行する工事について村がその資材を支給する事業で、平成6年度から平成19年度の間で、累計1,123箇所(経費:約2億5千万円程度)を整備した。住民から理解を得てこれだけの事業を行うことができるのは、行政に頼っているままでは駄目だという住民の意識改革が成功した結果といえる。また、それには新たに入居してきた元気の良い若手の存在があってこそということも忘れてはならない。
続いて企業誘致であるが、確かに三遠南信道路の建設によるところも大きいが、加えて下條村が長野県内№1の若年人口を抱える地域であることにより、若い労働力を確保できるという目算がたったからと推察した。企業にとって労働者の確保は、その存立基盤に係る重要な要素である。

以上のような政策の流れは、下條村の特殊性といえる。しかし、下條村の取組は、特殊性だけでなく普遍性も備えているので、この点についても考えてみたい。
現在国による規制によって縛られている状況でさえ、①役場の職員の意識改革を進めるとともに職員数を4割削減できれば、自治体が独自施策を実施する財源を確保できる。②国や県等の言いなりにならず、自分達の将来は自分達で決める。③勇気を持って第一歩を踏み出すことで、人口増や地域の活性化等が実現し、住民の幸福増進に寄与できるということである。
地方自治を進める上で、現在最も課題となっていることは、規制が多い上、財源がないので最終的な自己決定権が自治体にないということである。もし、自分達でコストを縮減して財源を確保できれば、現在の規制が多い中でも独自の取組を行うことができる。下條村はそのことを示した。

これを支えた第一歩として、下條村では、住民が、自分の問題として地域のことを考え、行動する仕組みや環境づくりを行政が構築した。スタートは情報公開による住民意識の変革だ。「行政が何をしているかよく分からないが、任せておけば良いだろう。」という意識を壊すため、村長は「村が潰れるぞ!」と地域住民に対して積極的に情報提供を行ったそうである。現在もこれは続いている。
例えば、今は有名な道普請も、地域住民に提案した当初は、どの集落も嫌がった。しかし、ある集落が成功したことで、我も我もと、先を争うように事業が進んでいった。この道普請の副次的効果として、一つのものを一緒に造り上げる地域住民の一体感が醸成され、住民間の連帯が生まれたそうである。活動を通じて生まれた連帯は、長い間残る。
第1回の講義で、法政大学教授の田中優子先生が「江戸時代は農業を通じて地域の連携が図られた」という話をされたが、下條村の道普請は、その連携を生むための一つの手段である(第1回講義「江戸時代の官と民」田中優子・法政大学教授参照)

このように地域コミュニティの活性化を図るためには、一緒に何かを造り上げること。これは普遍性がある事実だと思われた。
下條村のように、自らのことをどうしたいか、自らが考えて、自らが決定し、自ら行動する。ごく当たり前のことだが、これができて初めて地方自治はスタートラインに立つことができるのだと実感した。