2016年度のプログラムが終了しました(更新日:2016年12月21日)

(国内視察) 国に頼らない創意工夫の地域づくり ~長野県栄村~

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視察先:長野県栄村
視察日:2009年7月2日(木)~4日(土)
文責:東京都荒川区 K.O.(研修生)

 

36名の研修生は、3つのグループに分かれ、国に頼らない創意工夫の行政や地域活性化に取り組んでいる自治体を訪問しました(この回の概要はこちらをご覧ください)。長野県栄村視察班は、日本一の豪雪地域という厳しい環境にありながら、持続可能な行政運営を実施している、同村独自の住民自治を視察しました。実際に現場を見て、多くの方の話を聞くことで、これからの自治体のあり方や地域活性化の方向性を考えました。


1日目

■講演「実践的住民自治のむらづくり」 前栄村長 高橋 彦芳 氏
sakae1.JPG「実践的住民自治」は、村長選に出馬当時より退任するまでの間、貫いたスローガンです。住民から行政へは、意見を言うだけでは声がなかなか届きにくく、執行についても関わっていくべきであるという思いが以前よりありました。住民が執行部分へ深く関わることにより住民自らの意思による自治、住民自治が行われるものと考えています。この住民自治がなくして、団体自治は成立しません。このことを「実践的住民自治」と名付けました。現在でいうところの「協働」ということになると思いますが、それは行政のコストを浮かせるために行われるのではなく、より高い価値を生み出すために行われなければなりません。
栄村独自事業としての田直し、道直しは、いずれも国の補助金を利用できる水準での施工が困難である事例に対して実施しているものです。仮にその水準(道路の勾配制限や田圃の下限面積など)を達成するために、規格に合った地形や暗渠を整備するとなると莫大な費用を要してしまい、結果的には補助金の交付があっても、そもそもの自治体負担分や維持管理費が将来重くのしかかってくることが予想されます。そのため補助金に頼らない独自事業の展開をしたわけですが、補助金の交付が無いからといって決して施工の質の低下や費用面で大きく負担増となったわけではありません。
一般的に公共事業を実施する際は、一般管理費等の名目で上乗せ費用が発生し、実費の2倍近くを要してしまいます。栄村ではその無駄を省き、村内の人材を活用する仕組みを作ることで低廉な整備費を実現することができました。また、村財源で実施するため施工の弾力性が高く、各現場の状況や住民の意見を確認しながら施工をすることができるため、その場その場に適した総合設計が可能となりました。このように補助金の交付を受けずとも、費用対効果を高めることで独自財源でも十分に事業目的を達成することができ、かつ住民意見を反映する仕組みを栄村では実現することができました。

sakae2.JPG■講演「奄美から嫁いで」 農業 関澤 和美 氏
私は、沖縄で生まれて15歳の時に上京しました。第一子出産後に栄村へ居住することになり、居住して22年になります。当初は農業も雪も初めての経験で、特に雪は厳しくさみしいものでした。畑で働いていても楽しかった都会での生活が懐かしく、さみしい日々を過ごしていましたが、幸い、主人の両親が理解ある人で、このような自分もフォローしてくれました。
栄村には、もう一人沖縄出身の方がいて、自分の存在を知るとすぐに訪ねてくれ、いろいろとアドバイスをしてくれました。栄村には悪いところばかりではなく、いいところもあり、特に子育ての環境は良いと。私は、「子育てには、幼少期の家庭環境が大事であるため、夫婦の下で子どもを育てる」という信念を持っており、同郷の方からのアドバイスは心強く感じました。
私達には、娘、息子の2人の子どもがいます。息子は2歳で知的障害の疑いがあることが分かり、11歳で知的障害であると認定されました。当初は片道1時間かかる病院へ長男と4年間通っていたので、二人で栄村を出て行く「覚悟」をしていましたが、夫婦の下で育てるという「信念」の元、考え直して栄村で育てていくことにしました。
息子は、姉と同じ教育環境を望んでいたため、地元の保育所、小学校、中学校を卒業しましたが、この時に栄村から多大なる支援をいただきました。保育所には通うことが出来ましたが、小学校では特別支援学級が無かったので、現状のままでは通うことができませんでした。しかし、村が県へ特別支援学級の設置を要望してくれ、さらに独自予算で相談員を配置してくれたことにより、特別支援学級が認可され、地元の小学校へ通うことが可能となりました。中学校への進学は、特別支援学校を進められましたが、中学校をはじめとして温かく迎える体制を整えていただき、地元の中学校へ通うことが出来ました。色々ありましたが、役場、教育委員会、学校長、地域、クラスメート、保護者の皆さんに感謝の気持ちでいっぱいになりました。息子は、来年から社会人になりますが、村からのサポートもあり、自立に向けて努力しています。
先日、村外に就職した娘に栄村から離れてどう思うか聞いてみました。娘は、「栄村は遊ぶところが無くてつまらなかったが、また帰ってきたいと思う」と言いました。それを聞いて私たちの子育ては間違っていなかったと確信しました。

 

2日目


■現場視察・講演
「道直し・田直し事業、広域連携の取り組み状況」 副村長 齋藤 家富 氏
「げたばきペルパー制度と活動状況」 社会福祉協議会 福祉活動専門員 藤木 寿之 氏

道直し事業
【要点】
① 補助事業の対象とならない地区内道路(いわゆる生活道路)の改良を行う。
② 機械除雪が行える最低3.5m以上の幅員とし、重要課題である冬場の地区内道路の交通を確保する。
③ 地区住民と協働で行うことで、地元の要望を取り入れて、安く早くできる。

sakae3.JPG 平均積雪量約3mでは年間(12月~3月)に30~40回の除雪作業が必要で、高齢化率45%の村では家の前の除雪作業には限界がある。そこで、地元要望(集落単位で意見を取りまとめ、用地の交渉も各集落で行う)により、3ヵ年の村実施計画で優先順位を決定する。その後、工事前に現地調査、施工方法について、地主、関係者、村で協議する。工事完了後に道路と民地境界の測量をして用地買収を行う。最終的に全体工事費を積算して、地元負担金を算出する(賃金等を除く35%を負担、実際の事業費の約10~15%程度)。
この事業に至ったのは、補助事業の基準では道路の幅員、構造等の基準が厳しく村の実情に合わなかったことにある。村にとって必要な道路は冬場の除雪車(車幅約2.6m)が通れる道路の幅員と構造である。sakae5.JPG

通常の道路事業は、事業説明会に始まり、概略設計、用地測量、用地交渉(場合によっては物件補償)、詳細設計、工事契約、道路工事、工事完了など、時間とお金を費やしている。しかし、栄村の道直し事業は、地区にあった道路の理想形から逆算して必要な手続きを考えている。現場に合わせた適切な施工方法で工事を進められるのはもちろん、設計書を作成しないため、測量、設計にかかる時間と経費が不要である。住民にとっては冬場の除雪作業の軽減、役場にとっては事前事後交渉や事業費の一部を負担してもらうことで、迅速な道路整備が実現し、お互いのWIN-WIN関係を築くことが出来ている。
その結果、平成5年から14年間で約9キロメートルの道路整備が完了した。また、冬は毎日、朝7時30分までに80キロメートルの除雪が実現している。

田直し事業
【要点】
① 農家が使いやすいように区画整理、排水、搬入路等の整備を図る。
② 農家の費用負担を軽減する(10アールあたり40万円以内を目途に50%を農家負担)。
③ 村の基幹産業の基盤である水田の維持、荒廃抑制。

栄村(約271平方キロメートルの総面積のうち約93%が山林原野)でも千曲川沿いには、平坦な土地があり補助基準(30アール:100m×30m)を満たす圃場整備ができた。しかし、村全体では棚田が多く、補助基準に満たない。棚田を大きくするには、多量の土の運搬が必要で、平場の圃場に比べ費用がかかる。強引に補助基準を満たすように圃場整備をすると、10アールあたり80万円程度の事業費で個人負担が40万円になる。これでは、農業収入以上の負担になってしまう。
そこで、補助基準に満たない大きさでも、棚田の使い勝手を少しでも良くするような整備(田直し)事業を考えた。事業費を抑制するために機械オペレーターは村臨時職員(機械はリース契約)で、直接現場にて、農家、施工職員、村担当者で協議し概算費(設計書はなし)を算定し、完了次第、出来高精算とした。また、数年間の償還(村が利子補給)とし年間数万円程度の負担ですむようにした。
通常の圃場整備事業では、補助基準を満たすように無理な整備計画を立て、地元負担が多くなるのが一般的である。しかし、栄村の田直し事業は、棚田の景観を維持しつつ、農作業の効率化を図るために必要最低限の整備と費用負担を軽減する制度になっている。
その結果、平成元年からの18年間で1,403枚を466枚に整備(4,230アール)し、531戸の農家が恩恵を受けている。また、現在12集落で共同作業を可能にしている。

げたばきヘルパー制度と活動状況
栄村は面積が広大であり、秋山郷など役場から離れた場所に集落が点在する。豪雪地帯であり、冬の移動は容易ではない。高齢化率は45%と高く、高齢者をいかに守っていくかが課題であった。
介護保険が始まった平成12年当時、ヘルパーは社会福祉協議会が雇用する3人のみであったため、栄村では、村民を対象に講習を開いてヘルパーを養成した。自宅の高齢者の介護に役立つなどの動機で希望者が多く、160名の住民がヘルパー3級の資格を取得するに至った。現在その中の114名(ヘルパー1、2級有資格者を含む)が「隣近所なら、下駄を履いて真夜中でも駆けつけられる」との意味が込められた「げたばきヘルパー」の登録をしている。この住民ヘルパーを8チームに分け、ワーキングチームを作り24時間の介護を実現させたのが『げたばきヘルパー制度』である。平成21年4月1日現在、15世帯がげたばきヘルパーを利用している。
一人暮しの人は支えないといけないという思いが住民の支え合いの心につながり、この制度を動かす力になっている。

広域連携の取組み状況
実際の生活基盤や経済圏、歴史的風土の観点から見た「広域行政圏」~行政運営可能範囲として~が本来の行政運営のあるべき姿である。
栄村では、2市1町3村から構成される「北信広域連合」(特別養護老人ホームの運営などの福祉圏と観光圏)、1市3村から構成される「岳北広域行政組合、岳北消防本部」(常設消防としての消防圏と衛生圏(一部業務不参加))、1市1町1村から構成される「津南地域衛生施設組合」(ゴミ処理、し尿処理、火葬場運営などの衛生圏)で様々な事業を行う広域行政に取組んでいる。sakae4.png
これらは行政の効率化を図る行政単位としての広域連携だが、こと広域連合では、そもそも気候や風土が異なっていてニーズが合わなかったり、自治体の力関係が発言に影響を及ぼしたりと、本来平等であるべき広域連携の姿が見えてこないという問題が浮き彫りとなっている。
一番大切なのはその地域で育まれてきた歴史である。行政界はあっても、昔から住民は隣町(新潟県津南町)と盛んに交流し、協力をし合っている。「同じ仲間」であり、「良きライバル」である。この意識こそが互いを刺激し合う。まさに「住民の広域連携」である。
現在、津南町とワーキンググループ(教育分野や福祉、土木...etc.)で2年ほど研究を行い、今後も継続することになっている。情報交換等により絆も深まっており、昔から住民が行ってきた広域連携を高め、行政だけではなく住民が主体となって動けるものとし、栄村の存在感を示してきた。

■講演「秘境秋山郷の歴史と文化」 栄村振興公社事務局長 福原 洋一 氏
記録が存在するのは1570年~91年頃からで、落ち武者が入ってきたというものだ。当時、上杉氏が支配していたが会津に移され、1724年に飯山藩の天領になった。1783年の浅間山の大噴火で2~3年間雲が上空を覆い、草も生えない状態が続いた。飢饉が発生し、2村が滅亡した。夫婦が子ども2人におにぎりを食べさせてやる代わりに、生き埋めにしたという悲しい言い伝えもある。
明治に入り、秋山郷でも米を作るようになったが、標高が高く、寒さで十分に収穫できない時期が長く続いた。明治26年から5年間続いた凶作で、東京への出稼ぎが増え始めた。
しかし、大正9年に越後秋山、大正11年に信州秋山で発電所工事が始まり好景気となった。(秋山郷は、新潟県と長野県にまたがっており、新潟県側を越後秋山、長野県側を信州秋山という)映画館ができるなど村の様子が一変した。
昭和に入り、硫黄の採掘、林業が始まった。小赤沢には昭和26年に電気が入った。昭和31年信州秋山に属していた堺村は、水内村と合併し、栄村(下水内郡)となった。
昭和40年に苗場山の山頂に登山客のためのヒュッテ(小屋)ができ、ここから栄村の観光が始まった。今まで道を足で踏み固めるなど、全く閉ざされた秋山郷が、新潟側からブルドーザーが入ることで、踏み固めることなく歩けるようになった。昭和46年に江戸時代から温泉の歴史がある切明で、ボーリングを行い観光用の温泉として整備した。
昭和52年に栄中学校ができ、秋山中学校が廃止された。秋山の子どもは栄中学校に下宿していたが、現在はバスで通えるようになった。

sakae6.JPG所感
「自分のできることは自分でし、できないところを村がするという考え方を育んできたこと」、「村民のニーズを的確に把握し、村民が望むことを村政で取り上げる姿勢」、「補助金に頼らない身の丈に合う村づくり」、「村の人材や資源を活用し、村の中でお金が循環する仕組みを作ってきたこと」「不利な条件を活かす発想(「豪雪は自然の恵み」「雪は資源」)」などの栄村の良さは、自分の仕事を考え直す道標になると思います。
3日間お世話になりました栄村の皆様、ありがとうございました。