2016年度のプログラムが終了しました(更新日:2016年12月21日)

地元学の実践

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講師:吉本哲郎(地元学ネットワーク主宰)、横尾ともみ(地元学ネットワーク)
日時:2012年6月3日(日)13:00~16:00(講義)、各研修生による地元での個別調査、6月29日(金)14:30~18:00(発表)
文責:週末学校事務局 石川絵里子

本プログラムの目的

まちづくり、地域づくりに取り組むとなったら、今のあなたなら、まず何をするだろうか。
頭に思い浮かぶのは、ネットや書籍から全国の先進的な事例を調べる、先進事例のキーパーソンの話を聞き、その現場を視察する、地元で活動するまちづくり団体からヒアリングする、住民説明会を開催する、などといったことだろうか。どれも必要なことではあるが、それで十分だろうか。あなたは自信を持って、住民とともにまちづくりを進め、いきいきとした地域を息長く守っていくことが出来るだろうか。
よその自治体で成功したまちづくりのスキームを取り入れてみたが、数年後になぜかうまくいかなくなったという話をよく耳にする。予算も労力も費やした取り組みが失敗に終わるのは、肝心なところが見えていないからだ。
「地元学」では、自ら地域を歩き回り、たくさんの地元の方々の話に耳を傾けることを通じて、地域の歴史や自然・風土、成り立ちを調べ、記録していく。時間も労力もかかる作業だ。行政の立場から何年も自治体・地域と向き合ってきているのだから、地域のことは当然知っている、いまさら何を調べるのか、と思うかもしれない。でも今のあなたは、枠をはめて地域を捉えてしまってはいないだろうか。地域の足元にあるものを、自分の五感を使って認識し、その意味や魅力を肌感覚で理解出来ているだろうか。
本当に地域を知るというのはどういうことなのか。借り物の知識や「わかったつもり」の表面的な理解でまちづくりを進めるのではなく、住民と腹を割って対話し、自分の言葉で地域を語り、地域の潜在力を存分に引き出せる人材となるため、地域の魅力を体で感じ取り、地域のために働くあなたの軸をつくっていく機会としてほしい。

プログラム内容

本プログラムは、①事前課題として「環境クイズ」と地元の方々へのインタビュー、②「地元学」について吉本哲郎氏の講義を受講、③それぞれの地元にて「地元学」実践、④自身の作成した地元学発表、⑤「自由発想会議」という5つの要素からなる。この一連の流れを通じて、自分から地域に入り込み住民の話を聞くという姿勢を身に付けた上で、「あるもの探し」して地域の魅力を再発見することを目的としている。

まず、事前課題では、自分の身の回りの自然・生活環境をどれだけ知っているか、30項目の「環境クイズ」を通じて考える。例えば、“あなたの家で飲んだり使ったりしている水は、どこから来てどこへ行っていますか?”など、生活に欠かせないごく身近なことについての質問が並ぶが、改めて考えると答えられないものが多く、自分は身の回りのこと・地域のことをきちんと知らないということに気が付く。もう一つの事前課題である地元の方々へのインタビューでは、最低10人、出来れば50人というノルマが課されており、否応なく地域の方々に話しかけなければならない。質問内容は“ここ(地元)で好きな場所はどこか?”、“これまで生きてきて大事にしてきたことは何か?”といったシンプルなものだが、インタビューを重ねるにつれて、多くの研修生が、住民の皆さんそれぞれが地域に対する思いを持っていると実感したとのこと。また、一方で、信頼関係がなければ相手から話を引き出しきれない、という課題も認識したようだ。

6月3日には、事前課題を踏まえ吉本氏の講義を受け、地元学の生い立ちや心得を学んだ。吉本氏の講義概要は、以下の通り。

講義『「地元学」~ないものねだりをやめて「あるもの探し」へ~』

●地域づくりに必要なのは「地域固有の思想」
事前課題の住民へのインタビューは難しかったと思うが、今まで皆さんがやってこなかったことなのだから仕方がない。「順調に」苦労してもらいたい。相手との間にどう信頼関係を作るか。これがなければ何も聞けないし、聞こえてこない。おそらく、皆さんがどうやって地域づくりをやっていったらいいのかと悩んでいるのは、地域固有の思想を作っていないし、共有していないし、確認していないからだろう。「思想」などと言うと難しく聞こえるが、その地に生きる言い伝えや人々が生きる上で大事にしてきたことを文章化し、その価値を共有することができれば、それがその地域固有の思想になる。地域づくりには、哲学・美学が必要だ。
私は、最近だと沖縄県糸満市にある米須という地区で地元学を実施したが、子ども達が地域の大人67人にインタビューをし、生きる上で大事にしてきたことを聞き集めた。すると、先の大戦で大勢が亡くなった米須で人々が何よりも大切にしてきたことは、「命」だということが分かった。そして、命を支える「水」や「畑」、「健康」、「家族」、「子ども達・孫達」、「先祖への感謝・祈り」、「友達」、「ゆいまーる(助け合い)」だった。これらを「米須に生きる言い伝え」として文章化し、米須自治会が地域の価値としてこれからも大事にしていくと決め、地域の人々と共有した。米須固有の思想が生まれたのだ。この米須の例は参考にはなるが、真似をしても皆さんの地域で同じことにはならない。地域によって異なってくるはずだから、それぞれの地域で見出さなければならない。

●水俣病患者から学んだ「一即全」~地元学事始め~
水俣病認定患者で、杉本栄子さん・雄さんという漁師のご夫婦がいた。数年前に栄子さんは亡くなったが、この方々が作るイリコが本当に美味しかった。最初に食べた時には、病気の体でよくここまで美味しいものが作れるものだと驚き感動したが、この時に気付いたのは、「モノ」が語る、語る「モノ」を作ることが大事だということだった。水俣病患者として彼女らは凄まじいイジメを受けてきたが、このイリコは、まさに受難の中から復活に向かい生きる家族の姿そのものだった。この2人は、大学病院からも治らないと言われ、食べ物から受けた病気は食べ物で直す、自分達は人様に毒を食べさせない、ということで無添加のイリコを作ったのだ。ここに地元学へのヒントがあった。一つの家族が復活に向かう姿の中に、水俣再生の手がかりがあった。つまり、一つは即ち全体である「一即全」がこの家族にあったのだ。皆さんは地元の人にインタビューする中で、一個人に話を聞いて何の意味があるのかと思ったかもしれないが、その一個人が一でもあり全体でもあるのだ。上下や大小は関係ない。「一即全」ということを皆さんに伝えたい。
こうして私は、環境で水俣を再生しようと考えたが、私は農村の生まれなので、農山漁村のことなら分かるがマチの人のことがよく分からなかった。栄子さんにどうしたらいいのかと聞いたら、「あんたは何者か」と存在を聞かれた。私はとっさに「俺は山の者だ」と言った。すると栄子さんは、「海の者と山の者がつながれば、マチはどうにかなる」と言った。私はそれを聞いた瞬間に理解した。杉本さんは、よく「木ば大事にせんば」と言っていた。いい木や森があるからきれいな海がある。それから私は、「海よ、ふるさとよ、よみがえれ」という言葉のもとに、色々なことをやっていった。
杉本さん達の役所の人間に対する嫌悪感は、相当のものだった。私は、彼女らから信頼してもらうには3年はかかる、黙って行動で示していくしかないと思い、杉本さんのイリコや、漁業が出来なかった時期に栽培した無農薬みかんを売ったりした。そしてある日、栄子さんから、「いつか私のことを分かってくれる人が現れるに違いないと思っていた。でも、自分が敵だと思っていた役場の中にその人がいるとは思わなかった」という言葉をもらった。地獄のような日々から生まれた彼女の言葉は、人の心を動かすし、地域の言い伝え・固有の思想になるほどのものだ。また、栄子さんは父親に、「いじめた人に仕返しをするな」、「網元は、木を大事にし、水を大事にし、(いじめた人であっても)人を好きにならんといかん」と言われたという。これも、地域の言い伝えになるほどの言葉だ。「網元」を「リーダー」に置き換えたら、皆さんにも分かるだろう。皆さんの地域にも、これらに代わるような言葉があるはずだ。それに気付いてもらいたい。
1991年、私の母に杉本さんを会わせた。私の母も水俣病患者に対して偏見のある人間だったが、杉本さんに直接会って話をして以来、水俣病患者について何も言わなくなった。ここで分かったことは、①距離を近づけること、②話し合うこと、③喧嘩するエネルギーを、水俣を作るエネルギーに変えること、④お互いの違いを認めるということだった。これが水俣再生の原則になった。私の家で分かったことが、地域再生のカギとなった。これも「一即全」である。
1956年に水俣病事件が発生してから50年以上が経つが、今なお5万2千人を超える人々が認定申請を出している。患者の多くは結婚や就職が出来ず、水俣産とついた農産物は売れず、旅館に閑古鳥が鳴くという状況が40数年続いた。私は、東日本大震災後の福島でも地元学の活動をしているが、水俣の経験を踏まえて福島の人々に私が言ったのは、「諦めろ、覚悟しろ、本物を作れ」ということだ。実害対策はきちんとやったとしても、風評被害、人の口は止めることができない。世間は変えることができない。だから水俣が、福島が変わらなければならない。簡単なことではないが、そうするしか道はない。そうしてやってきたのが、水俣の環境づくりであり、水俣地元学だ。

●あるものを磨き、地域の宝にする~ここに生きる希望を作る~
世間を頼りすぎず、自分達のことは自分達でやるために、足元にあるものを探して磨いて、資源・宝にしていく。その作業を後で振り返って考えてみると、まさに地元が先生だと感じ、地元に学ぼうという意味で「地元学」と名付けた。水俣では環境の側面から取り組みを進め、今では環境都市という称号を得るまでになったが、そうなるまで様々なことを考え行ってきた。水俣には希望がなく、「こんなまち嫌だ」という人々の思いが強かった。それでもこの地で生きていかざるを得ないのだから、希望を作っていくしかないと考えた。
色々な取り組みをしてきたが、予算がなかったからこそ出来たことがたくさんあった。やりたいことがあり、金がないのなら、知恵を絞って汗をかくしかない。現場に出て、生身の人間に話を聞いて、「なるほど」を積み上げることでしか、生活の現場の知恵を理解することはできない。役所の机の上には、法律や制度しかない。生活の現場からしか生まれないものがたくさんあるのだから、知恵を得るには汗をかいて現場に出ることが必要だ。
私は、大学教授などと環境を勉強し分かったつもりになっていたが、ある日ふと、私の母は「環境」という言葉を使っていないということに気がついた。母が言うのは、「雨が降った」とか「明日霜が降りるかな」とか、具体的なこと。つまり、「環境」とは「具体」なのだ。では、毎日使っている「環境」は何かと考えると、「水」だということが分かった。そこで私は、私の家で使っている水がどこから来て、どこに行くのかと調べ、絵地図にした。すると、山からわき水を引いて使って、排水を池できれいにし、それを田んぼに流して使っていたことが一目瞭然になった。見えなかったことが見えるようになった。これも、一即全、一つの家に全てがあるということの表れだ。小さいと思っていたことでも、その下に大きな世界が広がっている。
自分の家から始まり、村全体も絵地図にしていくと、村の風景は水が作り上げているということが分かった。田んぼは農業用水より下にあり、その上には家や畑がある。水をはじめとした自然と農業を中心とした人々の生活が暗黙のルールを生みだし、農村の風景は作り上げられている。農村の“美しい風景”は、村の人達が作ろうとして作ってきたものではなく、人々の暮らし中で生まれた生産風景なのだ。よく棚田は保存すべき美しい風景と言う人がいるが、それは違う。米作りが地域の人々の生活に必要だから棚田が残っているのであって、保存「すべき」風景などではない、この土地の人々と自然が生みだす「生産風景・生存風景」なのだ。このような風景自体が荒廃しつつあるということは、人々がその地での農や生活を諦めたということを示している。
1991年から、26ある自治会ごとに絵地図作りを始めた。当初私は、「地域資源のマップを作ろう」と言ったのだが、これは失敗だった。この言葉を聞いて、ある自治会長が「うちには何もない」と言ってきた。そこで私が、川にはどんな魚が住んでいるか、山にはどんな木が生えているか、神社はあるかと聞いていったところ、「そんなものでいいならいくらでもある」という風に自治会長の態度が変わった。つまり、「資源」・「宝」という言葉をいきなり使っていたのが失敗だったのだ。地域づくりに必要なのは、特別な資源や宝を見つけることではなく、あるものを磨くことだ。ないものねだりは愚痴でしかないが、あるものを探して磨けば資源や宝になるし、地域にあるものを磨くということは、それ自体が自治だ。

●普通の人達の「超一流」の力を「引き出す」
水俣であるもの探しをした結果出来たのが、「村丸ごと生活博物館」だ。これは、村の自然や生活全てを展示物と見立てた、いわば屋根のない博物館。2001年に第1号の博物館が出来たのは、頭石(かぐめいし)という、当時、水俣市民でも行ったことのない人がほとんどという地区だった。村の住民には、自分達の生活を調べて訪問者を案内する「生活学芸員」と、訪問者に料理を作って食べさせたり昔ながらの技術を体験させたりする「生活職人」になってもらった。生活学芸員・生活職人になる条件は、「ここには何もない」と言わないことで、そのためには自分の地域のあるもの探しをしっかりしておくことが必要だ。参加料金は、村の案内や技体験は1,000円、昼食は1,500円とし、その1割が村の共有財産になるような仕組みとした。この共有財産で、祭りなど村の行事を毎年滞りなく行うことが出来ている。県内外からはもとより海外からも人が訪問するようになり、村人の生きがいになり、地域が元気になっている。
難しいことは考えなくていい。私が目指すのは、「生活感幸(かんこう)」で、地域で生きる幸せをおすそ分けすること。訪れてくれた人が、自分が一生懸命作った料理を食べて、美味しいと言ってくれれば、それだけで地域は元気になっていく。
また、自分達の住んでいる地区の環境は自分達で守ろうと「地区環境協定」も制定した。これは、行政は全く関与しておらず、地区内の住民が取り決めたもの。すると、それまで法律がなく、いくら行政に訴えても止められなかった行為が、住民同士の約束事ができた途端にぴたりと止まった。昔は村の掟・不文律があったが、これらは既に時代遅れになっている。新しい時代に対応するためには、新たに自分達で作らなければいけない。沖縄の米須地区でも地区環境協定を制定し、“散歩の際、犬などのフンは必ず持って帰ります”という条文を加えたところ、住民に同意の印鑑をもらおうと各家を回る最中から、犬のフンが地域から全くなくなった。この絶大な効果には驚いた。皆さんは、条例の制定など大きな話をすぐするが、そうではなく、小さな話が大事だ。
地元学は、人、自然、経済のどれもが元気なまちを作るという取り組み。経済には、お金、協働、自給自足の3つがある。いいまちを示す基準とは、いい自然・いい仕事・いい習慣がある、住んでいて気持ちがいい、学びがある、3人は友達がいる、美味しいうちご飯がある、地域の暮らしを楽しんでいる、ここが大好きである、ということ。皆さんはどうだろうか。どこが足りないかを考える取っ掛かりにしてほしい。
新しいものを作っていないところは衰退するものだ。新しいものとは、あるものとあるものの新しい組み合わせであるから、あるもの探しが大切ということになる。料理に例えて言えば、あれがないこれがないと言うのは二流のすること。あるもので料理をするのが一流。超一流になると、それを黙ってする。地域では、普通の人達が超一流のことを日々しているものだ。皆さんのような立場にいる人がすべきことは、普通の人達の超一流の力を引き出すこと。教えるのではなく、引き出さなければならない。そのためには、仮に知っていることでも「驚いて、質問する」。これが大事だ。地元学は、独りよがりにならぬよう、内の人がやる「土の地元学」と外の人がやる「風の地元学」が組み合わさることが大事で、「風の地元学」で大事なのは引き出してやることだ。人の持っている力、地域の力を引き出すことのできる職員であってほしい。
物事は、自由に発想して、慎重に計画して、大胆に行動するというプロセスを辿る。このうち皆さんが一番苦手なのは、最初の自由発想だろうと思う。法律やルールが最初に頭に浮かび、現実からスタートしてしまう。自由な発想を邪魔しているのは、思い込み・先入観だ。それを取り払うために、冗談を言いながら住民と地元学を進めてほしい。

研修生の「地元学」

吉本氏の講義を受け、研修生はそれぞれの地元で「地元学」を実践した。その成果物として提出された各研修生の「地元学」は、カラフルな絵地図や写真がたくさんのスライド、地元で生きてきた人の話を聞き、聞いた話をそのまま話し言葉で記述した「聞き書き」など、様々な形式のものが出揃った。
地元学を実践してみて、多くの研修生は、たくさんの人に話を聞くたびに、どんどん楽しくなって、もっと知りたいと思うようになったようだ。また、初めは地元の人に声をかけることが怖かったが、だんだん話せるようになり、それを続けていると思わぬところで知らない人が話しかけてくれて、行動していく中で色々なことが起きるということを経験した、という研修生もいた。実践期間は1カ月弱だったが、これまでの枠を飛び越え、地域に入っていく第一歩をそれぞれが踏み出せたのではないかと感じた。

そして、6月29日には、実践の成果発表を行った。吉本氏の指示により、この日の進行は全て研修生に委ねられたが、その際のルールは2つ。1つ目は、用意されたプログラムに参加するのではなく、自分達で「混乱を楽しみながら」やること、2つ目は「不必要な品のいい前置きと、やりもしない後置きの言葉は言わない」ということ。
各研修生とも、非常に生き生きと成果物の発表をしてくれた。実際に地域に入り、住民の声を聞くことを通じて、自分の中に確かなものが残ったのだろうと感じさせるような発表だった。他の人の発表を聞いている間には、「なるほど!」「おもしろい!」と思ったことをポストイットに書き出したが、約2時間半(一人5分)という短時間の発表にも関わらず、張り出すと模造紙10枚以上にもなるポストイットが集まった。これまで「なにもない」と思っていた地域に、本当はたくさんの宝が埋もれていたということが、ポストイットの枚数からでも分かった。

各研修生の「地元学」成果物は、以下のとおり(クリックすると実物をご覧いただけます)。

○安部祐輝(宮城県大崎市) 『山で生きる~鳴子・鬼首 金田孝一の生き方から学ぶ~』
○池上明子(大分県別府市) 『“おもしろいもの”を見つける天才は日常を一瞬にして輝く景色に変える~必要なモノは、自分の中にある童心~』
○井坂和美(愛知県蒲郡市) 『このまちを作っているのはおばあちゃん~みかん農家杉浦さんのお仕事~』『落合川の最初の一滴を探せ~川沿い探検隊~』
○石山智之(新潟県胎内市) 『わが家発出発!川の水をたどる旅?~山おやじへのインタビューの敢行~』
○伊藤亮介(栃木県足利市) 『渡良瀬川について~足利市民が好きな場所 第1位を調べる~』
○大槻拓美(長野県伊那市) 『我が家の野菜を育む水を追ってみた~チャリンコ放浪記~』
○甲斐一行(大阪府東大阪市) 『普段何気に見てる生駒山を歩いて』【5.5MB】
○加藤ひろみ(愛知県豊田市) 『しもやま香恋の里~花のあるまち~』
○上島雅(福島県南会津町) 『南会津の自然と文化』
○北川圭太郎(三重県津市) 『桜と、人と、風景と~変わっていくもの、変わらないもの~』
○北村純一(三重県鳥羽市) 『地産地消が叫ばれるなか、実際鳥羽で獲れた魚介類を市民がどのくらい食べているか』
○清川奈津子(青森県八戸市) 『こごさば何でもあるんだもんえ~「足るを知る」ジイジの暮らし~』
○熊野真希(青森県三沢市) 『おらどの家~たけじゃの教え~』
○黒子裕司(兵庫県神戸市) 『神戸市北区淡河(おうご)町ミステリーバスツアー』
○小嶋敬一(千葉県我孫子市) 『手賀沼と人々との関わり』
○近納裕政(茨城県桜川市) 『400年前の町割りが残る桜川市「真壁」を歩く!&自宅近くの川の水源を探る』【6.4MB】
○佐々木吉昭(秋田県藤里町) 『馬と馬喰と馬食をめぐる冒険~腹一杯の地元学~』
○椎葉博紀(熊本県人吉市) 『人吉市の見えるもの、見えないもの』
○茂森貴洋(滋賀県長浜市) 『私の忘れていた長浜商店街』
○宍戸俊悟(島根県奥出雲町) 『家の周囲にある植物と歴史調査』
○島田晴奈(東京都足立区) 『水路のある暮らし』
○戸田誠之(兵庫県三木市) 『昔の三木の人は、どんなものを食べていたのか』
○那波昌幸(岩手県宮古市) 『あるものさがしin鍬ケ崎~湧水と坂のまち~』
○西村勝(福岡県久山町) 『九州のおいせさん 猪野地区』 (絵地図) (PPT)
○林美穂(北海道滝川市) 『滝川の昔を調べる』
○稗田寿明(千葉県山武市) 『校歌にみる山武のあるもの探し』
○藤掛淳一(愛知県瀬戸市) 『SETOの新開地』
○松尾純一(兵庫県三田市) 『地産地消を目指して~三田市母子(もうし)地区~』
○依田利也(静岡県富士市) 『加嶋五千石は雁堤によってつくられた』
○渡辺慎吾(埼玉県草加市) 『地域が秘めてる!そうかの底力!!』

自由発想会議

最後に、他の人の発表を聞いて「なるほど!」「おもしろい!」と思ったことの中から、さらにそれを活かしたり膨らませたりするには、自分達ならどうするかを自由に考える「自由発想会議」を行った。これは、吉本氏の、「行政職員は自由発想が弱い傾向があるので、先入観や法律・制度から考えるクセを打破したい」という問題意識から行ったものだ。テーマは「屋号を作る」、「まちの歌をつくる」、「童心に帰る」など。自由に発想し、慎重に計画し、大胆に行動するというプロセスのうち、その取っ掛かりとなる自由発想がなければ物事を進めることはできない。発言に対して「そんなことはできない」と言わず、冗談交じりに考えること、他人の話しに悪乗りすること、ほめること、「べき」論ではなく食べたい・行ってみたいなどの欲で考えることを、短時間ではあるが行った。
研修生からは、自由に考えていいと言われると固まってしまい難しかった、当たり前のことを淡々とこなすだけでは面白みに欠けて人を巻き込むことはできないと思った、というような感想が寄せられた。実際に地域に入り込み、住民の考えを引き出しながら彼らを巻き込んで物事を進めていくには、まずは自分自身が楽しめるかどうかがキーとなる。

研修生の声、事務局所感

地元学の全プログラムを終了し、多くの研修生が口を揃えて言ったことは、「自分がいかに地域や住民のことを知らなかったか気付いた」、「地元学を今後も続けていきたい」ということだった。地元学は、「行政職員の多くが忘れていた大事なことを教えてくれる取り組み」であり、「単なる調査だけでは見つけられない地域の価値を引き出すために、志を持って地元学の実践を繰り返していくことが必要」だ。

全プログラムの最後には、吉本氏、横尾氏から研修生へメッセージが送られた。このメッセージのうち、どんな部署にいても変えてはいけないものは「人様の役に立つ志」である、という吉本氏のメッセージは、多くの研修生の心に突き刺さったようだ(メッセージはこちら)

地元学の実践は、地域づくりや地域活性化といった時、人を集めお金を落としてもらう手段を考えることではなく、本当に必要なことは地域の潜在力を引き出し、そこに住む人々の心を元気にすることであり、それが自治体職員の役割だと気付く大きな機会となった。「あるもの探し」に終わりはない。地域を担う人材として、「地元学」を追求していってほしい。

関連レポート

2012年度
「あるもの探しで地域を元気に:川南地元学」河野英樹(レポート)

2011年度
「地元学の実践」吉本哲郎(レポート)
「研修生の『地元学』」(レポート)