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地元学の実践

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講師:吉本哲郎(地元学ネットワーク主宰)、横尾ともみ(地元学ネットワーク)
講義日:2011年6月5日(日)
文責:週末学校事務局 坂野裕子

本講義の目的

あなたは自分たちの地域のことを知っているだろうか。地域のために働く職員は地域の個性をふまえた仕事ができているだろうか。
地元学は、地域の歴史や風土、成り立ちを調べるが、過去を振り返り懐かしむものではない。足元にあるものを確認し、その意味を知る。まず今あるものと向き合い、そして時代の変化を地域の個性となじませながら、地域の力を引き出していく。そこから地域のこれからが示されていく。
これはプロセスも含めて地域のために働く人にとっての行動の基盤となるだろう。「地元学」の実践を通じて本当に地域を知るというのはどういうことなのか考えてほしい。自分で体を動かし調べた者しか、地域について本当に知ることはないそうだ。「わかったつもり」を脱し、地域の将来を展望し働くことを体で感じ取るためのプログラムである。

講義

yoshimoto1.jpg● 自分の地域についてよく知らないことを知る
「あなたの住んでいる所に、昔からある植物を10種類あげてください」、「あなたの家にいる人以外の生き物は何ですか? 」。調べなくても知っているという人は少ない。自分たちの地域のことをいかに知らないかということに気づくことが地元学のスタートだ。私は、九州、水俣市、自分の集落、我が家のことについて、「よく知らない」と気付いたのは35歳を過ぎた時だった。だから我が家を調べることからやり直した。例えば、親がどんな気持ちで自分を育てたのか、隣の家はどんなものを食べているのかなど、実は近くてもよくわからないことは非常に多い。

そこに住む人たちの「これまで大事にしてきたこと」から地域固有の思想を探る
事前課題として地元の人に5項目インタビューを実施してもらった。地元の人たちにいくつか質問をしてもらったが、質問のうち最も知りたいことは「これまで大事にしてきたこと」である。そこに住む人たちが大事だと考えてきたことをまとめると、その地域固有の思想が見えてくるからだ。地域の言い伝えのようなものが垣間見られる。
地域を考えるとき、まず固有の思想、哲学、美学をまず確認したい。まちづくりで何かを始めようとするときの出発点になるためだ。住民が大事だと思っている、思ってきたことをみんなで共有しなければ1つのまちを作ることはできない。まちづくりのよりどころ、根本がないと混乱してしまう。地域固有の思想は、普段あまり役に立たない。でもいざという時には役に立つ。東日本大震災の復興も地域固有の思想をよりどころにする必要があるだろう。
滋賀県の阿辻というところで、私は地元学で地域を歩いている時に92歳で4つの畑をやっているおばあさんに会った。皆さんは、「畑で作業しているな」と感じるだけかもしれないが、「働く」ことの奥には「健康で死にたい」、「家族に迷惑をかけたくない」という気持ちがある。しかし、ただ「なぜ農作業をしているのか」と問うだけでは、「孫にやりたいから」という返事が返ってくるぐらいだ。奥にある気持ちまで聞き出すことは難しいが、聞き出せるようにしてほしい。

糸満での地元学から見えてきた「命」を大切にする思想
私が沖縄県の糸満市で実施した地元学では「楽土・ニライカナイ(理想郷)する糸満・米須であれ」ということを提案した。この地域ではいいことも悪いことも遠い海からやってくると言われてきた。その発想を逆転させ、「幸せはここにある」というメッセージを込めた。
糸満市米須地区で実施した地元学では、1回目は話し合い、2回目はまず役所職員が地域を歩き「あるもの探し」をした。次の3回目の地元学では子どもを含め地域の人が地元の67人にインタビューをした。子どもが質問すれば大人は喜んで答える。子どもを支える大人の姿勢も素晴らしかった。
この地域の住民へのインタビューで、大事にしたいこととして「命」、「健康」、「家族」、「親」、「水」、「感謝」、「祈り」という答えが出てきた。この地域では、食べ物や水を「命の薬」「命」と呼ぶ。そして「命の薬」である食べ物を作るため、畑仕事をする時間を住民が大切に考えている。この地域の長寿食を支えているのはイモ、緑黄色野菜、海藻であり、豊富にある。
「命」という言葉が出てくるのはなぜなのか。それはこの地域が先の大戦で住民の半分が亡くなった地域であり、ひめゆりの塔がある地域であるからだ。その記憶を持っている人たちが今も生活している場所である。
地域の人が考えるおいしいものは、みんなで食べよう。大切にしたい場所は、写真に撮ったり、掃除をしたりしよう。地元学をきっかけに米須の自治会の活動が広がった。人の持っている力、地域の力を、引き出して解き放つのが地元学である。
この地で生き抜いてきた人たち、先祖が大事にしてきたことをこれからも大事にすることを米須自治会として決定することにした。これは地域固有の思想、哲学、美学を確認することを意味する。金はかけない。話を聞いて「すごいね」と言っただけだ。ただ、光の当て方に工夫をしているのだ。

地域の個性を把握することが第一
自分たちのまちを説明できるようになろう。事前課題の環境クイズに答えられなければ説明はできない。しかし個性を確認できれば奇跡が起きる。己と地域を知らなければ他の地域との交流も始まらない。
自分たちの暮らしを調べる「生活文化研究所」を皆さん作って欲しい。私は各自治体に必要だと思う。普段から地域の生活についてきちんと調べておかないといざという時、間に合わない。地域にある大学がシンクタンクであるならば、役所はthink and doタンクでなければならない。行政には実行も必要である。

水俣病患者の受難と再生―地元学の誕生
私は1971年に役所に入り、働いて20年目に会ったのが、水俣病患者の杉本栄子さんだ。当初、彼女の家族は行政に強い不信を抱いていた。彼女たちは周りの人々からひどいいじめを受けていた。伝染病と言われ、家のガラスが割られた。しかし栄子さんは、「いじめた人に仕返しをするな」と父から言われ、「私をこんな体にした原因企業もその人たちも助かりますようにと祈る」と話していた。水俣病は、正座したようなしびれが全身に広がって、1日に1回痛みが襲う。それを栄子さんは、「痛いのは生きている証拠であり、水俣病は私の守り神である」と言っていた。栄子さんのお葬式は、水俣最大の葬式になった。
私は受難の家族の復活の物語を水俣の再生に翻訳していったのだ。会った当初、栄子さんたちから「海ん者と山ん者がつながれば町はどうにかつながる」と教えてもらった。また、「いじめる人を変えることはできないので自分が変わる」ということも教わった。
水俣市では、1956年の水俣病公式確認の後、30年以上たっても水俣の人々は結婚できず、就職できず、農産物が売れない状況が続いた。私は栄子さんらの言葉から「相手が変わるのではなく水俣が変わるしかない」、問われているのは自分たちだと考えた。そして問題を組み立て直すことから始めた。「水俣病患者が騒ぐから農産物が売れない」ではなく、大事なことは「地域のすさんだ気持ちを直す」ことだ。すさんだ気持ちでは再生はできず、悪口をやめさせたかった。そして環境から再生をすると決めた。悪いイメージを一掃したかったことと、小さなところは人もモノもお金も1つに集中させこじ開けていくしかないからだ。今では環境首都になった。予算はほとんどゼロ。ゴミの分別やISOの取得、環境マイスターなどを実施した。水、ごみ、食べ物について取り組んだ。
足元に何があるのか、足元から問い直す。外から学者が来ていろいろ調べても調べた人しか詳しくならない。そこで下手でもいいから自分たちで調べることにした。大事なことは下手でもいいから自分でやること。ないものねだりは愚痴。あるもの探しは自治。調べてみれば、足元は小さいと思っていたがそこには大きな世界があることがわかる。皆さんには大きな世界を拓くまなざしを身につけてほしい。
活動は女性にさせるとよい。女性はすぐに動く。男性は意見ばかりを述べたがる。力仕事と女性が困った時に支える、冗談を言うのが男性の役目である。
行政は文書を書いたり議事録を作成したりするのが得意なので、「行政参加」として住民のすることを事務局支援として入っていく。住民の活動のダイナミズムを支えるといい。

yoshimoto2.jpg「生活感幸」で元気になる
観光で地域活性化をしようという地域がある。私が考えているのは「生活感幸(かんこう)」。これで案内をする。そしてうちごはんを食べさせる。水俣で取り組んだ「村丸ごと生活博物館」は、「人」も「自然」も「経済」も元気だ、という地元学の実践事例である。経済には、「お金」と「共同」と「自給自足」の3つがある。お金だけが経済ではない。3つの元気と3つの経済がある。田舎の場合はモノとモノを交換する経済があった。お金だけでなく、「結い」や「もやい」で維持する「共同」と「自給自足」の部分も重要である。「村丸ごと生活博物館」には生活学芸員と生活職人がいる。「ここに何もない」と言わないのが条件。地域にあるものを写真にとって絵地図にして地元の人が案内をする。案内、食事とそれぞれ1000円、1500円と料金を取り、うち100円を村に寄付することにした。今では50万円を超えるほどになった。海外からも来るようになった。そして加工所ができて弁当を作り売るようになった。提供する野菜が足りなくなって野菜を作り始めた。修学旅行生の受け入れを始めた。地元の味をまとめたレシピ集も完成し、水俣のベストセラーになった。
いい町には10の条件がある。いい自然、いい仕事、いい習慣、住んでいて気持ちがいい、生活技術の学びの場がある、友だちが3人いる、暮らしを楽しむ、おいしいうちごはん、ここが大好き、いい自治がある、ということである。これを覚えて自分の地域に照らし合わせて考えてほしい。
皆さんに期待するのは、企画して行動する力を持つ、創造的に解決する人間になることだ。金をかけずに知恵を出せ、汗をかけということだ。金がなくても人がいて知恵がある。自分たちで調べなければ自分たちは詳しくなれない。金をかけなければ失敗をしても取り返しはつく。

東日本大震災に水俣の経験を活かす
私は現在、東日本大震災に対して水俣でできることとして水俣の経験を伝えようとしている。水俣病資料館で、福島県の原発事故と水俣病の似ている点、風評被害に対して水俣がやってきたことの展示、また水俣病の患者の語り部たちの思うことのパネル展示をしている。
また、住民の意向を復興プランに反映させるためにNPOを作ることも提案している。陸前高田市、相馬市では設立された。復興を仕事とする株式会社を作って被災者を雇えというのを提案している。食べ物とトイレと仕事を用意しないと大変なことになるという話を聞いた。うまくいくとは限らないが、皆さんもできることの幅を広げて行動してほしい。
風評被害に関して水俣の経験から言えるのは、人の噂はとめることができない。対策を講じても時間がかかるということ。水俣市の再生がそうであったように本物をつくるしかないということだ。そして長い時間がかかる。風評被害はとても怖いものだ。

一代記で人に光を当てる
地元学の中には、1人の人にインタビューをしてまとめる一代記という方法もある。その場合には、アルバムを使いながら時系列で話してもらうとよい。話を聞いたら、内容を並べ替えて、小見出しをつける。そして前の文章と後の文章をつけてタイトルをつける。また男性より女性の方が意見ではなく、これまでの経験を話すのでよい。方言も聞き取っていく必要がある。
一代記は1人の人生に光を当てることだ。インタビューを受けた人は元気になる。これまで注目されなかった自分の人生について誰かが関心を示し光が当てられたと感じるからだ。聞く側はたわいもない小さな話を丁寧に聞いてくる。これまで“その他”として捨てられてきたささいなことも丹念に丁寧に聞く。撮った写真も捨ててはならない。無駄なものはなにもない。雪深い地域に住むおじいさんからは、生活は不自由な面が多いという話を聞いた。しかしさらに話を進めると「春になると一斉にわーっと山菜が出てくる、うれしい」という言葉が出てきた。丹念に聞いていかなければ、なぜその人がそこに住んでいるのかもわからないこともあるのだ。

先を見通す力のある人になる
水俣は海・山・川がそろっている流域のまちで日本の地形の典型である、歴史上、工業を媒介に世界の先進国の仲間入りをしようとした近代工業都市である。そのため、日本の工業の発展の歴史を縮図のように経験している。しかも早めに経験した。だから公害も経験した。21世紀は環境の時代だと言われていたこともあり私は環境に早めに取り組んだ。最初は馬鹿にされたが。
先を見通せる力のある人になって欲しい。人は話を聞いて絵が思い描けなければ理解しない。誰にでもわかりやすいようにひらがなで表現をしてほしい。
新しいものはあるものとあるものの組み合わせである。「村丸ごと生活博物館」は具体的に想像ができたので実現できた。

物知りになるのではない、生活の中にある価値を発見する
繰り返しになるが創造的な人間になってほしい。創造的に問題を解決する人間になって欲しい。水俣では問題を解決するために新しい価値を作ってきた。地域のイメージを作るために地域の個性を理解する。興味と関心を持って地域の人に話を聞いてきてほしい。何事も何だろうと思って見過ごさない感性豊かな人間になって欲しい。物知りになるのではない。地元学を通して、生活の中にある価値を発見するのだ。

研修生の反応

yoshimoto3.jpg研修生たちは、自分の地元で各自テーマを選び地元学を実践する。「自分の飲む水について調べよう」、「自分の祖母の一代記をつくろう」という研修生もいれば、まだテーマを検討している研修生もいた。地元学の実践は、短期間の取り組みで終わるものではなく、地域の個性をつかむまで、長期的継続的な活動が必要となる。今回の取り組みをきっかけに、これまで知らなかった足元に広がる世界の広さを研修生は実感する。次回のプログラムでは、それぞれが実践した地元学を紹介する。

関連レポート

2011年度
・ 「研修生の『地元学』」 吉本哲郎 (レポート)
2010年度
・ 「町や村の元気をつくる地元学のすすめ」 吉本哲郎 (レポート)