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鳴子の米の挑戦~地域の自立に向けて~

キーワード:

講師:上野健夫(NPO法人鳴子の米プロジェクト理事長)
日時: 2012年6月2日(土) 16:20~17:20
文責:週末学校事務局 石川絵里子

本講義の目的

毎日あなたが食べている御飯はどこから来たのだろうか。もし知っているのであれば、あなたはその米を作っている人を知っているだろうか。その人の顔が浮かんでくるだろうか。
「作り手の顔が浮かばないことの何が問題なのか」と思う人もいるかも知れないが、自らの「命」を大切にしようとするならば、「命」を支える「食」と向き合うことは自然なことであろう。しかし、現実は異なり、食品が一つの商品として流通する市場経済の中で、私たち消費者はその食品の作り手が誰かを考えることは少ない。その結果、私たちは以前よりも「食」と向き合わなくなってきている。
こうした変化は、農業生産に大きな影響を与えている。市場に翻弄され、価格が消費を左右する状況において、日本国内の農業生産そのものの維持すら危うくなりつつある。もしも、生産が立ち行かなくなれば、それは「食」の問題のみならず、我々の生活や暮らしに大きくかかわる問題であるといえよう。
「鳴子の米プロジェクト」は、こうした経済環境の中、そこに暮らす人々の「自分たちの米を大切にしたい」との思いから、農業を続けることができなくなった地域の米農家のために始まったプロジェクトである。1俵1万3千円であった生産者米価では生計が立てられない米農家に対し、その地域に暮らす人々が買い支え、農家の手取り1万8千円を保証するという取り組みだ。「地域の食べ手(消費者)が作り手(生産者)を支え、地域の農業とそれに育まれてきた暮らしを守る」という試みである。同時に、消費が生産を支えることが、地域の自立を取り戻すことにつながることを示してきた。
本講義では、「鳴子の米プロジェクト」を通じて生まれた新たな人と人のつながりについて聞き、いま一度、地域における消費者と生産者、地域と農業の結びつきについて考え、地域が自立するために求められることは何かを考える。


講義

●農業の危機が、地域の危機に
鳴子は、宮城県大崎市の山間部、奥羽山脈てっぺんに位置する分水嶺のまち。鳴子温泉を中心とする観光業が主たる産業で、森林資源を活かしたこけし等の木地産業も盛んである。農業はと言えば、「観光業と農業は車の両輪」というのが行政の認識のようだが、実際は観光業の車輪のほうが圧倒的に大きく、農業は、車輪は小さいながらどうにか回転数を速めて一緒に回っていこうとしている、という状態。大きな車輪を担う観光業も、バブル期には年間200万人の観光客が訪れていたが、現在ではその約半数にまで減少しており、厳しい経営状況下で、どうにか活気を取り戻そうと努力しているところだ。
「鳴子の米プロジェクト」が始まるにはいくつかの理由があったが、その最大のきっかけは、国の農業政策が2007年から大きく転換すると決まった、ということだった。品目横断的経営安定対策という制度のもと、20ヘクタール以上の集落営農者と4ヘクタール以上の農地を持つ農業経営者以外は国の支援の対象にならないことになり、制度の導入後は、鳴子にある600戸の農家のうち4~5件しか支援を受けられないという状況になった。これにより、小規模農家の集まる鳴子の農業がなくなってしまうのではという危機感が生まれた。
また、同制度の導入前から、高齢化・後継者不足等により耕作放棄地が増え、観光地鳴子にとって貴重な観光資源である美しい田園風景が失われつつあるということも、プロジェクト開始の理由の1つであった。鳴子に訪れる人々は、国道沿いの田園風景をくぐりぬけて湯けむりが見えてきたら安堵感を感じることが出来るのであって、それが雑草畑では鳴子を訪れる価値が落ちてしまう。農地の荒廃は、農業の衰退だけを意味するのではなく、観光業を中心産業とする鳴子という地域全体の課題となったのである。

●米作りを、地域をあきらめない
このように危機的な状況下で、地域に合った方法で食生活の原点である米を作り続け、農と食、そして地域を守ろうと「鳴子の米プロジェクト会議」が立ち上がった。この会議は当初は行政主導でスタートしたが、農業従事者だけではなく様々な職種の方々に参加してもらい、様々な立場の視点から、米作りの課題、米の可能性、地域のあり方について知恵を出し合い、議論を深めた。総合プロデューサーとして、民俗研究家の結城登美雄先生のお力も借りた。
宮城県は、ブランド米であるささにしきやひとめぼれの一大産地だが、鳴子は、同じ宮城県でも米作りに関しては全く日の目の当らない地域。と言うのも、鳴子は米作りには厳しい環境だ。山から流れてくる水は冷たい。標高が高くやませの影響を非常に受けやすいため、冷害の常襲地域ともなっている。集落全体の収穫が皆無となってしまい田んぼに火をつけて燃やしたこともある。冷害がなかったとしても、鳴子の田んぼの収量は少ない。「まずくて牛の餌にもならない」と他の地域の農家に罵倒されることもあった。米作りを辞めて牛の餌を作ったほうがよいのではという声が上がるほど、自分達の米づくりに自信を持てない農家も多かったかもしれない。それでも、私たちは米作りと共に生きてきた。小さな田んぼかもしれないが、それは祖先たちが長い時間をかけて切り開いて作ったものだ。たとえ小さくても田んぼは私たちの誇りであり暮らしだ。何としても守っていきたい、いつか見返してやりたい、地域に蓄積してきた米作りへの熱い思いが私たちにはある。それが鳴子の米プロジェクトの原点だ。
そんな議論を重ねていく中で、ブランド米に頼らない、自分たちの地域にあった独自の米作りを展開する必要性にたどり着いた。そこで、なんとか寒冷地でも作れる米がないかと考え、古川農業試験場に相談したところ、当時開発段階にあった山間高冷地向けの品種「東北181号」という運命の出会いを果たした。このプロジェクトのシンボルになるのではと考え、早速2006年から30アールの試験栽培を開始した。
さらに会議では、3つの目標を掲げた。1つ目は、農業の危機が地域の危機になっているという状況下で、農家だけではなく、地域の皆が協力し、地域の力で農業を支えるということ。2つ目は、米作りが衰退する最大の理由は、米価が安すぎて仕事として米作りが成り立たないということなので、農家がコメ作りを続けていける価格を設定すること。当時、生産者米価が1俵1万2千円を切っていたところ、2万4千円という価格を設定し、うち1万8千円を農家へ支払い、残りの6千円をこのプロジェクトの活動経費(作り手と食べ手の交流、次世代の育成等)に回すことにした。3つ目は、作り手と食べ手の新しい信頼関係を築いていくということ。これまでの米作りは、出来た米を農協に出荷したら終わりで、その米がどこに流れて行き、誰が食べるのかということは考えもしなかった。そうではなく、作り手は「あの人のために頑張って米を作ろう」と思い、食べ手は「あの人が作った米だから安心して食べられる」と思えるように、信頼関係を新たに構築していくという目標を立てた。
そして、試験栽培した30アールの田んぼからは、約20俵の米が収穫された。
収穫された米は、全て昔ながらの「杭がけ」にして自然乾燥させた。鳴子では小さな田が多く大規模化が出来ないので、それを逆手に取り、あえて手間隙をかけることによって付加価値をつけ、他の米と差別化しようした。また、自然乾燥で味を良くするということはもちろん、農の風景を守るための取り組みでもある。味だけを追求するのであれば、最近は遠赤外線の乾燥機などもあり、必ずしも杭がけにこだわる必要はないかもしれないが、この杭がけを見てそろそろ新米の季節だなと人々が感じてくれることが、地域にとって非常に大切なのだ。杭がけは手間がかかる。しかし、これは様々な意味で鳴子の米の象徴でもあるし、続けていきたいと思う。

●本当の豊かさを探し、地域の可能性を広げる
収穫後早速、発表会をしてこの米のことをアピールしていこうということになり、準備を開始した。まずは、この米の美味しさを最大限引き出すため、地域のお母さん達が集まり、炊飯実験を行った。この米は低アミロースの米なので、こしひかりを基準に作られているいまの電気炊飯器のメモリに従って炊いてしまうと美味しく炊けない。実験を何度も行った結果、15%くらい水を少なくして炊くのが一番おいしいということが分かった。そして、この米をみんなが一番おいしく食べることができ、そしておいしく見せることもできるために「おむすび」にすることに決め、地域のお母さん方におにぎり作りを任せた。それぞれの家庭の味や鳴子に伝わる食材を持ち寄ってもらい、彼女達の知恵を結集した結果、数十種類もの鳴子のおむすびが生まれた。地域の人達にも何度も集まってもらい、おむすび試食会も開催した。
また、私達は米を作って米を売って終わりの米屋ではなく、鳴子の「食」としてこの米を提供していきたいと考えていたため、地域の食文化も合わせて食べ手に伝えていこうということになり、ここから、様々な組織や人々と横の連携していくことになった。地元の旅館の料理長やお菓子屋さん、パン屋さんには、くず米を利用した米粉を使ったお菓子を作ってもらったところ、40種類ものパンやお菓子が出来た。これも地域の方々を呼んで試食会を開催した。このような取り組みを見ていた木地職人・漆職人の方々も、おむすびが美味しくなる桶や器を進んで作ってくれた。
このように準備を進めていくうちに、地域のお年寄りの話を聞く機会が多数あり、今でも昔の人々の知恵が鳴子にたくさん残っていることに気付いた。昔ながらの農作業、村の行事、食生活等、多くの貴重な知恵・地域の文化を次世代に残すため、聞き取り調査を行い、冊子や絵地図、年間スケジュール表にまとめた。完成した冊子等は、旧鳴子町の全戸に配布し、鳴子の米プロジェクトの考え方や進行状況を町全体に広報した。あらためて、自分たちの暮らし、鳴子の風土と気づいてきた文化、そして、これらの基礎となる食と農を見つめなおす機会となった。一見無縁に見えることがいろいろな意味でつながっている。今後はさらにこれらをベースに、鳴子の知恵の結集を活かしていきたいと考えている。もしかすると、鳴子からいまの日本に問題提起ができる日も来るかもしれない。
そして、2007年3月に「春の鄙(ひな)の祭り」と題して鳴子の米の発表会を開催した。当日は、県内外から450名もの方々が参加してくれた。職人が作ってくれた桶や漆の器などに盛られたたくさんのおむすびの他、お母さん方が子ども達のためにと作ったおむすびで出来たお雛様飾りや、田の仕事の合間に食べる「小昼(こひる)」を再現したコーナーなどもあり、賑やかな会となった。かつて牛の餌にもならないと言われた鳴子の米で作った料理はあっという間になくなり、この様子を見た米農家の人達は、これまで米作りを続けてきてよかったと涙を流した。同時に、私達にとっても、この米を使って今後も活動を展開していけるのではないかという自信を持つ機会となった。
その後、この米は、県の奨励品種として品種登録もされ、私達の提案した「ゆきむすび」という名前がついた。この名前は、人と人、都市と農村、海と山を結ぶ米となるように、この米を媒体として人と人とがつながっていけるように、という思いを込めてつけたものである。

●作り手と食べ手の信頼関係を築く
当初このプロジェクトは行政主導でスタートしたが、2008年からはNPO法人化することになった。この種の活動は、担当の行政職員が異動したり、補助金が打ち切られたりするとプロジェクトも終わってしまうことも多いため、持続可能な取り組みとするための決断であった。
NPO法人鳴子の米プロジェクトでは、現在3つの活動方針を掲げて活動を続けている。
1つ目は、NPO法人化前からの目標でもある「作り手と食べ手をネットワークで結び、ていねいな信頼関係づくりを行う」ということである。
1俵2万4千円、お茶碗一杯約24円というゆきむすびの価格について、皆さんはどう感じるだろうか。スーパー等で売られている米と比較すると高いと感じる人も多いかもしれないが、一杯24円相当の他の食材と比較してみると、宮城県名物笹かまぼこ(1枚100円)だと4分の1、いちごだと1個、ポッキーだと4~5本、ショートケーキでは4分の1だけの量だ。米の価格がいかに低く設定されているか、ということが分かるだろう。この価格は、1年間汗水垂らして米作りをしたまっとうな労働の対価と私達は考えており、ゆきむすびを購入してくださる方々は、その私達の考え方・この米の価値を理解してくださっている方々でもある。そして、私達の考え方に共感してくださっているこの方々に、真心をこめて作った米を届けるということが、信頼関係構築の第一歩であり、米作りの喜びともなっている。
作り手と食べ手を直接つなぐ機会として、毎年田植え交流会・稲刈り交流会を開催し、毎回多くの食べ手の方々にも参加していただいている。田植え交流会では、大型機械の入れない小さな田んぼで米づくりをしているという作り手側の厳しい現状について、また、稲刈り交流会では、杭がけを通じてゆきむすびにはどれだけの手間がかかっているかということについて、食べ手の方々にも直接感じてもらう機会となっている。このような経験を通じて、自分が手掛けた米は今どうなっているのかという思い入れの気持ちが食べ手の方々にも生まれ、他の米とは差別化することが出来る。また、交流会では、お昼に桶に入ったおにぎりや地元のお母さん方が作った煮物や漬物を囲んで、作り手と食べ手が交流する。自分が購入した米の作り手と実際話すことで、信頼関係がより深まる。
活動方針の2つ目は、「次世代の人材育成のため、学びと交流の場を提供する」ということである。具体的には、地域の子ども達に自分の暮らす地域の農業の実情を知ってもらうため、地元の認定農業者等と協力して中学校で食育講座をしている。子ども達は、真剣に話を聞き、自分の家族や周辺地域の状況を踏まえて様々な意見を述べてくれて、こちらが驚くほどである。また、県内外から、年間相当数の大学生が鳴子を訪れており、田植えや杭がけ・脱穀の手伝いはもちろんのこと、卒論のテーマとして取り上げるために滞在するなど、色々な形での関わりが広がりつつある。
活動方針の3つ目は、「鳴子の米をはじめ地域資源を活用し、鳴子の食文化の創造と提供」を進めるということで、顕著な取り組みとして、2009年から「むすびや」というおむすび屋を週末に営業している。これは、単なる飲食店としてではなく、地元の人達が鳴子の食文化に触れながら自分達の米であるゆきむすびを食べることが出来る場として始めたもの。出されるおむすびや料理は、もちろん全て地元のお母さん方が作ってくれたものだ。器も物語のあるものを使おうということで、杉の間伐材で出来た器や耕作放棄地に生えた柳の木で作った箸など、全て鳴子の木から出来た手作りのものを使っている。ゆきむすびを囲んで、毎週末たくさんの地元の人々でにぎわっており、人と人をむすぶ場となっている。

●ゆきむすびが生んだ人のつながりが、人を助ける ~東日本大震災~
2011年の東日本大震災では、鳴子は海から最も遠い内陸地であり、地震の直接的な被害はほとんどなかったと言ってもよいくらいであったが、多くの沿岸部の方々が避難してきてまちにあふれていた。例えば、全校生徒が14人の小学校には15人の転校生が来て、運動会には避難してきた500名もの方々が集まるなど、普段と全く違う状況となっていた。そのような中で、今年は活動を継続することが出来るかどうかと不安にもなったが、震災を通じて多くのことを経験し学ぶことが出来た。
その1つは、作り手と食べ手の信頼関係を改めて確認したということである。多くの食べ手の方々からは、放射能の影響は大丈夫なのかという風評被害的な連絡よりも、励まし・心配の言葉やお見舞いをいただき、作り手と食べ手が人間同士としてつながっているのだなと実感することが出来た。
また、自分が予約している米を被災地に届けてほしいという声が各地から寄せられるようになったことを受けて、被災地に米を送る「救援米プロジェクト」を立ち上げることになった。最終的には、50俵もの救援米が集まった。この米は、「むすびや」で毎日使っている海苔を提供くださっている宮城県七ヶ浜町松が浜地区と、昔ながらの作り方で塩を提供くださっている岩手県野田村に届けることにした。七ヶ浜町では、基礎だけが残った公民館の広場で行われた鎮魂祭で、おにぎり200個と米を一人当たり3キロ配った。野田村では、仮設住宅にある集会所に米を届けてきた。野田村も鳴子と同じくやませの影響を受けやすい地域だが、この時の会話でぜひ自分達もゆきむすびを栽培したいという声があがり、早速種籾を確保することが出来た。2012年は野田村でもゆきむすびが100キロ分栽培されており、ゆきむすび姉妹都市としての活動が広がっていけばよいと思っているところである。

2006年に始まったプロジェクトも、今年で7年目を迎えた。当初は5年を一区切りと考え、2011年から第2ステージのスタートと考えていたが、東日本大震災の影響もあり、2012年が実質的に新たなスタートと考えている。持続可能な活動とするために様々な課題はあるが、食・農の本質を見失わずに、作り手と食べ手の信頼関係を大切に、活動を続けていきたいと考えている。


●質疑応答
Q. 後継者不足に対しては、どんな取り組みをしているか。

A. 一般の生産者米価よりも高く価格を設定していると言っても、後継者不足が解消されるほど収入が劇的に増えるわけではない。現状では、息子夫婦と農を営む老夫婦が同居して、息子夫婦は平日観光業で働き、週末農業を手伝うというケースが多く、小規模農家なのでそれでもどうにかなっている。一気に解決することは難しいが、若手が手伝いをする機会を設けることで、自分達も関わらなければいけないという空気が生まれているようには思う。

Q.行政と一緒に活動してきてよかったと思うことは?また、NPO法人化し、自立してよかったと思うことは?

A.当初は原資を全く持っていなかったので、活動費を引っ張ってきてくれたこと。特に、これまでの既成概念に囚われない補助金の使い方をしてくれた行政マンの存在は大きかった。(行政マンとは本年度週末学校研修生である安部祐輝氏のこと。彼は人と人をつなげる意味でも、自分たちの地域の本来の価値を知る意味でも大きな活躍があった)一方で、補助金頼りになりたくないという思いは常にあり、台所事情は非常に厳しいが、NPO法人化後は補助金なしで活動している。お金のない分、知恵を出してやっていこうという考えになるので、自立して良かったとは思っている。行政に頼っているままでは、補助金がなくなった時点で終了となっていたと思う。
(安部)地域には、中に入っていけば、上野理事長のような地域をなんとかしたいと強く願い、実際に地域を変えていくリーダーはたくさんいる。私自身は、公務員かどうかという枠をあまり気にせずに、とにかく現場で地域の方々の話を聞いた。その中にたくさんのアイディアがあり、色々なタイミングでそれを実現していくということ。話を聞き、一緒に考えていくということがなにより大切だと思う。


研修生の声

まちづくり・地域づくりに関する先進事例は全国に溢れているが、それを学んだところで同じことをすぐさま導入できるわけではないし、スタート出来たとしても長続きさせることは簡単ではない。地域の自立に必要なこととは何なのか。
上野氏の講義からは、「本気度」と「人と人とのつながり」の大切さがひしひしと感じられた。国の政策転換がもたらした危機感が人々を本気にさせ、「米作り・地域をあきらめないという本気度」が地域全体を巻き込んでいく。そして、活動を進める中で構築された「人と人との信頼関係」が新しい力を生み、取り組みを深化させていく。作り手と食べ手の関係はもちろんのこと、行政と地域の人々の関係、農家と他業種の人々の関係、鳴子と他地域との関係、全てにおいて、「人と人とのつながり」がベースになっていることが分かる講義となった。

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2011年度
「鳴子の米の挑戦~地域の自立に向けて」上野健夫(レポート)
「鳴子の米の挑戦~地域の自立に向けて」上野健夫(動画)