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鳴子の米の挑戦~地域の自立に向けて

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講師:上野健夫(NPO法人鳴子の米プロジェクト理事長)
講義日:2011年6月4日(土)
文責:週末学校事務局 冨澤太郎

本講義の目的

Ueno1.jpg 毎日あなたが食べている御飯はどこから来たのだろうか。もし知っているのであれば、あなたはその米を作っている人を知っているだろうか。その人の顔が浮かんでくるだろうか。
「作り手の顔が浮かばないことの何が問題なのか」と思う人もいるかも知れないが、自らの「命」を大切にしようとするならば、「命」を支える「食」と向き合うことは自然なことであろう。しかし、現実は異なり、食品が一つの商品として流通する市場経済の中で、私たち消費者はその食品の作り手が誰かを考えることは少ない。その結果、私たちは以前よりも「食」と向き合わなくなってきている。
こうした変化は、農業生産に大きな影響を与えている。市場に翻弄され、価格が消費を左右する状況において、日本国内の農業生産そのものの維持すら危うくなりつつある。もしも、生産が立ち行かなくなれば、それは「食」の問題のみならず、我々の生活や暮らしに大きくかかわる問題であるといえよう。
「鳴子の米プロジェクト」は、こうした経済環境の中、そこに暮らす人々の「自分たちの米を大切にしたい」との思いから、農業を続けることができなくなった地域の米農家のために始まったプロジェクトである。1俵1万3千円であった生産者米価では生計が立てられない米農家に対し、その地域に暮らす人々が買い支え、農家の手取り1万8千円を5年間保証するという取り組みだ。「地域の食べ手(消費者)が作り手(生産者)を支え、地域の農業とそれに育まれてきた暮らしを守る」という試みである。同時に、消費が生産を支えることが、地域の自立を取り戻すことにつながることを示してきた。
本講義では、「鳴子の米プロジェクト」を通じて生まれた新たな人と人のつながりについて聞き、いま一度、地域における消費者と生産者、地域と農業の結びつきについて考え、地域が自立するために求められることは何かを考える。

講義

● 経済活動としての農業の限界
宮城県大崎市の山間部に位置する鳴子はこけしと温泉の町だ。高度経済成長期に温泉街として栄えたが、観光客数もバブル期から現在は約半分ほどまでに減った。観光を主とした地域であり農業のイメージはない地域だが、日本全国多くの地域と同じように、鳴子には農業を営む人たちがいる。
農家にとって米作りとは何だろうか。鳴子の米プロジェクトをやる前は、できた米を農協に売って、自分の通帳の残高が増える、それだけだった。「誰が食べているのか。」なんてことを考えたことも無かった。
そんな農業を続けてきたが、2006年に政府が大規模農家を中心に支援する政策を打ち出したことで鳴子の農家に転機が訪れた。鳴子では、山間部の小規模農家400軒のうち、4軒しか政府の支援を受けられない状況である。その時初めて、農家の金銭収入が無くなり、自分たちの生活の一部である米作りが無くなるという危機感が生まれた。
米作りを続けられないとなると耕作放棄地が増え、美しい田園風景は雑草畑やススキ林になってしまう。このまま田んぼが荒れ続けては観光にも影響するという危機感も地域に生まれた。こうして、米作りの問題は、農家だけの問題ではなく、地域の課題として考えることが求められていた。

隣の古川地区の平野では、「ささにしき」や「ひとめぼれ」などで有名な日本有数のコメ作りの産地だが、鳴子は標高が高く寒冷で日照時間も短く、おいしいお米を作るのは難しい土地だ。「鳴子の米は量が取れないうえ、味も良くない。まずくて牛のえさにもならない。」と陰で言われるほど評価の低い米だった。
実際に地元の農家も周りに自分で作った米を勧めることを躊躇うほどだった。しかし、先祖代々受け継いできた農地を荒らすわけにはいかないという思いから、皆細々と農業を続けてきたのだ。

●  自分たちの足元を丁寧に見直す
経営として成り立たない農家の米作り。作っても誇りに思えない自分たちの米。いっそのこと米作りはやめて、牛のえさを作った方が良いのではという声も上がった。しかし、こうした状況においても、どうにかして自分たちの田んぼを守りたいという思いから、「鳴子の米プロジェクト会議」が立ち上げられた。「鳴子の“米”プロジェクト」と聞くと農業関係者の集まりのように想像するかもしれない。しかし、この会議は、鳴子の将来像について考える場として開かれ、職業の枠を超えた様々な業種の人たちが参加した。そして、そもそも地域の「農」とは自分たちにとって何なのか、そして、それを守るためには何をするべきか知恵を出し合った。
まず、収益獲得という単なる経済活動ではなく、いま一度、自分たちの米作りと日々の暮らしを丁寧に見直すことにした。
山間地にも関わらず「ささにしき」や「ひとめぼれ」といういわゆるブランド米を育ててきたが、必ずしも平野部の米は鳴子に合った米ではなかった。そこで、冷害に強く、鳴子の風土に合った米を探した。「ささにしき」や「ひとめぼれ」を生んだ試験所から、山間地向けの「東北181号」という米を見出した。早速、「これを自分たちの米にしよう」と考え、30アールを試験栽培した。そして、その年に20俵の“希望”の米が収穫できた。
この鳴子の米を一番おいしく食べるためにはどうしたらよいのか考えるため、地域の人が集まった。炊き方の実験を重ねた結果、通常よりも2割ほど少ない水で炊くのが一番おいしいことが分かった。おむすびにして食べるのが最もおいしいと考え、おむすびの試食会を何度か行った。地域のお母さんたちがそれぞれの家庭の味をみんなに紹介するなどして、最もおいしいおにぎりを作ることを試みた。また、米粉を地元のお菓子屋やパン屋に持っていき、何か作れないか相談したところ、試行を重ね、40種類もの米粉を使った団子やお菓子を作ってくれた。そして、こうした一連の取り組みを見ていた桶職人が、おにぎりを盛りつける器も重要だろうと言っておにぎり専用の桶を作ってくれた。
こうした試行を重ねていく中で、昔の人の暮らしの知恵は素晴らしいものだと強く感じた。そこで、ただ米をおいしく食べるだけではなく、自分たちが米作りと日々どう向きあい暮らしてきたのかを地域の人、風土と向き合い徹底的に調べた。民俗研究家の結城登美雄さんの協力のもと、昔の暮らし、農村、農作業、祭りの様子を地元の人たちに聞き取り調査をした。こうして聞き取り調査したことを書きとめるため、また次世代に受け継ぐために、村の暮らしや生活をカレンダーにまとめた。
こうした活動を記録するために「鳴子の米プロジェクト報告書」という冊子を作った。このプロジェクトの意義を忘れないために「意味」編と、地域の人々の思いを受け継ぐために「人」編の2種類を作成した。鳴子地区の全戸にこのカレンダーと冊子を配布し、プロジェクトの意義と活動を共有した。

Ueno2.jpg●  作り手と食べ手の新しい信頼関係を、丁寧に築く
さらに、鳴子の米をより多くの人と共有するために、「鄙(ひな)の祭り」という鳴子の米の発表会を開くことにした。作った米を売るのではなくて、鳴子の食文化を伝えるのが目的だ。発表会の当日は、県内外から450人の人が集まった。そこで、試行を重ねて作ったおにぎりを会場に並べたが、あっという間になくなるほどの好評だった。農家の人たちが「何十年も米作りをしてきたけど、自分の作った米を目の前で『おいしい』といって食べてくれる人を見たのは初めてだ」と涙ぐみながら話している姿をみて、「これなら何とかやっていけるのではないか」という自信にもつながった。
これを契機に、食べ手の顔が見える米作りを地域で取り組むこととなった。食べ手の人たちといっしょに田植えや稲刈りをやった。地元の旅館の女将さんも参加した。いまでは地元の旅館が率先して鳴子の米をお客さんに出している。こうしたことをきっかけに、地元のものは地元の人が買い支えるという地域共通の認識が生まれた。

鳴子のプロジェクトでは、1俵24,000円という価格設定をし、そのうち18,000円を農家の生産者米価とし、残りをNPOの活動資金にしている。農家がやっていけるためには18,000円が少なくとも必要で、その金額を消費者が負担する、つまり、農を地域全体で支えるという取り組みだ。
しかし、24,000円というと「高い」という消費者が多いのが現実だ。ところが、一袋の値段はわかっていても、自分が日ごろ食べている一杯のご飯がいくらかを知っている人は少ない。1俵24,000円はお茶碗一杯あたりでは24円だ。かまぼこ一切れ、いちご一つ、ポッキー3本と変わらない値段だということを考えるといかに米が安いかが分かる。加えて、田を作り、苗を育て、田植え、草取り、日ごろの手入れ、稲刈り、棒がけしての天日干し、一粒の米ができるまでにそれだけの労苦があることを理解してもらえれば、「高い」という人はいないはずだ。

地元の人が自分たちの米を食べることができるようにと、2009年12月に「むすびや」というおむすび屋を開いた。ここでは、地域のお母さんたちの自慢のおむすびを出している。また、おむすびを食べる器にもこだわり、鳴子のこけし職人に地元の杉や桑の木を使った器を作ってもらった。「むすびや」は、ただ食事をするだけの場所ではなく、鳴子の米プロジェクトの拠点として、情報発信・交流の場として、地元の人たちでにぎわっている。

メディア、企業、地域によって支えられ、鳴子の米は確実に地域に浸透してきている。メディアの力もあって、鳴子の米は広く世の中に伝わった。たくさんの問い合わせが来るようになり、大手コンビニエンスストアから大きな儲け話も持ちかけられたが、個人への販売を基本として、企業には米を売らないことにしている。企業はより安い価格を求めるため、1俵24,000円の価格を継続的に維持することに賛同しない企業が多いと考えるためだ。そもそも企業と価格交渉のやり取りする気は全くない。しかし、地元のお弁当屋さんが、プロジェクトの意義に心から共感したため、他の米より多少高い米でも、地元の鳴子の米を使いたいと言ってくれた。このお弁当屋さんのお米はすべて鳴子の米だ。

率直に申し上げて、鳴子の米プロジェクトが始まったからといって、金銭的には大した儲けになっているわけではない。しかし、地域が自らの農業を支えるという考えのもと、作り手と食べ手の顔が見えるようになり、農家ばかりでなく、温泉旅館、こけし職人をはじめ、鳴子全体が元気になってきたと感じる。

今年、鳴子の米プロジェクトは6年目を迎え、5月に田植えが始まった。鳴子の米プロジェクトは、売買を通じて規模を拡大していくというものではない。これからも地元に目を向けて、地域の人と信頼関係を築きながら、地道にできることから取り組んでいきたい。

●質疑応答
Q. 米作りは時間がかかり、先が見えないものだが、農家の人たちはどのようにして成功を信じて活動を続けてきたのか?
A. 鳴子のプロジェクトをプロデュースした民俗研究家の結城登美雄先生のリーダシップが大きかったことが一つの答えではあるが、大事なのは農家と結城先生の間に強い信頼関係があったことだと思う。
単なる金儲けのためではなくて、プロジェクトの意義を通じて、人との関係づくりを行ってきたことが活動の原点にある。誰でもよいのではなくて、私たちの活動に賛同してくれる限られた人々と深い付き合いをしていくことが、これまでプロジェクトを継続させていると感じている。

モデレーター(亀井): 鳴子の米プロジェクトを生産者と消費者をつなげた単なる経済活動の成功例として見るべきではない。その底辺にある基本的な考え方、つまり、地道に地域に向き合い日々の暮らしを見出した活動と発見、そして、地域の人々の信頼関係のもとに、地域を自分たちで支えていく、食べ手が作り手を支えるという共通の認識を醸成していることに、このプロジェクトの大きな可能性があるのではないか。

研修生の声

Ueno3.jpg講義後、研修生からは、主に次の声があった。

「自分で無理だと決め付けていた部分があって、磨けば光るという努力をもっとしなければならない。新しいものだけでなく、今そこにあるものをしっかりと磨き、育てることの重要性を認識できた」
「どうしてもより多くお金を稼げる方が良いという考えに偏りがちだ。活動の理念を皆で共有することの大切さを感じた」
「特定の分野の人の集まりではなく、あらゆる分野の人が参加したことにより、プロジェクトの土台が広がり、頑丈なものになっていく様子が印象的だった」

地域に暮らす様々な人たちがプロジェクトに参加し、「人のつながり」が広がることで、地域が自らを支えることができるという理念とその実践を学ぶことができたようだ。また、米というその地に暮らす人たち全員に共通するものを通じて、食べ手と作り手の間に信頼関係が生まれ、地域が豊かになる様を感じ取ることができたようだ。

当日配布資料

地域の農を地域で支える挑戦-鳴子の米プロジェクト(PDF)

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