2016年度のプログラムが終了しました(更新日:2016年12月21日)

次の世代に残したいもの~南阿蘇村からの発信~

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講師:大津愛梨(農家)
講義日:2013年10月5日
文責:栃木県茂木町 田中のり子(2013年度参加者)

本講義の目的

熊本県の阿蘇地域は、現在も活発に火山活動を行う阿蘇山を中心に美しい草原の広がる国立公園であり、大勢の観光客が訪れる日本有数の観光地である。同時に、古くから安定した集落が形成され、広く農地開墾が行なわれてきた、人々の日々の暮らしが営まれている場所でもある。阿蘇は今年5月、国連食糧農業機関(FAO)が認定する世界農業遺産に登録された。世界農業遺産とは、伝統的な農法や文化、景観を持ち、生物多様性に富んだ地域を世界的に保全しようとする取り組みで、現在世界11カ国25ヶ所(うち日本5ヶ所)が認定されている。
阿蘇を世界農業遺産登録に導いた立役者の一人が大津愛梨さんだ。大津さんは2003年に南阿蘇村に移り住み、以来、米を中心に農業を生業としながら、NPO法人九州バイオマスフォーラムや南阿蘇バイオマスエネルギー協議会のメンバーとして、地域内におけるエネルギーの自給自足も目指している。また語学力を活かし、日本国内だけでなく世界に向けて、日々の暮らしを発信して来ている。
就農して11年。農業だけで生計を立てることが困難なこの時代に、3児の母でもある大津さんが何足もの草鞋を履いて飛び回るのはなぜだろうか。大津さんのこれまでの歩みを辿りながら、彼女を突き動かす想いに触れ、その想いを実現するために必要なもの、大切なことが何であるかを考えたい。

 

講義の内容

豊かさとは
私は農業を生業としています。大学卒業後、ドイツの大学で国土保全を学ぶ中で、農業・農村のもつ魅力や可能性に触れ、農業への関心が高まりました。帰国後、土を踏まない東京で農業・農村を考える仕事をする事に不満が高まり、夫の郷里である南阿蘇村へ移住しました。専業農家である叔父の後継者として、地元生産者組合で作る無農薬のオアシス(おいしい、あんぜん、しぜん、すてき)米を中心に野菜や赤牛を育てています。私は、「農業」、「再生可能エネルギー」、「世界農業遺産認定」は、子どもたちに引き継ぐ大切なことだと考えています。引き継ぐ過程に、新しい農家の形や、未来の農業があるのではないでしょうか。11年前から農業をやっていますが、職場である水田や畑が近く、水や空気、食べ物も美味しい、日が暮れたら仕事は終わりで残業はなく毎日の変化に富んでいて、そして何よりも家族との時間が多いことに喜びを感じています。私はこの生活こそが「豊かさ」だと感じています。東京で暮らす同級生は、年収で言えば私の2倍以上かもしれませんが、しっかりと土に足をつけ、自然の中で子育てと生活ができる私の方がQOLが高いと思っています。

Happy farmer makes Happy society.
皆さんは、生きるのに必要なものを知っていますか。一つは食べ物です。命をつむぐだけでなく、おいしい食べ物は幸せの条件でもあります。私たちは5ヘクタールの水田に合鴨と鯉を放ち、通称「恋愛農法」(鯉の“こい”と合鴨の“あい”から命名)と呼んでいます。鯉が泳いだり合鴨が動き回ったりすることで草が生えず、水に空気を含ませる働きもあるため、除草剤を使わずに自然農法で稲を育てられます。そして二つ目はエネルギーです。私は、阿蘇の草資源をエネルギーに利用するNPO法人を運営しています。ドイツとフランスでは日本と同じく減反政策で1割の休耕があります。その遊休地で、バイオマスプラントに入れる作物を育てます。バイオマスプラントで1年中発電できるよう、自宅や農地周辺の草を刈りサイレージ化しています。エネルギーの先進地であるドイツでは、エネルギー自給村という集落があり、バイオマスプラントのモーターの冷却水をお湯にして利用しています。

自然は子育ての強力な助っ人
薬用せっけんで有名なミューズのアンケート結果を見ると、子どもを育てるのに必要なことは何かとの問いに94%の人が「自然とふれあうことだ」と答えています。私の家でも農業体験、民泊、産直を行っています。農業によってつくられている美しい日本の農村風景を守り、農家としてのメッセージを伝えるためです。伝えなければ伝わらないので、伝える技術としてSNSを利用しています。我が家ではニワトリも飼っています。以前、友だちのお子さんたちを預かり、夕飯にするためのニワトリの解体をすることになりました。もちろん解体するのは子どもたちです。最初こそ女子は目に手を当ててキャーキャーと騒いでいましたが、男子が羽むしりを終えた途端、ニワトリに興味を示さなくなると、女子が肉をさばきはじめました。狩猟時代からのDNAとでもいうのでしょうか、とても興味深い出来事でした。

失敗しても進む
阿蘇が 世界農業遺産として登録され、それを記念しての「ASO世界農業遺産マルシェ」を行いました。農家が農地を守ることで、水源涵養や洪水防止がなされていますが、それは「守ってやっている」ではなく、「お互い様」だと思う気持ちが大切だと思います。農村から人が減ることは大きな問題で、農家と行政職員が手を携えながら解決すべき問題だと思っています。農村はインフラ、それを守るのが農業、支えるのが行政です。今はダメでもあきらめない。たとえば、50年前はトラクターやコンバインはありませんでした。20年前はインターネットもありません。10年前はスマートフォンもありませんでした。やってみなければ何も始まりません。成功の秘訣はただ一つ、失敗してもあきらめずに続けることです。

時には心のデトックス
高学歴、帰国子女、東京から来た嫁というファクターにより、ASO世界農業遺産登録時は、副知事と一緒に外国に行ったり、プレゼンをしたりする機会が多くありました。農業を始めて7年目にメディアに出る機会が増えたのですが、出たからといって売り上げが増えるわけでもなく、やっかみや同情で胸がつぶれそうな時もありました。
今年は、勉強もかねてフィンランドに家族で滞在しました。普段の喧騒から離れ、子どもたちと湖に入ったり、おいしい食事をとったり、じっくりと時間をかけて触れ合うことで、子どもたちも生き生きし、私も本来のパワーを取り戻しました。

農業は「なりわい」
農業をなりわいとしてでなく、自給自足的な暮らしに憧れている人もいますが、最近は実力があってどこでも暮らせる人が農業に積極的に取り組むようになってきました。これからは若い人、女性をどう活かすかが鍵です。フラワーバスケットづくりや料理教室を開催しプランナーを送り込む、あるいは元からある会合に混ぜてもらうなど、時として裏技も必要です。

あとがき
人は、だれでもよりよく生きたいと思っています。そして、誰かの役に立ち自分の存在意義を認めたいとも思います。今の社会は、労働を主に経済の中でしか捉えていません。「働きかけることによって学ぶ」という労働の本質、労働の教育的側面は排除され、人材を育てずパーツ労働力としてのみ扱うことで、労働をとおした社会の継承が危機に陥っています。しかし農村では、仕事場であり暮らしの場でもある地域で生きていくために、地域を守る仕事があります。生産と生活が分離せず、仕事と暮らしが一体となっている農山村には、山や川、水田や畑など労働をとおして形成された個性的な技術や技能があります。それらに気づき、守り、つなげる人こそが農村で生活する者と恩恵を受ける人々ではないでしょうか。