2016年度のプログラムが終了しました(更新日:2016年12月21日)

いえづくりのプロであるということ

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講師:佐川旭(建築家、一級建築士、女子美術大学非常勤講師、㈱佐川旭建築研究所代表)
講義日:2013年9月8日
文責:福岡県春日市 大原佳瑞重(2013年度参加者)

本講義の目的

「まちづくり」と「いえづくり」は似ている点が多い。生涯で一度あるかないかのいえづくりに臨む家族をプロフェッショナルとしてサポートし、彼らが竣工時ばかりでなくその後も満足するいえをいっしょにつくるのが建築家だ。家族の中でも意見は異なる、すべての意見を取り入れることは難しい。予算や法令の制約もある。いまの家族と年を経た家族は違う形になっているかもしれないが、大概はそこまで家族は考えが及ばない、そこまで先回りして一緒に考えるように促すのもいえづくりのポイントだ。結局、いえづくりの結果を引き受けるのは家族なのだ。"いえ"を"まち"に、"家族"を"住民"に読み替えれば、ほとんど同じだ。違いといえば、まちづくりはより開かれたものであるということだろう。
対立していたかもしれない様々な思いや意見に折り合いをつけ、今ばかりではなく未来も考え、限られた予算のもとで家族みんなが満足するいえづくりを進めていくのが建築家の役割とも言えよう。
さて、皆さんは「まちづくりの専門スタッフ」のはずだが、建築家がいえづくりで発揮するような専門性を発揮できているだろうか。プロフェッショナルとしての仕事をし、信頼や信用を得ることができているだろうか。
講師の佐川氏は個人の住宅から自治体の学校や庁舎まで幅広く手掛ける建築家だ。自治体から依頼された学校や保育園の建築では地元産木材を活かすことを通じて、地域のヒトとモノの循環の再生をも実現している。佐川氏の活動やその背景にあるプロフェッショナルとしての考え方を聞くことを通じて、自らの「まちづくりの専門スタッフ」としての日ごろの活動や心構えを見直し、磨いてほしい。

 

講義の内容

プロフェッショナルとは
自分は40歳ぐらいまで名刺には一級建築士と書いて「建築家」とは名乗らなかった。一級建築士はスペシャリスト。「建築家」は哲学を持たなければならない。建築家はプロフェッショナルだ。プロフェッショナルとは、「社会に寄与する仕事を持っていると神に告白すること」という意味を持つ。公務員の皆さんも現場で社会に寄与するために働くプロフェッショナルだと思う。建築とはカタチをつくるものだ。東風(こち)や命、大蛇(おろち)や土、乳、血のように、「ち」のつく言葉には霊的なものが宿る。そういうカタチをつくりたい、そういうものがつくれるようになったら建築家と名乗ろうと思っていた。

日常の中のモノと人間との関係性
日常の中には生活する上でモノと人間との関係性があった。モノと人間との関係性が切られてきたことで、その関係性がわからなくなってしまった。
本物を見ないで千円札の形を紙に書いてみて欲しい。そして、どんな字や図柄が描いてあるのか書き込んで欲しい。正しく書けた人はどれくらいいるだろうか。千円札の寸法は、横15cm、縦7.5cm。ちょうど半分に折ると正方形になる。千円札を二枚並べると15cm四方の正方形になる。この6倍が90cmで、つまり半間の長さになる。半間かける半間で畳半分の大きさになるので、半間の倍、1間の長さが畳の長辺の長さと同じだ。つまり、畳1枚の12分の1が千円札の大きさだ。1間は家の柱から柱までの長さの基本であり、人と人がすれ違うことができる道幅の基本だった。現代でも何平米と言われるよりも何畳と聞くと実感しやすい、日本人の体の中に入っているスケールは畳のスケールであり、部屋をつくり、家をつくり、道をつくり、町をつくるスケールとなっていた。
他のスケールを紹介すると、例えば、ちゃぶ台の大きさは人間が対面して会話することが許せる距離感と同じ大きさになっている。空間というのはそれだけ力を持っている。
漢字の「すわる」という言葉があるが、本来は坐禅の「坐」だったが、1970年代にリビングダイニングで椅子の文化が入ってきて「座」となった。坐に加わった「まだれ」は椅子を表している。同じ言葉でもその意味は文化によって異なってくる。

どういうかたちをつくりたいか
私は福島県古殿町という85%の森林率を誇る町に生まれた。ちなみに日本はノルウェーに次ぐ世界第2位の森林率67%で住宅着工数も世界第二位であるにもかかわらず、輸入材に頼って2割しか国産材を利用していない。合板のような建材は年数が経っても変わらないが、素材は経年変化する。私は木を素材として使いたいと思っている。人の手によって経年劣化していく美しさが愛着を持った「すまい」をつくる。
日本文化の成り立ちを踏まえながら「かたち」をつくらないとそれは「かたち」ではない。1960年代から1980年代は巨匠が作品として建築物をつくる時代だった。2000年代以降、その地域がその建築物を通じて地域がどう変わるのか、運動体としての建築物をつくる時代となった。匠の技をその地域に残したことによってどのような働きが地域に発生するのか、建築物は単に作品ではなく運動体となる必要がでてきた。

日本の文化は深い
日本の文化は深い。例えば、玄関は「玄妙なる関門」の略で、そこに入ったら自分が変わるという崇高な意味がある。フーテンの寅さんは玄関から入らず、縁側から入ってくる。自分は正式に正面の玄関から入れないと自覚しているからだ。明治の学校の被服室などに使われていた折り上げ天井には、「心の折り合いをつける」という意味がある。
けやきの葉などの日本の落葉広葉樹の葉の色の彩度は3.5~6.5程度だ。街並みは派手な看板などゴチャゴチャと賑やかだが、この自然の色合いの幅の中の彩度を選ぶようにすれば調和する。
月を見ると落ち着き、月の色は人の心を癒すとされているが、月の色温度は4200ケルビンと西日の色温度と同じだ。
ガラスやアルミ、スチールは反射率が高く、ピカピカと都会的な印象になる。美容室がアルミやガラスでピカピカしているのは、客を緊張させるためである。逆に和室の反射率は50%でとても落ち着く。反射率50%というのは、日本人(黄色人種)の肌や杉や檜と同じだからだ。

日常のなかに非日常を取り入れてどう活かすか
日常の中にどう非日常をとりいれるかが大事。この研修も皆さんにとって非日常だと思う。これをどう日常生活に戻った時に活かすことができるか。家づくりも同じ。日常の中に非日常を入れて、どう活かすかが大事になる。非日常の空間は少しでよい。例えば、床の間の掛け軸。床の間という非日常の空間があれば、そこに季節ごとの掛け軸を飾ることで活かすことができる。日本には、光の採り方も風の通し方にも同様の文化があった。例えば、欄間はかつて蘭の花を飾って風が抜けると蘭の香りがした。
日本では、70年代までは収納デザイナーは育たなかった。モノをもたない暮らしをしていたからだ。生活スタイルをもてば不要なものを持つ必要がなくなる。家の空間にあわないものは家に入れないようになる。生活スタイルが出来上がるとそれ以外のものは不要になる。今は家の中に色々なものがゴチャゴチャと溢れている。日本の文化について考える時期に来ているのではないだろうか。
合理的に場所を使うだけではなく、あえてデッドスペースを設け、日常空間に非日常空間を取り入れてそれと折り合いをつけていくことが空間としては大事である。

公共工事とは「匠の技を地域に残していくこと」
公共工事とは「匠の技を地域に残していくこと」だと思っている。2003年3月に竣工した岩手県紫波町立上平沢小学校の写真を見ていただきたい。
利用している木材は全て地元材で、木は地元の木を伐採したものを地元の製材屋に持ち込んで、木材としたものをそのまま現場に運んだ。南に立っていた木は建物の南側に、北に立っていた木は年輪が細かくて丈夫なので建物の北側に使った。曲がった木もそのままの形で活かせるところに使った。まさに適材適所ができた。子どもたちがよく使う教室には、曲がった木や節目が多い木を使った。生きる力や勇気がなくなった時、風雪に耐えて成長した木の姿を見て、勇気を奮い起こしてもらいたいという願いからだ。
墨ツボを使って木を切る60歳代と機械でプレカットした木を使う30歳代の大工を二人一組にして匠の技を伝承してもらうようにした。地域の人々がメンテナンスをする学校にしたかったので、解体した学校の床板でペン入れを作って同窓生に1つ千円で販売し、学校建設に多くの人々が関われるような仕掛けを作った。そこで得たお金で学校の上棟式で餅まきをした。学校を建てている時に「面白そうなことをしている。給料はいくらでもいいから働かせて欲しい。」という70歳代の地元の大工さんが現れたり、「雪かきが大変だろうから」と雪かきをしてくれた地元の人たちがいた。みんな餅まきに来ていた人達だった。地域の人と関係をつくっていった効果の表れだと思う。学校を建てる過程から関わった人達は、学校に対する関心が湧く。口も出すが手も出す、そして口を出すためにはずっと学校を見守る必要がでてくる。
建築段階から小学生には総合学習の一環として、私自身、「木って何?森って何?」というテーマで話をしたり、木で作ったハガキに自分のおじいちゃんやおばあちゃんに感謝の手紙を書こうという授業をボランティアで実施した。中学生には「自分の次の世代のために」と植林をしてもらった。学校が完成した後には、木は循環するということを伝えるために小学校で森林資源循環フォーラムを開催して子ども達に発表をしてもらった。校舎に使用した木材は、地元でよく採れる栗、唐松、赤松、杉の4種類のみ。エネルギーもバイオマスを使っている。
木で学校をつくることが目標ではなく、学校という建築物が循環型のまちをつくる呼び水になって、波及していくことを目標にしている。紫波町の環境循環基本計画の進捗状況を見ると、あらゆる項目でポイントがアップしていることがわかる。

新しい課題
近代化が進み、現代に入って世の中は細分化が進み、皆、各自が蛸壷に入ってしまった。細分化した状態をつないでいくことが建築の仕事になってくる。日本では家は十分足りており、人口も減っているのに新たな家をつくり続けている。今後、人口減少で空き家問題は必ず新たな課題として浮上してくる。

家づくり
個人住宅をつくるとき、施主は何を大事にするのか。家をつくるのに一番大事なことは団欒である。団欒とは何か。親が苦労して勝ち得た言葉を子に伝えていくことだと思う。かつての日本は、囲炉裏を囲んで、父、母が坐る場所が決まっていた。もし、亡くなってしまっても坐っていた場所は空けられ父の残像を大事にし続けた。家の目的は、雨風や雷など外的環境から身を守ることと、団欒することだ。トイレは近くのコンビニで、食事はファミレスで、風呂は銭湯で、寝る場所はホテルでと引いていっても最後に残るのが団欒だ。家づくりはたし算引き算で考えることができる。そこで、団欒をするためにトイレはどうするか、風呂はどうするかを考えていけばよい。

生きるきっかけ、都市と田舎の違い
震災後、被災地に行く若い女性が増えた。彼女たちは東京では生きるきっかけがなかなか掴めなかった人たちだと思う。生きる目的は何かと尋ねられたら、私は「きっかけ」だと思う。「きっかけによって人生は変わる」。きっかけのザラザラが欲しくてひっかかりのないツルツルとした乾いた都市からザラザラ感があって少し湿り気のある田舎へ移る人が出ている。そういう人たちが新しいまちをつくる牽引者となっていくのではないか。そういう人たちをつなぐ役割も建築家にはあるのではないかと思う。

研修生に贈る言葉
「私は誰?」という質問に20項目回答して欲しい。自分がわからないと自分のデザインの方向は決まらない。見直すと表層的なことしか書いていない。見直しながら深い自分を考えて欲しい。また、皆さんと出会うことができた一期一会に贈る言葉20のヒントをまとめてみた。
1825年ぐらいの江戸時代、循環型社会で5%しか汚物を出さなかった。その時代に町で流行っていた「七味五悦三会」(ひちみごえつさんえ)という言葉がある。「七つの美味しかったもの(七味)」、「五つの嬉しかったこと(五悦)」、「三つの出会い(三会)」を振り返るというものだ。私は毎年1月1日に昨年は実行できたかと確認する。
今日、ご縁をいただいて皆さんと出会うことができた。一つか二つでもよいので心に響く言葉があったら、心の隣の言葉の薬箱に入れて、辛いことがあった時に開いて自分に処方してほしい。

感想
短い時間のなかで私たちに向けて一つでも多くのメッセージを伝えようとする佐川先生の熱意が伝わってきた。
「プロフェッショナル=神に告白して社会に寄与すること」、「きっかけによって人生は変わる。きっかけのザラザラが欲しくて都市から田舎へ。都市はひっかかりがなくつるつるしている。」、「自分がわからないと自分のデザインができない。深い自分を考える。」という言葉が心に残っている。言葉の薬箱に入れて、大切に保管したいと思う。