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地域とは何か

キーワード:

講師:内山節(哲学者、立教大学大学院教授)
講義日:2013年5月19日(日)
文責:福岡県春日市 大原佳瑞重(2013年度参加者)

本講義の目的

これまでの講義で自治の原則が住民自治にあることを学び、住民自治によるまちづくりの現場の話を聞いた。また、国と地方の関係を整理し、地方は自立した存在であることを確認した。一連の講義を経て、地域に飛び込み、住民と共に地域づくりを進めていく決意を新たにしたのではないだろうか。

地域づくりを考えるにあたって欠くことのできないものに「コミュニティ」がある。あなたにとって「コミュニティ」とはなにか。あなたが所属する「コミュニティ」はどういうものなのか。

そもそも「地域」とはなんだろう。あなたが飛び込もうとする「地域」とはどこだろうか。
「地域に生きる」とはどういうことなのだろうか。

地域で仕事をしていくにあたって最も大切な本質的な部分を、深くじっくりと考える機会としたい。

講義内容

●上野村との出会い

群馬県上野村と出会ったのは、1970年代に入った頃、20歳過ぎに釣りのために村を訪れたのが最初だった。以来40年近く、東京と上野村を行き来している。村民には市町村合併の意向はなく、村の高齢化率は40%を超えている。面積の96%は森林である。水田はなく、昔は養蚕と紙漉きが主要産業だった。
上野村は、古代律令制下の上山郷が母体となっており、大きな領土に挟まれ、互いの領主が牽制しあい、江戸時代まで領主不在の空白の村だった。江戸時代になって天領となり材木が年貢と決められたが、山深い村から運ぶことができないので、実質的には年貢も免除されていた。昔から村人同士が力をあわせて何とかやっていこうという風土があった。

●多層的な共同体

上野村は行政区と地域とが一致する特殊な地域であり、地域には様々な関係の網が重なっている。様々な関係とは、人間関係、経済の関係、自然との関係、過去との関係、信仰の関係である。山間地域の上野村には、発見されただけでも約600体の石仏が山中にあり、地域の信仰で人々がつながっていたことがわかる。宗教や信仰という言葉は明治以降に翻訳されて日本に入って来た言葉だ。山の神や観音様などそれぞれが存在しており、集体ではなかった。

●行政が関与できる地域の関係、関与できない地域の関係

行政は地域社会における信仰に対してはノータッチだが、お神楽や獅子舞の面や衣装は特定の宗教というよりも地域文化という位置づけで教育委員会が村の予算で修復をしている。地域づくりには信仰と絡んだ伝統芸能も含まれており、この部分について行政は担うことができない。住民がやる部分と行政がやる部分の分担をうまく考えないと自治はできない。

●フランスとの比較

初めて渡仏した時、セーヌ河での釣りは面白くなかったので、それ以降は山深いピレネー山脈で釣りをするようになった。日本ほど釣りがしやすい河川はない。元々、フランスでは、河川は個人所有であり、ナポレオン法典により船が通れる河川はパブリック河川となった。ナポレオン法典では、1㎞にわたって川を所有している場合、水も魚も全て個人の所有だったが、その後、水のみがパブリックとなり、川底権(土地)もパブリックとなった。しかし、河岸の水際までが個人所有になるため、川で釣りをするためには立入権が必要になってくる。パリには釣り人専用の旅行代理店があり、どこの川で釣りをするのか、権利関係はどのようになっているのかを調べて、コーディネートをしてくれる。田舎では、釣り具屋に行くと色分けした河川地図を見せてくれる。赤は年間で釣りの権利が売却済の釣り禁止区域、黄色は所有者との交渉次第で釣りが可能、緑は釣り具屋が管理代行している場所で立入権をその場で代行販売してくれる。青は河岸までパブリックだから、許可なく釣りができる場所という具合だ。日本は入漁権のみが必要だが、ヨーロッパでは立入権と入漁権が必要になってくるため、釣りの関連本は「釣り人の権利はどこまで行使できるのか」という権利関係を解説する内容が半分を占めている。この点が「自然資源はみんなのもの」という日本とは大きく異なる。

●36,500あまりの市町村=コミューン(Commune)

フランスは、人口6,800万人で日本の市町村にあたるコミューンが36,500ある。人口200万人を超えるパリ市もあるが、田舎では人口100~200人の自治体が多く、最小は1家族6人で1自治体というような小規模な自治体である。フランスでは、一つの集落がそのまま一つの自治体となっている。人口500~1,000人の村には観光客が泊まることができるホテルがあるが、人口100人程度の村はオフシーズンの時だけ農家民宿をしている。春になって牧草が生えると暇になった農家が6月ぐらいから民宿を開くのだ。

●1975年以降の都市の人口減少と農山村地域の人口増加

フランスでは、1975年を機に都市の人口が減少し、一時期は人口の1割から2割が大きく減少したが、今は人口も増加してきている。郊外へ移住する人々のうち、50%から80%が都市からの移住者であり、その傾向は今でも続いており、住宅難で村営住宅を村が作るという事態まで起きている。
なぜ、人々は都市から郊外へ移住するのか。理由の一つに都市に住むことによる行き詰まり感がある。人々は自然と共に生きる暮らしを求めて、郊外へと移り住む。そして、もう一つに、規模が小さな自治体の方がより住民たちが自分たちの地域の自治に主体的に関わることができるからだろう。人口100人から200人の自治体の場合、職員は1人くらいしかいない。その職員以外、首長も議員も無給である。ある自治体の村長に「本当はいくらか貰っているのではないか」と尋ねたら、「実は村長が自由にできるお金が年間3万6千円ある」と言っていた。議員も無給で、視察旅行などの費用も出ないから、議員は何人置いてもよい。100人くらいの自治体に20~30人も議員がいることもあるが、給料を払わないのだから問題はない。仕事をしながら議員をしている人も多いので、議会を夜に開催するなどの工夫をしている。人口30万人以上の都市の市長は別会計で給料が支給されるが、人口29万人以下の自治体は無給となっているので、定年世代の首長もいるが、現役世代の首長は夜だけや休日のみ首長としての仕事をしている。

●フランスの地方自治

フランスでは地方自治が進んでいるので、たった1人の職員しかいなくても、やるべき仕事は沢山ある。一人の職員でどう行政をするのかというと、NPOが請け負っている。
フランスでは、小学校は市町村が管理し、中学校は県が、高校は州の管理となっており、大学は国が管理している。ごみ処理についても、広域連合でNPOが担っている。村の基本計画は村長が作成するが、具体的な計画はNPOが行う。例えば、体育館や文化センターがある村の体育館や文化センターの運営はNPOがしている。土砂災害による道路補修は、予算執行権を県が持っているので、自分たちの手で補修ができないものは、県の担当者に連絡して、県担当者が見に来て業者に発注する。公団住宅の建設も県が実施するが、30年経てば村に無償で払い下げになるしくみだ。予算執行権は県にあるが、計画作成は市町村が行う。
人口150人の基礎自治体であっても20団体程度のNPOが活動をしている。主に60歳を超える人々が働き手であり、現役世代も夜や土日に活動する。だから、何故、都市から郊外に移住するかというと、大都市で自分の価値がわからないような生き方をしたくない、自分はいてもいなくてもよい存在になっているからだという。小さな村だと、住民全員が地域の主人公として認めあえるというのである。

●フランスにおける農業の転換

第二次世界大戦後、深刻な食糧難に見舞われたフランスは、農作物生産増を目指し、大規模な農地集落を形成していった。耕作面積が100ヘクタールを超える大規模農家の経営は苦しく、大半の農家は農業所得だけでは暮らしていない。150~200万円の農業収入と同額の国からの所得補償を受けて年収300~400万円程度で暮らしている。農業で儲かっているのは、道に市場をたてて産直販売をしている産直型野菜生産で多品種の野菜を作っている農家と小規模でワイン用の高品質なぶどうをつくっているワイナリーである。
フランスの農業の基本は「安全と安心」であり、減農薬が求められている。しかし、大規模な農業の場合は、全体に十分に手をかけられなくなるので、予防農薬を大量に撒く必要がある。規模が大きいと有機農業はできないのだ。フランスから見ると、「管理可能な規模の農地」、「兼業で所得分散されているため、農業の改良や様々な工夫が可能」な日本が羨ましいのに、日本の農業はこれに逆行し大規模化を政府は推進している。

●日本の伝統的な地域、共同体から学ぶ

日本の伝統は何を持って伝統というのか。江戸時代の中後期には既に今の農村の形となっていた。伝統的という言葉はわかりにくい。伝統的な食事というと「醤油」が思い浮かぶが、醤油は江戸後期に大衆化したものであり、それ以前の基本は味噌だった。明治時代にキャベツや白菜が国内に入ってきたが、白菜の浅漬けは伝統食に含まれるのか。はたして伝統とは何なのか。

●日本における神道はいつ成立したのか

日本において神道はいつ成立したのか。日本書紀には日本は独自の神を持つ独立国家であると漢文で表記されているが、かなで表記された古事記には神道の文字は出てこない。
日本は、明治元年に神仏分離令が発令され、これ以降、神社はご神体を全て天皇系とする国家神道となっていった。それ以前の日本は自然を信仰しており、神社や寺を建てるために、まずは土地神様を祀っていたので、法隆寺の中にも神社があるし、奈良の興福寺は元々、春日神社と一緒だったのに分けられてしまい、伽藍も壊されている。日本の伝統的な信仰は、明治時代に形を変えてしまい、本来の形がわからなくなっている。

●支配者不在の社会と共同体

江戸時代までは地域の中に支配者がいなかった。欧米では必ず地域の中に領主がいるため、地域内権力関係を維持する場所としての「広場」が築かれ、領民に領主の方針を伝える、領主に逆らう人間を処刑して見せしめるなどに使われていた。地域内部に支配者がいない日本では広場がない。代わりに寺社の境内や辻で一時的な市を立てて人々が集まった。
支配者を内部に常駐させない社会では、多層的な共同体としての生活レベルでの強い結束力が求められた。江戸期のムラでは、集落としての共同体、行政区としての共同体、仕事別の共同体、神社の氏子や寺の檀家の共同体、伝統文化の共同体など、一人が複数の共同体に入っていることが当たり前になっていた。複数の共同体としてのつながりがあれば、一つのところに極端に負担がかかることはない。

●共同体と何か

共同体の語源はわからないが、明治の翻訳語で、英語のコミュニティ、ドイツ語のゲマイン、ゲマインシャフト、フランス語のコミューン、コミュノテ等を訳したものだと考えられる。日本にはこれらの言葉の意味の共同体はなく、結ばれた存在、色々な結びつきがある小さな世界を共同体と呼んでいる。かつての共同体は、経済との結びつきが強かった。水の管理や共同での田植えなど、各家単位の経済活動ができる基盤を共同体で作り、人々の暮らしは共同体によって支えられていた。

●自然と死者の代理人

地域社会を構成するのは、海外では生きている人間だけで、人間が集まってルールを作って行動すればよいのに対し、日本では、自然・生きている人間・亡くなった人間が地域を構成している。柳田国男は「人が亡くなっても使者は遠くに行かない。近くの山に魂は還る。垢をとって自然に溶け込んでいく」と言っている。自治は生きている人間だけではない。自然と死者の代理人として生きている人間が営んでいる。祭りや年中行事を実施しながら、自然に守られて生きていくことが自治のしくみとなっているのだ。
過疎化していく地域を見た時、一つの目安が祭りや年中行事が維持されているかどうかである。まだ祭りや年中行事が維持されていれば、この地域はなんとかなると判断できる。東京などの新興住宅でも「地域らしく」と祭りをはじめていく。

●震災で見えてきた共同体のつながり

東日本大震災によって共同体のつながりが見えてきた。漁師から「大丈夫だ、頑張っていくから」という声があった。何故、そう言えるのか。漁師たちは「海は無事である」、つまり、この社会はまだ壊れきっていないと考えている。自然と接触の強い人は、自然と人間との共同社会に生きてきたので、「自然が残っている限りはなんとかやれる」と考えるのに対し、自然と遠い人は「絶望的だ」と考える傾向にある。
津波で突然、家族を失った人たちは、亡くなった人との関係が作れないので歩きはじめることができない。かつて、この社会は生者と死者とのつながりを結ぶ社会だった。亡くなった人を葬る、毎朝仏壇にお茶をあげて一日を始めるなど、絶えず死者との関係を結びながら私たちは納得を築いているのだ。

●地域とは何か

ソーシャルビジネスは、地域とのつながりとしての経済である。持続可能な形としてのビジネス化であり、どのような経済をつくっていけばどのようなつながりが回復するのか、みんなが生きていける経済、共に生きる経済を目指すものである。
行政は、コミュニティの形をつくっていく支援はできても、主体にはなれない。これから地域とは何かを検討しなければならない時期に来ている。今の体制では世界は持続できない。いつまた、経済崩壊が生じるかもわからない。地域に生きる基盤がある、その「地域とは何か」をとらえなおさなければならない時代にきている。

●講義を振り返って

最後の質疑応答で、「フランスでは何故、人々は都市に行き詰まりを感じたのか」という質問に対し、「都市での生活で、自分は交換可能な人間になっているという思いを抱いたから。人は誰しもかけがえのない価値ある存在になりたい」という回答がとても印象に残っている。「かけがえのない価値ある存在になりたい」というのは、人間の基本的な欲求であり、この欲求にアプローチしていくことが今後の地域づくりのカギとなっていくのではないだろうか。
また、独居高齢者の孤独死や児童虐待は、社会との結びつきがないことから生じる問題であり、様々なつながりを持つことで、命のセーフティネットを築くことができると思った。 地域それぞれが独自の多様なつながりを持って成り立つ生き物のような存在なので、地域のつながりを再生していく時は、「先進事例を真似る」のではなく「先進事例を参考に、今の地域に一番最適な方法を考え、実行し、軌道修正していく」ことが大事だということがわかった。
これから「持続可能な社会の先にある、私達が目指すべき多様で多層的なつながりがある地域とは何か」、「高度経済成長と同時に爆発的に人口が急増した地域では、どのように新しいつながりを結んでいけばよいのか」自分なりの答えを考えていきたいと思う。