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鳴子の米の挑戦~地域の自立に向けて~

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講師: 上野健夫(NPO法人鳴子の米プロジェクト理事長)、安部祐輝(大崎市産業経済部農林振興課農業経営係長)
講義日:2013年6月1日(土)
文責:長野県箕輪町 土岐俊(2013年度参加者)

 

本講義の目的

地域の農政を考えようとしたとき、それは農政単独のこととして考えられ、対応されることが多い。しかし、日本の農業の現状をよくよく考えてみれば、それは地域に伝えられた文化や風習そのものと不可分であり、日々の暮らしと一体と見るべきであろう。つまり、農政をめぐる課題は単独のものではなく、地域に暮らす人たちが自分自身のこととして捉え、その解決を地域が本当の意味で一丸となって取り組むしかない。
国レベルで考えれば、農村では、高齢化・後継者不足により、耕作放棄地の拡大が日々深刻化しているものの、農政は政治情勢により迷走を続け、再生への道筋を示すどころか、地域の現場に混乱をももたらしている。こうした中、“農をあきらめたくない”という強い思いを持ち、目の前で衰退していく米作りを、地域独自の力で再生しようと始まったのが「鳴子の米プロジェクト」だ。米作りを農家だけの問題にせず、観光地鳴子に欠かせない田園風景を生みだす地域の営みと捉え、地域全体で支えていく。農家自身も、単なる生産者から脱却し、食べ手とつながり努力と情熱を伝えることで、割高な価格の隙間を埋めていく。最初は数名で始まった取り組みが、試行錯誤と小さな成功を積み重ねることによって、たくさんの人たちから賛同を得るばかりか、彼らを活動の渦に巻き込んでいく。
地域の潜在的な力を引き出し、地域が自立していくには、何が必要なのだろうか。渦の中心で、農業の現場と行政の現場、それぞれのリーダーとしてプロジェクトを牽引してきた二人の姿勢や考え方から、学んでほしい。

 

講義の内容

鳴子の米プロジェクトの概要(紹介ビデオより)

2007年から国の農業政策が大きく転換された。本格導入された「品目横断的経営安定対策」により、大規模に耕作する農家以外は国の支援を受けることが難しくなる。鳴子温泉地域でこの支援の対象になるのは、620戸の農家のうちわずか5戸であった。
米づくりというのは、農家だけではなく地域文化を育むものであり、地域全体を大きく左右する問題である。小さな農家が多い中、農家がだめになっていくことは、地域がだめになっていくことにつながる。

2006年2月、民俗学者の結城登美雄氏は、鳴子の人々を前に「新しい米を作りましょう」と呼びかけた。鳴子のような山間地向けに作られた米が、宮城県古川農業試験場にあった。東北181号という、当時まだ番号だけの米である。「東北181号を鳴子の米づくりのシンボルにしよう。生産者米価が一俵13,000円を割り込む中、鳴子の米は一俵18,000円を確保しよう。賛同してくる人たちがきっといるはずだ。100人の人が米を買うと言ってくれれば、農家は成り立つ。5年間、生産者米価を18,000円で保証する。」農家を前にそう言うと、どうせ米はダメだ、と下を向いていた農家たちの顔が上がった。2006年5月、結城氏の呼び掛けに応じた鬼首(おにこうべ)地区3軒の農家が、東北181号の田植えを30aの田んぼで開始する。
鳴子は古くから湯治場として知られている。しかし標高の高い山間地であるため、低温と山に囲まれての日照不足により、米作不適地であった。試験栽培を行った鬼首地区の田んぼは、秋田県との県境で鳴子の中でもさらに山深い土地。田植えは5月下旬だというのに、山並みにはまだ雪が残る。流れ込むのは山からの冷たい雪解け水、上手く育つのか。
農家の不安をよそに、東北181号はすくすくと育つ。低温に強く、水管理も楽であった。
9月、第1回鳴子の米プロジェクト会議が開かれた。会議には、農家だけでなく、旅館経営者やこけし工房作家なども集まった。地域の農業を地域全体の力で守っていこう。それには大変な努力が必要だが、今やっておかなくてはならない。強い決意が固められた。
米を自然乾燥させるための杭打ちが行われ、10月上旬、新しい米は収穫された。天候不順で伸び悩んだ他の米に比べて、新しい米は予想以上に収穫量が多く、作柄も良い。昔ながらの天日干しは手間がかかるが、その分美味しくなる。これは鬼首の生産者から消費者への誠意のあかしだ。
鳴子の米の価値を高めるにはどうしたらよいか、地域が一丸となり、器や食器の工夫で新しい米を鳴子ならではの“ごちそう”にしていこうと食の勉強会も開かれた。新しい米は単収も多く、19俵の立派な米になった。出来上がった新しい米を初めて炊く。通常のうるち米より、15%ほど少ない水加減で炊いたものに人気が集まった。香りが高く、味も良い。地域食材での味付け、盛り付けの工夫など、今後の試食会に向けての準備がすすんだ。
農家のプロジェクトメンバーの一人であり、農家でもある千葉さんは初めて鳴子の米を食べたとき、試験的に作った米がこんなに美味いのか、とショックを受けたという。千葉さんは毎月一度『鳴子の米通信』を発行しており、地道な広報を続けている。
11月末、飲食店や旅館経営者などにむけて講演会を行った。新しい米は冷めてもおいしく、おむすびに向いている。結城登美雄より、旅館のお客さんに鳴子のおむすびを手渡そうとの提案があった。「この米はどこのお米ですか」と言われた時に、「地元鳴子の農家が一生懸命作っている美味しいお米なんですよ」と言えるようにしよう、という取り組みだ。
プロジェクトでは、山間地域に培われた食文化を再確認し、伝えていくことも重要と考え、12月と1月、3か所の地域で4回の聞き取り調査を行った。戦前戦後の暮らしや年中行事、農作業の苦労や食生活の変化など、地域の人々の言葉を丁寧に記録していく。
初めてのおむすび試食会では、米を作った3軒の農家が米の生育について話をするとともに、鳴子の米についてのアンケートを行った。「甘味やねばりがあり、美味しい」という反応が半数以上を占めた。様々な工夫を凝らしたおむすびが、鳴子の器に乗って登場した。
東北181号の米粉を使ったお菓子やパンなど、約40種類の発表も行われた。作付面積の3~5%は発生するくず米を、粉にして無駄なく使う取り組みである。
準備を進める中で、結城登美雄さんは言った。「いま日本人ひとりが一年間に食べるお米の量は平均60㎏。一日ご飯3膳とすると、ごはん一膳20円です。このうち生産コストは14円くらい。どうでしょう?その14円を高いという心がある限りは、日本の農業は良くならないと思います。農家と全く関係ない人でもやれることはいっぱいある。少なくとも、お米を食べる、ということには絶対協力できるはず。その米を、あの町の、あの人が作った米なら少々高くても買う、という輪が広がればよいな、と思う。」
2007年2月、東北181号は宮城県の奨励品種になった。品種改良が適地適作を理想としながらなかなか実現できない中、極めてまれな成功例と言える。
「大切なのは作る側と食べる側の新しい信頼関係。」鳴子の米の挑戦は続く。

上野健夫さん

●プロジェクトの意義

中山間地の田んぼの多くは、集約化や大規模化によって効率化することはできません。また、当地は、冷風のやませが吹き付け、年によっては収穫が皆無である時もあります。米作には非常に厳しい土地であると言えるでしょう。単収も少なく、また山間地の冷たい水で作ったお米はまずいと言われ、鳴子の米は牛のエサにもならない、と言われることもありました。米が仕事として成り立たず、収入にならないのです。それでも先祖代々受け継いだ土地を守るために、やむなく米を作り続けてきましたが、このままでは農を続ける人がいなくなってしまう、という強烈な危機感がありました。一方、鳴子は温泉地として古くから知られていますが、温泉と田園風景のマッチングが大きな魅力です。したがって、農の風景が失われてしまうことは、地域の旅館や飲食店の衰退につながってしまう、という危機感もありました。そこで自分たちにできることをしよう、ということで、地域の漆漆器職人におむすびを載せるお皿を開発してもらったり、旅館で地域の産物を使ってもらったりと、地域全体で農業を応援していく体制を整えていきました。
もう一つは、作り手と食べ手の信頼関係の回復という考え方を大切にしようと考えてきました。現在、大規模化されてつくられた農作物が多く流通しているが、大きくなればなるほど、作る側と食べる側の距離が遠くなってしまう。産地や作り手の顔もしらずに食べている人がほとんどでしょう。
私たちは厳しい状況で作っている、大変な状況で生産しているという現実を、できるだけ多くの食べる側の人にも見てもらい、知ってもらい、お互いの価値観を共有していくという取り組みを行っています。

●観光地鳴子

鳴子は、日本に11種類ある温泉のうちの9種類があると言われていて、かつては400万人が訪れる東北屈指の観光地でした。しかし、バブル崩壊以降、観光客が半減した状態が続いており、震災で追い打ちがかかっています。
観光客が激減すれば、まちは尻すぼみになっていきます。しかし、鳴子には多くの住民が自ら活動しようというグループがあります。危機感をいち早く感じ、住民自らが問題意識をもって活動を続けています。例えば「東鳴子ゆめ会議」というグループでは、温泉と農業を組み合わせ、農作業後に温泉に入る、山作業と温泉を組み合わせる、最近ではヨガと温泉を組み合わせるなど、現代的な提案をしたりしています。鬼首では、廃校を利用して若者が地域に定住するための取り組みをしているNPOもあったりと、色々な団体が町の活性化に向けて活動しています。普段は個別に活動していますが、大きなイベントがあると横の連携をとって、「鳴子ツーリズム研究会」という括りで活動したりします。

●地域の力

一市民として役所を見ると、役所は国・県から与えられた仕事をこなしているだけで、多くの政策を地域の実情に合っていないまま地元に押し付け、机上で仕事を処理し、地域の住民に会いに来ない、と感じています。地域の中には経験や専門知識があり、埋もれそうな財産がまだまだ眠っています。それらを、当時の農政課の役場職員である安部がうまく結び付けたのが、鳴子の米プロジェクトが成功した大きな要因だと思います。
今年、鳴子の米プロジェクトは8年目。順風満帆に来たと思われるかもしれませんが、日々大変な思いをしています。例えば、収穫した稲を干す杭がけの作業は、手間が非常にかかるのですが、作り手の想いを消費者に伝える手法と考え、これまで7年間継続してきました。しかし、高齢化などの理由で、昨年杭がけして天日乾燥させる米の量が全体の1/3ほど減ってしまいました。ここが岐路だと判断し、一大決心をして、今年からコンバインでの乾燥をしはじめました。さらに、安心して米づくりができる価格設定にするために、これまで天日干しで設定していた米の値段をコンバインの米の値段とし、天日干しをワンランク上の値段にしました。手紙を全国に送り、翌日苦情の嵐になることを予想しましたが、苦情は一軒もなく、結局、杭がけの米の注文はコンバインの米より多いという結果になりました。私達が想いを伝えてきたのは、無駄ではなかったと思っています。
これからも作る人と食べる人の信頼関係がしっかりできるよう、進めていきたいと思います。ここからが、鳴子の第二ステージです。

安部祐輝さん

●鳴子を本気で考える出会い

私は元々鳴子の人間ではなく、スキーがしたくて鳴子へ来て、役場に入りました。最初に公民館に配属されたのですが、この業務を通じて色々な人のつながりができたことが、現在につながっています。その後、13年間、農政担当をしているのですが、最初は減反の生産調整をやっていました。国、県ときて市町村でコメの生産量の調整をするんですが、その話を農家の皆さんとする度に、農家の皆さんの顔が曇るんですね。農家の皆さんの元気を生み出すために農政の仕事をしているのに、どんどん農家の皆さんの元気がなくなり、耕作放棄地が増えていく。何かおかしいと思いました。国の政策自体がこの地域に合わない、中山間地域である鳴子独自の道を考えた方がいいだろう、と思い始めました。そして、仕事が終わった後、地域の人を夜中訪ねて、お話を聞いて回りました。
その中で、旅館を経営する板垣幸寿さん、現在は辞めてしまわれましたが公民館職員だった大沼幸男さんなどと出会い、夜中訪ねていく私に、自分の利益でなく、鳴子のことを考えて本気で対応してもらったことが、私も本気でやらねばならないと思う契機になりました。

●「鳴子スタイル」の確立

鳴子は山間地なのですが、例えば野菜をただ出荷するだけではなくて、作っている現場を知ってもらって買ってもらう、グリーンツーリズム的なことができたらと思いました。折しも観光客が半減した時期と重なり、危機感は共有されていましたので、行政からのアプローチとして「鳴子ツーリズム講座」をやりました。グリーンツーリズム講座としなかったのは、農業だけの問題と捉えて欲しくなかったからです。月に一回、テーマは観光、湯治、農村体験など設定しましたが、毎回100人ぐらい集まってくれました。タイミングが良かったようです。皆、危機感を持っていたんですね。
その中でたどり着いたのが「鳴子スタイル」でした。温泉地であり、農山村でもある鳴子で、各分野に関わる者が連携し、地域の人・資源・文化などを再認識して学びあい、様々な交流の中で、鳴子での新しい暮らしの形を実践・発信していくことが必要なのではないか、ということにたどり着いたのです。鳴子ならではのものを追求しないといけないよね、という認識を全員で共有した瞬間でした。
その際、課題になったのは、タテ割の関係性でした。国、県もそうですが、地域でも旅館なら旅館、観光なら観光と、一緒に参加しているのに縦割りの関係性から抜け出せなかったんですね。そこの垣根をどう取り外せるか、外から見れば鳴子は一つなので、関係をタテからヨコにしようと、それをコンセプトにしました。

●「鳴子ツーリズム研究会」の設立

そうして民間が主導する形で、「鳴子ツーリズム研究会」を設立しました。補助金が終わると活動も終了してしまうような団体にしたくなかったので、自分たちで会費を出し合って運営する形式にしました。結果的には、それが良かったのだと思います。
この会では、実験的に色々な活動をしてみました。例えば、「田んぼ湯治」として完全無農薬の米作り体験、これは2週間に1回位は草取りをしないと間に合わないのですが、それに温泉での湯治を組み合わせて、地域資源を体験してもらう講座を開きました。毎回100人くらい参加者があって、田んぼに入りきれないくらいでした。
また、「第2回全国グリーンツーリズムネットワーク宮城鳴子大会」を行いました。2004年に第1回の大会が熊本県水俣であって参加し、その際、飲んだ勢いで第二回の開催地として名乗りを上げてしまったのですが、町長には怒られました。開催までの期間、地域の方と話し合い、お金を集め、取りまとめていくという経験をしました。開催に向けた打ち合わせは、毎日旅館などの仕事が終わった夜12時から。大変な日々でしたが、それを毎日やったことが本当に良い経験で、自信になりました。大会当日は、テーマごとに4時間徹底討論しました。教育との連携、食文化、ツーリズムの質の向上、コミュニティ再生、農村景観、など非常に深い討論をしました。

●鳴子温泉郷ツーリズム特区の設立

当時は、小泉首相の時代で規制緩和路線でしたので、それに乗っかって「鳴子温泉郷ツーリズム特区」を設立してみました。内容は、多様な市民農園の開設、農地取得下限面積の緩和(50a⇒10a)、特定農業者によるどぶろく製造数量の緩和です。大事なのは、ツーリズムという一つのキーワードで皆がつながってやっていけるという認識を共有すること、もうひとつはそれを外部に発信することです。
そんな中で、県内初のどぶろくの飲める農家レストラン、「土風里(どっぷり)」が誕生しました。現在は3か所でどぶろくを出しています。

●なぜ米の取組が必要だったのか

このような取組で、観光振興などには寄与でき、地域の一体感は感じたのですが、本来考えていた農業振興という観点からは、農家が元気になることが実現できていないという思いがありました。そんな中、旅館を経営する板垣氏の紹介で、民俗学者の結城登美雄先生をご紹介いただいたのですが、結城先生から、農家の本当の問題にアプローチできていないのではないか、という指摘をうけました。
地元のJAでは、鳴子の米の評価が低く、鳴子エリアの米の食味値は低いと言われていました。そんなことでなんとかして,上流のきれいな水で育つ鳴子エリアの米の価値を伝え普及したい、と思っていたので、結城先生から話があった時、米をやりますと即宣言しました。
鳴子の米プロジェクトのスタートです。当時は、国も減反でコメを減らせという動きでしたし、地域でも米なんてやれるわけない、と思われていました。既成概念にとらわれていたら絶対できないと思いましたし、どうやったら一過性の流行などではなく、米に関心を向けることができるかを考えました。また、鳴子の一番奥の鬼首地区は自然の暮らしそのものを実現していて、条件は厳しいけれども、人があったかい。それを何とか表にひっぱり出して、人に見せたいと思いました。
それには、これまでツーリズムでつながった異業種の人たちと解決していけばいいと思いました。やる前には、ひとりの想いの積み重ね、小さいことを馬鹿にしない、必ず課題は出てくるけれども、考えていけば解決する、失敗してもいいからやる、ということをイメージしていました。鳴子ができることをやればいいんだ、ということです。外から見れば順調に取り組みが進んだように見えたかもしれませんが、実は課題だらけで、一つ止まったら全部アウト、という状況が続いていました。
マスコミも、想いがあると判断できない相手は、全て断っていました。全国放送でやるからと、現地に来ないような話は全部断りました。間違って伝わってしまう恐れがあったからです。県庁に何度もお願いに行き、試験栽培は認められましたが、品種登録までは難しいと言われていたので、それをなんとか奨励品種にしてもらえるよう、非常に苦労しました。

●結城先生が教えてくれたこと

中山間地の農業というのは本当に苦しいのですが、今回の取り組みが鳴子だけではなく、全国の中山間地の一つのモデルになればいい、と結城先生は思ってプロデューサーを引き受けてくれたのだと思います。先生が考える大切なポイントは、地元が考えることです。鳴子全体に希望を産むためにも、一番苦しいところが救われなくてはならない、それが出来れば地域の問題は自ずと解決するのではないか、ということで、試験栽培は鳴子の中でも最も条件の厳しい地域を選んで、3人の農家にお願いしました。さらに、杭がけが地域の特徴を体現していると思ったので、乾燥は杭がけでいきましょうと農家にお話ししたところ、よしやってやるか、という反応を頂いて、これはいけるなと思いました。

●鳴子の米プロジェクトに対する地域の思い

地元の中学生にプロジェクトの話をしたところ、こういう反応が返ってきました。「鳴子は小さいところなのに、鳴子ができることをやっているのがすごいと思った。」「鳴子だけでなく、日本の農業を救う取り組みだと思った。」「お米の価格がこんなに安くて農業が続けられないのを知って、じいちゃんが頑張って作っているのを思って悲しくなった。でもこのプロジェクトで、みんなを救ってほしい。みんながずっと農業を続けていきたい、と思うように。」この話のあと、子供たちが杭がけを手伝いに来てくれて、一日がかりの杭がけがたった1時間で終わり、農家はとても喜びました。
仙台のお弁当屋さんも普及に協力したいということで、「ゆきむすび弁当」という鳴子の米を使った弁当を作ってくれたのですが、その記者会見の席で農家の作り手の曽根さんが、「50年米を作り続けてきてよかった」と涙を流して言ってくれました。鬼首地区でずっとコメ作りをしてきて、鳴子の米は美味くないなどと言われてきた曽根さん。そういう一人一人の想いが大事で、このプロジェクトをやってきた甲斐があったな、と思いました。

●結城先生の哲学

・地元に暮らす人が、もう一度地元を学び直し、地域の意思で責任を持って行動する。
・心の奥底にある日本人・地域人としての大切な思いを取り戻す。人間の力を信じる。
・大切なことを見逃さないこと。特に小さいことをていねいにやる。(人は簡単な方に向かうので、かなり難しい。)
・現場は急には変わらず、ぐずぐずと変わっていく。
・気づいた人から、やる人が、やる。
こういうことを結城先生には教えられたと思っています。

●持続する地域づくりについて思うこと

最後に、私が普段大事だと考えていることをお話しします。
・行政、住民という垣根を外す。自分も一住民として考える。当たり前のことなのですが、これが大事だと思います。
・行政や自分の都合ではなく、相手の気持ちを本気で考え、一緒に行動する。人が本当に動くときには、お金ではなく気持ちで動きます。
・難しくてもあきらめないこと。必ず道が開けてきます。
・地域内が基本で一番の基礎ですが、と外の応援団とも互いにいい関係があればベスト。
・住民がやる気、元気になれば、地域づくりが持続する。
・一番厳しい状況で暮らしている人の気持ちになって考えられるのかを常に考える。そしてその人のために何倍も汗をかくということをしないと、本気にならないと感じます。

 

【質疑応答】

 

Q 担い手の問題があると思いますが、鳴子ではいかがですか。
A (上野氏)現状としては、担い手は不足しています。私の家にも子供がいて、学校を卒業して農業を継ぐ、という話がありましたが、私の方がそれを受け入れられる状況になく、外で仕事をして待ってもらっています。鳴子は二種兼業農家が多く、また若い人が働く場所もあります。今は役場や農協を退職した60歳の若者が、労働力になっています。
10年後、現在70歳前半で働いている人が働けなくなった時、大きく局面が変わるのかな、と思っています。

Q 東北181号という品種の選定は、どのようにしたのでしょうか。
A (安部氏)既存の品種でもいいと思ったのですが、結城先生から新しい米の品種を農業試験場で探してみたらという提案を頂いて、早速日頃から友達のようにつながっていた県の普及センターを通じ、出会うことができました。山間地向けの米は3つあって、うるち米、低アミロース米等があったので、おむすびに最適な低アミロース米「東北181号」という米を選びました。

 

Q NPOの運営はどのようにしているのですか
A (上野氏)現在一俵24,000円で食べ手に販売していますが、農家からは一俵18,000円で購入しています。その差額がNPOの運営資金に当たります。発足から3年程度は行政から交付金をもらって活動していました。3年目以降は、ほぼ行政の力を借りずにやっています。1,000俵を売って600万の売り上げがあっても、経費でほとんど消えてします。非常に貧しいですね。しかし自分たちで収入を生み出して、運営していく、厳しいですがそれが必要だと思っています。

Q 安部さんの行政の中での立場はどんなものですか
A (安部氏)やり始めた当時は、意味が分からない、何やっているの、という反応でした。既存の仕事は仕事でやって、それ以降、夜の10時から12時までやるという感じでした。上司にはきちんと報告していましたし、取り組みの意義を課内くらいには伝わるようにしていました。どんなに分かってもらえなくても、後ろには住んでいる人がいます。これが絶対的に強く、行政ごときに地域の意思というものは曲げられない、と思っています。

 

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2012年度
「鳴子の米の挑戦~地域の自立に向けて」上野健夫(レポート)
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