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鳴子の米の挑戦~地域の自立に向けて~

キーワード:

講師:上野健夫(NPO法人鳴子の米プロジェクト理事長)、安部祐輝(大崎市産業経済部農林振興課農業経営係長)
日時:2014年6月7日(土)12:30~14:00
文責:長崎県佐世保市 中尾 大樹(2014年度参加者)

本講義の目的

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農業について考える時、政策面から産業としての農業単体で捉えられることが多くはないだろうか。しかし、現場目線でよくよく見てみれば、農業とは、地域の風土、文化、風習と不可分のものあり、それ自体がその地に暮らす人々の日々の営みだということが見えてくる。つまり、農業をめぐる課題は、農政改革だけをもって解決し得るものではなく、地域に暮らす人たち自身が、ここでの生活をどうしていくかという根本的な問いに向き合うことで、それぞれの進む道を考えていくしかない。
農村では、高齢化・後継者不足により、耕作放棄地の拡大が日々深刻化している一方、国の農政は政治情勢により迷走を続け、再生への道筋を示すどころか、地域の現場に混乱をももたらしている。こうした中、“農をあきらめない”という強い意志を持ち、目の前で衰退していく米作りを地域独自の力で再生しようと始まったのが「鳴子の米プロジェクト」だ。米作りを農家だけの問題にせず、観光地鳴子に欠かせない田園風景を生みだす地域の営みと捉え、地域全体で支えていく。農家自身も、単なる生産者から脱却し、食べ手とつながり、努力と情熱を伝えることで割高な価格の隙間を埋めていく。最初は数名で始まった取り組みが、試行錯誤と小さな成功を積み重ねることによって、たくさんの人たちからの賛同を得、彼らを活動の渦に巻き込んでいく。
地域の潜在的な力を引き出し、地域が自立していくには、何が必要なのだろうか。渦の中心で、農業の現場と行政の現場、それぞれのリーダーとしてプロジェクトを牽引してきた二人の姿勢や考え方から、学んでほしい。

講義内容

≪鳴子の米プロジェクト 概要≫

2007年、国の農業政策が大きく転換したことで、東北地方の中心に位置する宮城県大崎市鳴子では、その支援が受けられる農家が620戸中わずかに5戸になってしまった。鳴子は小さな農家が多い。そこで国の支援が受けられないということは、農地が守れないということであり、農地が守れないことは、地域の風景が失われていくことを意味する。地域の生活を守ってきた農業と農村風景を自分たちの力で守っていけないか、その取り組みが鳴子の米プロジェクトである。

2006年2月、プロジェクト立ち上げの会議で、民俗学者の結城登美雄氏は、鳴子の人々を前に「新しい米を作りましょう」と呼びかけた。そこで目をつけられたのが、山間地向けに作られた東北181号という米。冷めてもおいしく、おむすびに向いているのではないかという。「東北181号を鳴子の米づくりのシンボルにしよう。生産者米価が一俵13,000円を割ろうとする中、鳴子の米は一俵18,000円を確保しよう。賛同してくる人たちがきっといるはずだ。100人の人が米を買うと言ってくれれば、農家は成り立つ。5年間、生産者米価を18,000円で保証する。」この言葉に、どうせ米はダメ、と下を向いていた農家たちの顔が上がった。
2006年5月、結城氏の呼び掛けに応じた鬼首地区3軒の農家が、東北181号の田植えを開始。植え付け面積30aでのスタートだった。鳴子は豊かな湯治場として知られている。しかし標高の高い山間地であるため、低温と山に囲まれた日照不足により米づくりは難しかった。試験栽培を行った鬼首地区の田んぼは、秋田県との県境で鳴子の中でもさらに山深い土地。田植えは5月下旬だというのに、山並みにはまだ雪が残る。流れ込むのは山からの冷たい雪解け水、水温管理が難しいこの地域で新しい米は果たして上手く育つのか。そんな農家の不安をよそに、東北181号は順調にと育つ。低温に強く、水管理も楽であった。

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同年9月、第1回鳴子の米プロジェクト会議が開かれた。会議には、農家をはじめ、旅館経営者やこけし工房作家なども集まった。地域の農業を地域全体の力で守っていこう。それには大変な努力が必要だが、今やっておかなければならない。強い決意が固められた。米を自然乾燥させるための杭打ちが行われ、10月上旬、新しい米は収穫された。天候不順で伸び悩んだ他の米に比べて、新しい米は予想以上に収穫量が多く、作柄も良い。昔ながらの自然乾燥手間がかかるが、その分美味しくなる。これは鬼首の生産者から消費者への誠意の証である。
10月には食の勉強会が開かれた。地域が一丸となり、鳴子の米の価値を高めるにはどうしたらよいか、器や食器の工夫で新しい米を鳴子ならではの「ごちそう」にしていこうと様々なアイデアが出された。東北181号は、19俵の立派な米になった。香りが高く、味も良いと評判は上々。プロジェクトメンバーの一人であり、農家でもある千葉さんは初めて鳴子の米を食べたとき、「試験的に作った米がこんなに美味いのかと、ショックでした」と語る。千葉さんは現在、毎月一度『鳴子の米通信』を発行しており、地道な広報を続けている。このように裾野が広い取り組みが鳴子のプロジェクトには欠かせない。
11月末、地元の飲食店や旅館経営者などにむけて講演会を開催した。やはり新しい米は冷めてもおいしく、おむすびにも向いていた。結城氏からは、旅館のお客さんに鳴子のおむすびを手渡そうとの提案があった。「この米はどこのお米ですか」と言われた時に、「地元鳴子の農家が一生懸命作っている美味しいお米なんですよ」と言えるようにしよう、という取り組みだ。
プロジェクトでは、山間地域に培われた食文化を再確認し、伝えていくことも重要と考え、12月と1月、3か所の地域で4回の聞き取り調査を行った。戦前戦後の暮らしや年中行事、農作業の苦労や食生活の変化など、地域の人々の言葉を丁寧に記録していく。

12月は、初めてのおむすび試食会。米を作った3軒の農家が米の生育について話をするとともに、鳴子の米についての食べ比べのアンケートを行ったが、「甘味やねばりがあり、美味しい」という意見が半数以上を占めた。様々な工夫を凝らしたおむすびが、鳴子の器に盛られて登場、大きな話題を呼んだ。また、東北181号の米粉を使ったお菓子やパンなど、約40種類の「作品」の発表も行われた。作付面積の3~5%は発生するくず米を、粉にして無駄なく使おうという取り組みもはじまった。ここでも様々なアイデアに基づき、多くの商品が作られ、その種類に人々は驚きの声をあげた。
結城氏は語る。「いま日本人ひとりが一年間に食べるお米の量は平均60㎏。一日ご飯3膳とすると、ごはん一膳20円です。このうち生産コストは14円くらい。その14円を高いという心がある限りは、日本の米は良くならないと思います。農家と全く関係ない人でもやれることはいっぱいある。一番は、「食べる」ということ。その米を、あの町の、あの人が作った米なら少々高くても買う、という輪が広がればよいな、と思う」。一年後のお披露目の場は、参加者に多くの驚きと気づきを与える盛大で楽しい会となった。
2007年2月、東北181号は宮城県の奨励品種になることが決まった。品種改良が適地適作を理想としながらなかなか実現できない中、極めてまれな実践例と言える。「大切なのは作る側と食べる側の新しい信頼関係を築くこと」。鳴子の米の挑戦は今も続いている。

≪上野健夫さん≫

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●危機感が地域を見つめなおすきっかけ
国の政策転換から生まれた農業への危機感が、もともと温泉で有名な観光地、鳴子にあって、その周りを取り囲む田園風景も大切な観光資源であるということに気づかされるきっかけとなりました。先述の結城登美雄先生をお招きして、はじめは行政主導での出発でした。当時、合併前の鳴子町職員だった安部さんが、中山間地の農地がどんどん耕作放棄地になることを何とか食い止められないか、とあちこち駆けずり回っていた時代があり、それがプロジェク開始当初の原動力となりました。この段階から住民と行政のコラボレーションが出来ていたのですが、これはよかったと思います。それは、住民と行政が同じ危機感を持ち、同じ目線に立ってはじめることができたから。普段、行政は、住民を上から見下ろしているように感じる場面も多いですが、安部さんは住民によく目を配ってくれ、住民の意見も汲み取ってくれた。合併前、当時小さいまちの役場であったこともあって、住民と行政の協力関係のもと好スタートが切れたのではないかと感じています。みなさんにも机上だけで考え、機械のように行動するような公務員にはなっていただきたくないと思います。

●信頼関係で築かれたネットワーク
このプロジェクトで大事にしたのは次の3つです。

  • 地域のみんなが協力し合い地域の力で農を支えようということ
  • 持続可能な価格設定で売ろうということ
  • 作り手と食べ手の新しい信頼関係を丁寧に築いていこうということ

プロジェクトが、今年9年目の春を迎えることができたのは、メディアや、旅館、お菓子屋さんなど、内外の他業種の方々との繋がりを大事にしてきて培われた信頼関係によるところが大きいと思います。東北181号は「ゆきむすび」と命名されましたが、これは、人と人、海と山、都市と農村など、数えきれない出会いのネットワークを「むすび」、広げていきたいという気持ちを込めたものです。
当初このプロジェクトは24,000円の米価を5年間守り続けるという期限付きのものでした。この場合、一杯分の茶碗のお米は24円です。これを高いとみるか安いとみるか。考えてみると、苺1個、ポッキーだと4,5本と同じ価格です。米作りを持続可能にするには、米作りが仕事として成り立つようにしなければなりません。その意味で、作り手と消費者の米の価格に対する価値観を変えていかなければならないと感じました。これも信頼関係です。

●ピンチ、そして鳴子の米の第2ステージへ
その後、東日本震災の風評被害や、詐欺に遭うなど不幸な事件が重なり、生産者との関係がぎくしゃくしてしまう辛い時期もありましたが、昨年から第2ステージということで新たな気持ちで取り組みをやり直しています。

第2ステージを始めるにあたり、大事にしたいと思ったことも、地元との信頼関係を取り戻すということでした。新聞折り込みで年に4回の全戸配布を目標に、途絶えていた「米通信」を復活させることにしました。また、震災の時のスーパーから食料品が消えるという経験を基に、東京や地元を舞台に、地域の食を見つめなおすイベント「食の哲学塾」をはじめました。
さらに、新たなチャレンジとして米の価格を上げることにしました。これは、地域の高齢化が進み、一部米作りに機械を導入せざるを得なくなったためです。コンバインのお米を24,000円、自然乾燥米を30,000円とする苦情の電話を恐れながらの挑戦だったのですが、7割の方が高くなったお米を購入してくださいました。これもこのプロジェクトを持続させる上で、消費者との信頼関係を大事にしてきたからこそうまくいったと言えるのかもしれません。その他、都内の企業との連携や、県の無農薬認証制度への挑戦などがはじまっています。
私たちの取り組みは、筋書のないドラマで、いろんな困難が降り掛かってきます。その時頼りになるのは、コンサルタントやアドバイザーではなく、ブレない想いを継続することです。外部のアイデアはカンフル剤にしかなりません。自分たちでいかに汗を流すかということが大事だとつくづく感じています。

≪安部祐輝さん≫

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●よそ者の役場の人間が目覚める
鳴子の米プロジェクトは、プロジェクトありきではじまったものではありません。そこに至るまでの過程を、行政の立場から補足させていただきたいと思います。
私は鳴子生まれではないよそ者です。成り行きで役場に入りましたが、最初に公民館に配属され、その時に学んだ気持ち、出会った人々とのつながりが今の私を動かしているように思います。その後、減反に関わる生産調整を3年間携わっていました。そこで仕事にマジメに取り組めば取り組むほど、毎年毎年、農家の人々のやる気や元気がなくなっていく様子を見て、無力感を覚えるようになりました。自分は農家が元気の元気が出るように給料をもらって仕事をしているはずなのに、これではまるで農家の元気をなくすために農政をやっているのではないかと。それは、国や県で決められた画一的な業務が、中山間地である鳴子に合わなかったということなのでしょう。そこで、鳴子が独自の道を歩むために、公民館で出会った人々との対話からスタートしたいと思い、仕事が終わってから夜な夜なキーマンを回って歩きました。そうしているうちに、地域の人が、自分の利益にはならないところの思いを話してくれました。これはもう自分も本気でやらなくちゃいけない、その思いに応えないといけないと思いました。そういった独自の考えを持つ人たちを行政は避ける傾向にあると思います。でも、本気で考えている人は、色々な考え方持っていて、深いんですよ。そういうところにこそアイデアがある。将来が見えてきた感じがしました。こうして、無償で本気で向き合ってくれた人々のエネルギーが、今のプロジェクトに繋がっています。

●スタートはグリーンツーリズムから
その対話で生まれたアイデアから、まず行政側からのアプローチとして平成15年から、「鳴子ツーリズム講座」をはじめました。これは、農業振興にあたり、米の商品価格のような表面的なものではなく、現場に足を運んで本当の鳴子を知ってもらうことができないだろうか、という考えに基づくものです。また、鳴子独自にこだわる上で、農業だけを切り口にすると可能性を狭めてしまうのではないか、という気持ちもありました。月に1回合計4回の会議は毎回、50名から100名の方々が集まってくれました。実は、当時、最盛期400万人いた鳴子への観光客が半減しており、これに伴う危機感と、行政に任せておけないという機運がまちに広がっていた時期で、いいタイミングでもあったのです。この様々な分野に携わる人々が集まった勉強会を通じて、実は鳴子の人々も行政と同じ縦割りで、外からみれば一つの鳴子が横に繋がっていないという課題が見えてきました。

●手弁当ではじまった実験活動
そこで、「タテからヨコへ」というコンセプトを掲げた「鳴子スタイル」という言葉が生まれ、民間が主導する形で「鳴子ツーリズム研究会」が設立されました。この会では、会費を出し合って様々な実験に取り組みました。「田んぼ湯治」というイベントもその一つです。本来湯治は、農作業で疲れた人が行くものでしたが、今は都会の人は農作業でも癒されるのですね。無農薬の米づくり体験と地元のごはん、温泉を組み合わせたもので、田んぼに入りきれないほどの人が集まりました。また、「第2回全国グリーンツーリズムネットワーク宮城鳴子大会」に取り組みました。2004年に第1回の大会が熊本県水俣市であって参加し、その際、第二回の開催地として名乗りを上げました。それから開催までの期間、地域の方と話し合い、お金を集め、取りまとめていくという経験をしました。開催に向けた打ち合わせは、毎日旅館などの仕事が終わった夜12時から。大変な日々でしたが、それを毎日やったことが本当に良い経験で、地域にとって大きな自信になりました。大会当日は、テーマごとに4時間徹底討論しました。教育との連携、食文化、ツーリズムの質の向上、コミュニティ再生、農村景観、など非常に深い討論をしました。
行政側からの取り組みとしては、お金は出せないなら規制緩和を、という当時の流れに乗って、「鳴子温泉郷ツーリズム」特区として申請を行いました。これは、市民農園の開設や農地取得面積の緩和、農業者によるどぶろくづくりなどからなるもので、県内初のどぶろくが飲める農家レストランの誕生などに繋がっていきます。

●ツーリズムから鳴子の米という核心へ
様々な取り組みは充実感がありましたが、果たして地域の農家がよくなっているのかという問いは残りつづけていました。国の農政は規模拡大路線かつ特に米は売れないんだからこれ以上作るな、という雰囲気がありましたし、そもそも鳴子の米が果たしておいしいのかと根本的な議論もありました。その中で、当時仕事でも関わりのあった鳴子の一番山奥にある鬼首地区が気になってきました。人があたたかく、農をベースにした自然の暮らしを実現しているけど、鳴子の中でも特に厳しい条件下にある。この方たちが、希望を持てるような取り組みができれば、それが鳴子全体の希望に繋がるのではないか、と考えました。そこで、冒頭紹介した鳴子の米プロジェクトがはじまりまったという流れです。
どうやってやろうかと思った時に、ツーリズムの手法を使いました。つまり、地域の力、人の力を総動員する。基本は一人の思いと行動、バカにしないこと。どれだけ考えたかが大事で、その積み重ねから答えが出てきます。失敗するかもしれないけどやることが大事で、失敗してもいいと思えないとやれない。他の何処かじゃなく、鳴子ができることをやればいいんです。

●結城登美雄さんから学んだこと、行政職員へのメッセージ
行政側からしてもはじめてづくしのプロジェクトで課題だらけでしたが、その時力になったのが、これまでのツーリズムの取り組みや、結城登美雄さんからいただいた言葉でした。そのことばと、これまでの私の取り組みを通じて同じ行政マンとして伝えたい事を最後にお話します。

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私が思う、結城登美雄さんの哲学

  • 地元に暮らす人が、もう一度地元を学び直し、地元の意志で責任を持って行動すること。
  • 心の奥底にある日本人・地域人としての大切な思いを取り戻す。人間の力、思いを信じるということ。
  • 小さなところに大事なことが隠れているので、見逃さず丁寧に探し、取り組むこと。
  • 現場は一気にではなく、ぐずぐず変わるのでまず続けること。
  • まずやりたい人がやるということ。

行政マンとして伝えたい事

  • 行政・住民という垣根をはずす。自分も一住民でもあるということ。
  • 行政のためにではなく、人のために働くということ(当たり前だけどむずかしい)。
  • 人が本気で動くのは、お金ではなく「気持ち」。お金や助成金に惑わされないということ。
  • 内外の人と本気の関係性をつくっていくということ。行政や自分の都合ではなく、相手のことを本気で考え、一緒に行動する。
  • そしてそのためには、一番厳しい状況で生きている人の気持ちになって考え、その人のために何倍も汗をかくということ。

質疑応答

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Q.行政の中でプロジェクトを立ち上げ、続けていくことに苦労はありませんでしたか?

A.(安部氏)時間がかかりましたが、住民ひとりひとりに目を向けて取り組みを続ける中で、まず住民が応援してくれるようになりました。また心あるマスコミの方々との個人レベルでの繋がりも大きかったように思います。個人をベースとした内側と外側から大きな流れができていったとき、行政の中での動きは自然とついてきたように感じます。

Q.このプロジェクトを継続させるような人材や仕組みは育っているのですか?

A.(安部氏)行政には異動がつきものですし、担当が変わって終わってしまう取り組みも多くあります。行政として続けるべきものであれば、その仕組みは必ず必要です。例えば特区制度などは今も残っています。対して、鳴子の米プロジェクトに関して言えば、地域としてこの取り組みを持続させるという意思表示をしたいという気持ちから、議論の末、NPO法人化という道を選びました。現在私はその理事として関わっています。また、このプロジェクト自体が風化しないよう、「食の哲学塾」などといった新たなイベントを仕掛けていっています。

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