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2015年度国内調査~熊本県水俣市~ 「ここに生きる希望をつくる」

キーワード:

調査地:熊本県水俣市
日程:2015年9月25日(金)~27日(日)
参加者レポート:天理市 吉本幸史(2015年度参加者)

◆本調査の目的

「まちづくりはそこに住む人々の『想い』から始まる」。

週末学校では、このメッセージを一貫して伝え続けている。この「そこに住む人々の『想い』」とはどのようなものだろうか。そして、そこからスタートしたまちづくりとは、どんな様相を呈しているのだろうか。
水俣病という苛烈を極める苦難を抱えながら、地域の自然や風土、そして人と人とのつながりを再起させ、新たな地域の価値を生み出し、人々が「ここ」に生きる希望を作ってきた熊本県水俣市。吉本哲郎氏(地元学ネットワーク主宰)によると、「水俣は魂の最も深いところが震えるまち」とのこと。本調査では、その地を実際に訪れ、混乱の渦中に身を置きながらも、地域の再生のために尽力し続けてきたキーパーソンらにお会いする。そして、対話や議論を通じて、彼らの地域に対する想いや哲学を肌で感じると同時に、この地域が発する熱量に触れ、真のまちづくりとはどのようなものなのかを探る。
日々の生活の中に生まれた苦しみを含め、地域の想いを背負い歩み続ける人々に会い、自身の地域に対する見方や姿勢を見つめなおす機会としてほしい。

◆参加者レポート

9月の水俣市国内調査に先立つこと4か月前、東京にて私たちは「地元学」を、講師の吉本哲郎氏から学んだ。地域の再生は、大きなことから始まるのではなく、足元の川や森、海を知ること、地域の人々の思いに寄り添うことから始まる。その学びをもって私たちは地元に帰り、それぞれが体当たりで地域のことを調査し、古老に話を聞き、絵地図や聞き書きにまとめ、いままで気づかなかった足元の宇宙に気付かされ、何より自分たちがいかに地域のことに無知であったかを知ることになった。
その吉本氏がかつて市職員として活動してきたのが水俣市。社会の教科書で公害病である水俣病が発生したところとして習った街だ。水俣市は、1950年代の公害発生から幾多の対立や抗争、差別など社会的混乱を経て、90年代に環境モデル都市として転換を図った。そのなかで、ごみ減量運動や環境マイスター制度などを推進してきた吉本氏の底流にあったのが「地元学」だった。いったい、彼を生み出した水俣市とは何なのか。何が起こって、何が起きているのか。人々はどんな思いで生きているのか。水俣病そのものや、90年代に舵を切った当時の市長、現在地域再生に取り組むキーマンたちに出会うことで、少しでもそれらの答えを感じ、自分の地域づくりに生かすことができればいいのにと願いながら、水俣を訪れた。

 

【水俣の生活と水俣病】
 水俣1杉本肇さんは、水俣病の語り部の一人である杉本栄子さんの長男だ。不知火海の一角にある茂道という漁村で漁師をされている。当日は海に面した加工場で、お母さまや家族を通して、水俣病について語ってくださった。事前に私たちはいくつかの資料を通して水俣病とそれによる社会的混乱の中身を学んできたつもりだった。しかし、水俣病にかかった母をもつ肇さん自身から語られる水俣病は、資料からは読み取ることができない、生身の親と子の感情で満ちていて、とても涙なくしては聞くことができないものだった。印象に残ったのは、最後に彼が言った「子供たちが、水俣に生まれてよかった。と語るところになってほしい」という言葉だ。一見ありふれた言葉に聞こえるが、水俣市はかつて、ここに生まれてよかったと子どもが言うことができない街だった。だから水俣においては、これほど重い言葉はないのだ。3日間、様々な人に出会ったが、皆さんが同じように思っていらっしゃったように思う。
 加工場から外に出ると、9月の末だというのに日差しは熱かった。浜の向こう側には照葉樹林の岬が見えた。吉本氏が海で魚が育つにはその照葉樹林の葉の養分が大切であること、はるかむこうに見える山頂には漁師たちが貝や珊瑚、海藻を供えて祀っていることを話してくれた。不知火海も木々も美しかった。水俣市での調査は、この自然と、水俣病を乗り越えてきた人々の思いが出発点だった。

 

【水俣中央商店街の取り組み】 
水俣2中央商店街は、全国のいたるところで見かける全盛期を過ぎた商店街だ。しかし、その状況の中でしっかりと地に足つけて前を向いているキーマン2人と、市役所職員2人から話を伺った。いくつかの事例の中で興味深かったものの一つは、山間地域に当たる頭石地区の栗をケーキ屋である笹原和明さんが洋菓子に利用している事例。商店街と山間地域をつないだのは、市役所で働く冨吉正一郎さんだ。よくある地産地消の企画もので終わるのではなく、笹原さんは、品質がしっかりしていないと取引はできないと明言し、その言葉に頭石の方々も奮起してよい栗を納品する。当たり前だがそうやってビジネスがきちんと成立している。そしてもう一つは、調剤薬局の永里寿敏さんが紅茶を使ったエコ石鹸の開発研究をしているときに、冨吉さんが彼を杉本栄子さんに引き合わせたこと。この二つの事例から感じたのは、冨吉さんという市役所職員の役割の大切さだ。市内のほかの地域の動きを熟知していること、水俣の記憶を語るうえでの人物を知っていること、そして、悩みを抱える市民の相談役になるまでの信頼の構築をしっかり行っていること。補助金という形ではなく、そういうサポートの仕方がある。笹原さんはいう「役所の人間が自分たちのやりたいこと(役所の事業)を言ってきても心に響かない」「やっている人間を認めてやることが役所の仕事」彼の率直な言葉のなかに真実がある気がした。

 

【頭石村まるごと生活博物館の説明】
 水俣3頭石村は、水俣の中心市街地から約15キロ離れた鹿児島県境にある谷筋の集落だ。「元気な村づくり条例」における「村丸ごと生活博物館」にはじめて認定され、国内外から人がこの村を訪れる。お客さんに「人が生きていくため必要なもの」という一風変わったガイドツアーを行っている。「村の存続があやぶまれるような人口減少と遊休農地の増加がきっかけだった」と発起人の一人である勝目豊さんは言う。地域の様々な職業の15人からスタートして、今に至るまでの試行錯誤やご苦労を伺った。外から人が来て自分たちの足元の生活を興味深く聞いてくれることが、次第に地域の人々の元気につながってきて「頭石は化粧をしだした」と言われるようになったそうだ。いまの子どもたちにとって危険だと思われるような渓流も、ホタル、ニジマス、棚田など癒しの宝庫であり、いまはワサビナやニラ、ヤマメの放流などに挑戦しているという勝目さんの目は輝いていた。印象に残ったことは、行政は補助金を出しておらず、事務局機能の提供をしているのみということだ。ガイドツアーに同行し、質疑を記録し、まとめてフィードバックする。かつての担当であった市役所の冨吉さんは、自分の仕事はそれだけだと言う。地域の人々自身が「ここに暮らす自信と誇り」をもって生きていくために、行政は何を手伝えばいいのかを考えることが大切であり、頭石の場合は、地域の人々と来訪者の間の歯車になって間を取り持つことであった。
 「ボランティアでやっている、という感覚ではだめで、行政よりも一歩前を歩くという気概が必要。そうすると行政も加勢してくれる」。最後に勝目さんがおっしゃった言葉が印象的だった。

 

【吉井正澄元水俣市長の講話】

水俣61970年代から市議会議員を5期、そして1994年に市長に就任し、2期8年を務められた吉井正澄氏。市長就任後すぐ、水俣病の補償問題の早期解決のために奔走し、水俣病犠牲者慰霊式の式辞で市としての謝罪を行い、翌年には村山内閣のもと政治解決をみた。

それにいたるプロセスでは、多元的に分裂していた患者団体等との対話を繰り返し行った。「もやい直し」と呼ぶ立場や価値観の異なる市民間の対立を繕っていく取り組みがあった。お互いに譲歩を求めるというのではなく、対話の先に新しい価値観を生み出し、関係の質的変化を求めるものであり、その対話を可能にする場や機会を提供するのが行政の役割だと吉井氏は言う。もっとも意見が異なる人のところに真っ先に言って膝づめで話をする。怖くないのかとの問いに、「もちろん怖い。そこが本丸だからです」と笑いながら答えて下さった。人間味をもった人が、時を超えて説得力をもつとはこのことだと感じた。
 水俣病の政治的解決の後も、環境基本条例の制定、第5次総合計画の策定や環境マイスター制度などをとおして水俣市独自の環境都市づくりを行った。市民主導であることは徹底していた。しかしなかでも印象に残ったのは、「市民の声ばかりを集めても進まない。行政が現実・現物・現場を見つめて進めることが大切。ただ独善的で市民の意見とかい離するリスクがあるから、住民が育てた政策だというものにするために、まずは徹底して聞くことからはじめる、そして市民が面白い、楽しい、興味があるなど、いろんなメニューを織り交ぜながら一緒に進めていく」という、行政の役割を説く言葉だった。

 

【まとめ】
 水俣市で出会った人々は、それぞれが「住民と行政のあるべき関係性」を自分の言葉で説明されていた。
笹原さんの「やっている人間を認めてやるのが行政の仕事」、勝目さんの「行政よりも一歩前を歩く」、冨吉さんの「大きな歯車と歯車がかみ合うために必要な小さな歯車」、市職員の松木幸蔵さんの「巻き込まれる糸を見つけに人に会いに行く」、同じく市職員の元村仁美さんの「みんながやりたいことをつかまえる、自分がやりたいことをやるんじゃない」、吉井元市長の「まず聞く、反論はしない、間違いはその人が議論の中で自分で気づいていく」など。
どれも机上の言葉ではなく、市民と行政が一緒に取り組みを進めていく中で、失敗や手ごたえを繰り返してきた末に体得した、手触りのある言葉ばかりだった。
「ぐずぐず言わずに、やれ!」という吉本氏の檄が飛んできた気がした。

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