2016年度のプログラムが終了しました(更新日:2016年12月21日)

地方自治、住民自治を考える

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講師:前田隆夫(西日本新聞社東京支社 報道部次長)
2016年6月26日(日)9:00~12:00
文責:週末学校事務局 鈴木隆

◆講義のねらい

 前田氏今年3月までに、全国のほとんどの自治体が近未来を見据えた人口ビジョンと地方版総合戦略を策定し、国に提出しました。「地方創生」を唱える国が策定方法に細かい注文をつけ、締め切りを設定し、優れた自治体には交付金を上乗せする。どこかおかしいと思いませんか。地域の将来像は、国に言われて慌てて描くものではありません。国が推奨する方法とは違っても、住民が合意形成をしながら自分の手で描く将来像の方が、希望も責任も持てるような気がします。

 地方自治の起点は、主権者である一人ひとりの住民です。自治体には、住民自治が背骨のように貫かれているはずです。その意味や大切さを字面だけで理解するのではなく、皆さんの職場や仕事に照らし合わせて、具体的に考えることが重要です。
 今日の人口減少や地方分権は地方自治に大きな影響を及ぼします。自治体職員として、日ごろ当たり前に使っている言葉や慣行、常識を疑い、そもそも論から始めましょう。

◆講義内容

● 初日講義の振り返り

(冒頭、全参加者が、北海道ニセコ町、埼玉県和光市、北海道栗山町の実践についての初日の講義を聴いて、最も印象に残ったことは何かを述べた)

初日の講義から様々な事例を学んだと思うが、「いい話を聞いた」とか「勉強になりました」で満足して終わらせては、自分も、地域も変わっていかない。自分が印象に残ったことがあれば、「では、私はどうするか」、「自分の地域でどう実践するか」、と自分の問題に置き換えて考えることが必要で、「いい話」を「できるきっかけ」にして欲しい。

また、3つの実践例に共通する、「普遍的な理念」は何だったろうか?3つの自治体に共通するものが必ずあるはず。それが、この講義のテーマである、住民自治の本質・哲学・理念に関わってくる。

● ニセコ町の取り組みについて

自分自身の印象に残ったこととして、ニセコ町の事例を取り上げてみたい。

片山町長から、「私たちに隠し事はない」という話があった。情報公開がこのような表現もできるというのが、印象に残った。情報公開を徹底することで町の情報を共有する、予算編成過程を公開し透明化するといったことが、皆さんの自治体で来年度からできるか?実際は、多くの自治体で実施されている。すでに決まったことを伝えるのではなく、決まるまでの過程を公開していることの意義が大きい。すでに決まったことについても、「もっと知りたいことしの仕事」(ニセコ町予算説明書)という小冊子を全戸配布することで、公開を徹底している。

そもそも、情報の共有はなぜ大切なのか?自治体が「たまたま」管理しているに過ぎない情報が、主権者である住民のものだからではないのか?そういう意味では、行政が情報公開に「努める」という表現は正しくないのかもしれない。

●住民自治のトライアングル

 住民自治のトライアングル

 

主権者である住民が、投票によって、代行執行者としての首長と議会を選ぶ。住民・首長・議会のトライアングルにおいて行政職員としての立場、役割は何なのか、を改めて考えてもらいたい。答えはここでは出さないが、行政職員の給料は住民の税金でまかなわれており、公権力の行使も住民から委託されているものであることは忘れないでほしい。

● 住民(市民)自治とは

(市民と住民を厳密に違うものとして定義する人もいるが、週末学校においては、ほぼ同義とする)

そもそも、「住民自治」とは何だろうか?「住民自治」とは、福嶋浩彦氏の著書『市民自治』によれば、下記のように定義される。

①市民自治とは、地域づくりの理念や方向性を市民自らが決め、市民自らの手で地域をつくっていくということ。

②まちづくりは、一人ひとりの市民の、こんなふうに生きたい、こんな生活をしたい、こんなまちにしたいという「想い」から出発するのです。

③「想い」は一人ひとりみんな異なるので、市民、議員、首長、行政職員、あらゆる人たちの対話によって合意をつくり出し、具体的な政策を決めていかねばなりません。

補足すると、絶対に押さえなければならないポイントは下記の通りである:

①地域づくりのすべての起点が住民であること。

②住民を漠然とした概念で捉えるのではなく、住民一人ひとりの、自分たちのまちがこうなってほしい、あるいは、そのために自分はこうしたい、という「想い」が出発点であること。

③さまざまな、一人ひとりの「想い」を行動につなげるために、合意形成が必要であること。合意形成は、手間暇はかかるかもしれないが、対話によって作り出すものであること。

当たり前のことかもしれないが、皆さんが従事している事業で、これらの理念を実現できているだろうか。特に合意形成は対話によってできているだろうか。首長や議会に意思決定をゆだねるのは簡単だが、首長や議会は、どの程度住民の声を聴いているだろうか。皆さんはどの程度、住民一人ひとりの顔を思い浮かべながら、仕事をしているだろうか。

③については、福嶋浩彦氏は、「自治の力とは意見や利害が対立する人と合意する力」と説明している。

片山ニセコ町長の講義の中で、町長がニセコ町のごみ処理の担当者だったころ、新しいごみ処理場の建設に反対する住民の方がたくさんいて、その方たちから強い責めを受けたというエピソードがあった。町はすべての情報を公開し、反対派の住民の方と正面から話し合いを行い、その結果、反対派の住民が納得はしなかったが、ごみ処理場の新設については合意形成をすることができた。

講義風景4

また中尾氏が議会事務局長を務めていた栗山町で、老朽化した公民館の存廃について、議会が詳細な調査を行った。議会は公民館を廃止すべきという結論を出し、存続を求めていた住民に細かく丁寧に説明を行った。住民は、存続を希望するという意見は変えないが、議会の出した結論に同意することとなった(これは、議会基本条例や、市町村合併についての対話における議会と住民の信頼関係の醸成があったからこそできた話で、どの自治体でも出来ることではない)。

意見の異なる住民と対話を行って、納得は得られないまでも合意形成にいたった2つの例を紹介した。「意見や利害が対立する人と合意する力」は行政職員としての皆さんと住民との間でも重要な力ではないだろうか。

初日の講義で説明のあった、ニセコ町の「まちづくり基本条例」、和光市の「健全財政条例」、栗山町の「議会基本条例」を支える共通の柱は、「情報公開」「住民参加」である。主権者である住民を最上位に置いたうえで、行政としてどうするか、議会としてどうするか、が明記されている。

皆さんの自治体で、「住民自治」をどう表現するか、どう実践するか、を長い時間をかけてしっかりと考えてほしい。「住民自治」は、週末学校においても、柱であり、礎でもある。これからプログラムを進めるうえで、何度も立ち返ってほしい。

●補完性の原理

「住民自治」の「住民が起点である」という考え方から、地方自治の基本的な考え方として、「補完性の原理」(あるいは近接性の原理)が導かれる。すなわち、住民が労力や資源を持ち寄って共同体を営むというのは行政組織が確立する以前から行われていた。行政組織が確立した後は、住民や共同体ではできないことを税金という仕組みを通して、行政組織に委託するようになった。担い手は原則として、住民に一番近い市区町村であり、市区町村ができないことは補完して都道府県が、都道府県が担えないことを補完して国が実行するのである。

この原理の下では、行政がやりたいことを、住民の意思に反して行うということはありえないはずである。

● 地方分権

住民自治と密接に関係している地方分権の流れについて、簡単に振り返ってみたい。住民自治の理念からは、地方分権はもっと推し進めるべきものである。

明治維新以来、中央集権体制が長く続いた日本でも、高度経済成長が一段落した1980年代から、地方分権の動きがじわじわと広がっていった。国会の中でも、革新自治体の中でも、議論が起きていき、2000年4月に地方分権一括法が施行された。

 地方分権ポスター講義風景1

1928年の第1回普通選挙における立憲政友会のポスターにて、中央集権が市区町村を衰えさせるものと批判され、地方分権が市区町村の発展のために必要だと訴えられている。それから80年以上経って社会情勢が大きく変わり、地方分権一括法が施行されたにもかかわらず、特に財源について、市区町村が国・都道府県に依存する状況は大きく変わっていないのではないか。

2000年の地方分権一括法の施行により、国、都道府県、市町村の上下主従の関係が見直され、立場の上では対等とされた(上下主従の関係を象徴する機関委任事務も廃止され自治事務と法定受託事務となった)。

 地方分権_図

だが、実質的に上下主従の関係は解消されておらず、国からの過剰な関与は続くという矛盾した分権が日本では続いている。住民自治の理念からは、住民が起点であるはずなのに、そこから一番遠い国からの過剰な関与が残るというのは本来あってはならないことである。

● 「地方創生」を考える

とはいいながらも、国が地方行政に関与しているケースが今も多く残っているのが現状である。2014年12月に発表された、政府の「まち・ひと・しごと創生総合戦略」(「地方創生」)もその一つである。

【目的】
①東京一極集中の是正
②若い世代の就労、結婚、子育て希望の実現
③地域の特性に即した地域課題の解決

【基本目標】
①2020年までの5年間累計で、地方に30万人分の若者向け雇用を創出
②2020年の地方・東京圏の転出入を均衡
 (東京→地方の転出4万人増、地方→東京圏の転入6万人減)
③2020年の結婚希望実績を80%、夫婦子ども数予定実績指標95%に
④時代にあった地域をつくり、安心な暮らしを守るために、地域と地域を連携する(小さな拠点の整備、地域連携の推進)

【交付金による支援内容】
・自治体の自主的・主体的な取り組みで先導的なものを支援
・ KPIの設定とPDCAサイクルを組み込み、従来の「縦割り」事業を超えた取り組みを支援
・ しごとの創生に重点 (ITを活用した中小企業の生産性向上、観光振興、若者雇用、ワークライフバランス、コンパクトシティー…)

【交付金交付の経緯】

交付金交付の経緯

自治体に対しては、交付金交付の前提として、2016年3月までという締切を決められ、地方版総合戦略の提出が求められ、結果として、4自治体を除いて提出があった。「総合戦略の作り方」というご丁寧な解説DVDもある。

「地方創生」における各自治体の総合戦略は、政府に締切りを決められた短い期間の中で、作り方まで指導され、本来主体となるはずの地元住民の意見はあまり反映されているとも思えない。これまでに述べてきた住民自治の理念からは明らかにおかしいと思うのだが、地方からの異論・反論も上がっていない。いったい誰のための政策なのだろうか。

「住民参加」のあり方としては、自治体が決めたことを実行する段階で、様々な住民参加を促すのも良いが、そもそも決めるまでの過程にできるだけ住民が参加できるようにすべきではないのか。時間はかかると思うが、その過程に参画したことで、住民の自治体や事業への責任感や愛着が高まると考える。

各自治体が、いったんは作った総合戦略ではあるが、その見直しの機会に、できるだけ住民が参加できるよう、皆さんの行動に期待したい。

● 「民」と「官」の関係

地方と国の関係がゆっくりだが変わってきているのに加え、「民」と「官」の関係についての理解も少しずつ変わってきている。以前は公共性のあることは行政が行う(公=「官」)、それ以外のことは民間が行う(私=「民」)という構図が当たり前のように考えられていたが、公共性のあることは、多様な「民」と「官」とが対等・協力関係のもとで行うのが本来であるというように理解が変わってきている。

 

「民」にも多様性があるので、ここで整理しておきたい。『市民自治』によれば、市民と行政の連携においては、住民には「主権者市民」(選挙の時は主権者となって投票する)、「事業者市民」(週末にボランディアとして地域活動をしたり、事業受託者として仕事をする)、「受益者市民」(さまざまなサービスを受けとる)の3つの立場がある。「民」と「官」が対等・協力関係のもとで公共性のあることを行う、という場合には、「民」というのは「事業者市民」のことを意味していることに留意してほしい。

●最後に:常識を疑う

これまで述べてきたとおり、行政職員である皆さんと住民との対話のプロセスが重要になってくる。一人ひとりの「想い」を引き出し、異なる意見の中での合意形成を実現するには、まず皆さんが、自分たちの常識を疑い、見直す必要がある。

今までの仕事のやり方、慣習、言葉遣い、役所の常識で住民と対話できるだろうか?

ここまで何度も出てきた「地方創生」「総合戦略」、あるいは「地域活性化」「少子高齢化」・・・これらの言葉も、使うなとは言わないが、具体的に説明できないなら使わないほうが良い。意味の曖昧な「マジックワード」を捨て、きちんと相手に伝わる言葉を行政が使うことで初めて、住民ときちんとした対話が促されるはずだ。

 

◆参加者所見

福田さん1

自分が仕事をする中で、仕事に対する考え方が補完性の原理とは真逆だったことに気付かされた。国や県が示した方向性に沿っていれば問題ないと考えていて、仕事を思い返すと、住民に対しても「県(国)が決めたことだから」と話すことが多かったと思う。しかし、本来のあり方は補完性の原理に基づくもので、住民ができないことを行政が担うという意識を明確に持って仕事をしなければならないと感じた。
また、マジックワードを数多く使っていたと痛感した。意識はなかったが、自然に本質を理解しないまま、“行政マンっぽい”言葉を用いて住民と接していたケースが多くあったと思う。住民参加を促すため、自分自身が言葉の意味を理解し、住民と情報を共有すべきだと感じた。

(鹿児島県天城町  福田光宏)

 

廣木さん1行政職員としての立場、役割といったものを今一度考え直すきっかけとなった。よく住民からクレーム、意見などを受け、地域課題に対面した際に、住民、外部関係者からまず真っ先にでる言葉が、「これは役所がやるべきだ」と。つまり、「市民が困っているのだから、役所が助けるのは当然のことだ」と住民、関係者が当たり前のように思っていることと同時に、行政も疑問を持っていないことに違和感を感じている。
 全てにおいて当てはまることではないが、住民による要望に対し、地域の課題ととらえ解決策を考えていくことは当たり前としても、その過程において対話を重ねることで合意形成を行ったり、果たして行政がやらなければならないことなのかと疑問に思う、一歩立ち止まって考えてみる、といったことがなかったように思える。
 本講義にて、住民自治の出発点は住民一人ひとりの想いからであること、そしてその想いを様々な人たちが対話し合意形成を図っていく中でまちがつくられていくと学んだ。まちづくりの役割の一部を担う行政職員にとって、住民の想いをくみ取っているのか。「国や県がこう言っているから」、「市長の指示だから」、「前からこうやっていたから」といった一方的な説明ではなく、住民と向き合って地域課題と対面しているかどうか。なによりまずは住民と対話すること、それが全然足りてないことに気付かされた。

(茨城県高萩市  廣木孝彦)