2016年度のプログラムが終了しました(更新日:2016年12月21日)

「住民自治と自治体改革」

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講師:片山健也(北海道ニセコ町長)
講義日:2016年6月25日(土)
文責:週末学校事務局 稲垣亜希子

◆本講義の目的

127_R地方自治の本質は「住民自治」にある。では、住民自治とは何か。

片山氏は、戦後右肩上がりの経済成長の中で、行政は地域の相互扶助の力を奪ってしまったと主張する。そして、行政が担ってきた仕事を“解体”して、本来やるべき主体に返し、次の社会に引き渡していく仕組みを作ることが、これからの行政の役割だと言う。

ニセコ町では、徹底的に「情報共有」と「住民参加」にこだわり、実践を積み重ねている。職員は、住民の日々の暮らし・意思・価値観を町の政策に反映させ、その熟度を高めるべく、日々住民とのやりとりの中にいる。日本初の自治基本条例である「まちづくり基本条例」があるから、住民自治の盛んなまちになったわけではないのである。

かつては職員として組織の疲弊と戦い、今は町長として住民自治にこだわり続ける片山氏に、住民自治のあり方を聞き、行政の役割を改めて考える機会としたい。

 

◆講義内容

1.住民自治社会をめざして

私たちは住民自治社会をつくりたいと考え、既に20年以上ニセコ町での実践を重ねてきている。戦後、わが国は経済成長を遂げ、豊かな社会をつくってきた。その過程で、もともとは住民と共に担っていた公共課題に関してはその多くを行政が請け負うようになり、地方交付税が増えたことで、行政の仕事は肥大化してきた。「行政は最大のサービス産業」というが、私はこの考え方に疑問を持っている。「サービス」とは、「支払う費用に対する対価を求める」ものであり、この言葉は本来の行政の仕事にふさわしくないと私は考える。たとえば保育について考えてみよう。そもそもなぜ行政が保育をするのか。それは社会的要請に基づき、社会全体で子育てするためである。果たしてこれは「サービス」なのだろうか。

私たち行政のミッションは、住民自ら解決できない困りごと(公共課題)を、住民から預かる税金を使って解決し、住民が安心して暮らす社会をつくることである。公共財である税金をどう使うか、みんなで話して決めていく。それが本来の住民自治社会である。それを私たちのまちで目指そうと舵を切ったのが、既に20年以上前のことである。

平成元年に実施された「ふるさと創生事業」は、地域振興を目的に、国が各市町村に1億円ずつ交付した。当時は全国に3,350くらいの自治体があり、それぞれに1億円の使途を考えたのである。数年かけて徹底的に話し合ってじっくりと検討した自治体もあれば、首長が即断即決した自治体もあったと聞いている。人材育成などに投資した自治体は、当時の1億円が今でも活きている一方で、大きな施設やモニュメントをつくったことで、今でも維持費が年々かさんでいる自治体も少なくない。既に30年近く前のことだが、自分たちでお金の使い道を考え、決めていく過程がとても重要だということにみんなが気づく契機となった。わが国の自治に対する気づきの原点だったと考えている。

 

2.ニセコ町での実践

037_R2-1.情報公開から情報共有へ

ニセコ町役場では、作成される書類や管理職会議を含めたすべての会議を公開している(当然のことながらプライバシーに該当するものなどはこれに該当しない)。私たち行政の仕事は、住民の税金を使って公共課題を解決する仕事であり、公開できない情報は一切ない。そもそも情報はすべて住民のものである。

● まちづくり町民講座:徹底した情報公開は信頼につながる
平成8年より「まちづくり町民講座」を実施している。これは、役場職員(主に課長や係長)が講師となり、自身が担当している分野の現状や課題を住民に対してプレゼンテーションし、その後住民と共にその課題についてディスカッションをするものである。共に公共課題を解決するために、まずは行政が持っている情報をすべて住民と共有し、同じ土俵の上で対話をすることが狙いである。ともすると行政は、情報の優位性を担保したまま住民と対話をしがちで、結局は行政の都合で物事を進めていないだろうか。

住民の前で自身の事業の概要と課題を説明し、その上で自身の考えを表明することは、すなわち住民の評価を直接受けることになり、職員には非常なプレッシャーがかかる。当然ながら当初は役場内ですさまじい反対が起きた。反対の理由はこうである。「行政職員はあくまで首長の補助機関である。首長の命を受けて仕事をしている立場にあり、決定権はない。住民との対話の際に行政としての判断を迫られても補助機関である私たちには答えることはできず、常に役場に持ち帰って首長の判断を仰がねばならない。それは住民にフラストレーションがたまることになりよくない。だから住民との対話の場には首長が出てきて、必要に応じてその場で政策決定をするべきだ」。

もっともな意見に聞こえなくもないが、行政職員は、住民が安心して暮らせる社会をつくることに全力で取り組むべく、自身の担当する事業に対して問題意識を持ち、関連する制度や予算等をしっかりと勉強し、常に自治のプロとして意見を持っていなければならない。絶えず誰かの判断を仰ぐような職員は不要である。

さて、いざ開始してみると、今度は住民からの行政への不平不満が噴出し、「まちづくり町民講座」は行政批判の場となってしまった。住民の行政に対する不信は根深く、1年近く批判の嵐は続いた。しかし根気強く「まちづくり町民講座」を開催し、徹底して行政の持つ情報を住民と共有し続けたことで、徐々に不信感は信頼へと変わっていったと感じている。その結果は、住民からのフィードバック(毎回のアンケート)に覿面に表れた。専門的な知見を持つ住民の存在に気づき、その後関連の審議会や委員会に加わっていただき、より質の良い事業を実施できたことも多くある。また当然のことながら職員のレベルアップにも寄与している。職員一人一人が自治のプロとして、課を超えて意見を言い合えるようになった。時には私の意見も即座に否決されてしまうほどである。

● 一般廃棄物最終処分場の建設:民主主義は納得のプロセス
ニセコ町には平成14年より使用を開始している一般廃棄物最終処分場がある。この施設の建設当時、私は担当課長として建設候補地の選定、建設地の決定、環境影響評価などを行った。ちょうどダイオキシンなどによる大気汚染がニュースを賑わせていた時代だったこともあり、いわゆる「迷惑施設」の建設とあって、当初は住民による激しい反対運動が起きた。しかし私は、この施設がこれからのニセコ町にとって必要なものであると信じ、共に良いものをつくろうと、一切の隠し事はせず、徹底して住民と情報を共有し、対話を重ねた。会議録等の公式文書に限らず、事業者へのファックスや電話を受けたメモ紙まですべてを公開した。そうしたことが逆に些細な誤解を生むことも多く、反対運動が更に加速してしまったこともあった。それでも私は、反対する方々の不安を払拭するのは、何も隠さない真摯な取り組み以外にないと確信し、徹底的な情報公開を継続しながら住民との話し合いを重ねた。その結果、「役場が何かを隠して恣意的に進めているのではないことがわかった。私たちは施設の建設をやむを得ないと思うに至った。いい廃棄物最終処分場を作ってほしい」との合意を得ることができた。その後も、施設の設計図を作成する段階からすべての工程を公開して、多くの住民に施設建設のプロセスに加わっていただいた。

この一連のことを思い起こすと、私はいつもミュンヘン空港と成田空港の違いについて考える。同時期に国家戦略の下、空港開発を進めた両者だが、成田空港は着工を急ぐあまり反対派との遺恨を残し、開港から40年近く経った今も完成していない。一方ミュンヘン空港は着工計画を一旦凍結して、徹底した住民との話し合いを進めた結果、合意を得るまでには20年以上の年月がかかったが、着工再開からはわずか5年で開港することができた。納得を重ねて空港をつくったのである。

私たちのまちの廃棄物最終処分場の建設の際も、一切の情報を公開し、対話を重ねた。それでも涙を流して反対する方々もいた。でも最後には納得し、合意に至ることができた。民主主義とは納得のプロセスであることを私は自治の現場で学んできた。

その後、ごみの分別回収を進めようとした際は、住民グループが自ら環境対策の先進地である熊本県水俣市を訪れ、17種別21区分の徹底的なリサイクルを学んできた。そして分別説明会も行政と共に開催した。審議会にも多くの住民が加わっており、ニセコ町の環境政策は住民がつくってきたといって過言ではない。その多くが、廃棄物最終処分場を建設した当時、反対運動に熱心だった方々である。行政がすべてをさらけ出すことで、住民は自らできることをやり始める。ニセコ町ではこのように少しずつ住民自治が促進している。

 

2-2.政策意思形成過程への住民参加

067_R行政は、住民自ら解決できない困りごとを、住民から預かる税金を使って解決する。その困りごとがすなわち公共課題であり、行政はその解決のために政策を策定し、実行する。解決策(政策)を策定する際には住民の多様な意見や価値観を取り入れて、その質を高めていくことが重要である。そして最終的には多数の意見や価値観による政策意思を最適化していく必要がある。

ある公共課題に関して、その解決策について住民との対話を重ね、3つの政策案が最後に残ったとする。住民の支持は案Aと案Bで意見が分かれており、担当課は案Cがよいと考えている場合、最後に決定するのは誰か。主権者は住民だから、アンケートを実施してその結果で決めればよいだろうか。そうではない。最後に政策意思を選択・決定をするのは、私たちが私たちの代表として選出した首長である。選挙で選んだということは、住民が一定の質を担保しているということなのである。首長は政策意思の決定をして、そのことへの説明責任を果たさねばならない。例え住民の大半が反対していたとしても、まちの将来のために異なる決断をしなければならないこともあるだろう。しかし首長は可能な限り多くの住民の合意を得られるよう、心を砕かねばならない。繰り返すが、民主主義は納得の仕組みなのである。

政策意思の決定過程をすべて公開することで、当然ながら首長の質と政治責任が明らかになっていく。また、課題がどのように解決されて行ったかがわかるようになるので、住民一人一人が議会や首長と同じ情報を持ち、三者は対等に議論をし、自らの責任と意思に基づき決定が行えるようになる。これが住民自治であり、この状態になってこそ民主主義が実現するのである。

 

2-3.「まちづくりの専門スタッフ」の育成

● 職員研修の充実:住民の幸福のために自らの頭で考える力
私はニセコ町役場に入職した当初より、職員研修の重要性を認識している。

以前勤めていた民間企業は、職員一人あたりに年間70万円の研修費用を用意していた。「社員の質が会社を決める。語学、経済、歴史などどのような分野であれ、しっかりと語り、営業行為が行える人間となることが、会社の質につながる」という考え方を学んだ。一方で、当時の役場は、「前例踏襲が大事」「継続して同じことをやっていることが信頼される(=改革は不要)」「民間は失敗しても良いが、行政には失敗は許されない。失敗したときのリスクを考えろ(=何もするな)」という考え方が一般的であり、職員の研修に予算を割くことは無駄であるとの認識から研修費はほぼなかった。

そこで総務課に在籍していた当時、1,600万円の研修費を議会に提案した。ニセコ町のような小さいまちには大変なインパクトある金額であったため、議会は蜂の巣をつついたような大騒ぎになり、内外から激しい反対がおきた。しかし私には、職員の質を上げなければならないとの強い想いがあった。

その少し前、大規模な農業構造改善を行うべく、8、9割が補助金という政策を国が打ち出したことがあった。農協と役場職員はタッグを組んで、その制度の利用を積極的に農家に勧めて回り、多くの農家が補助金を申請した。しかし結果的に巨額の負債を負うことになり、離農に追いやられたり、なかには自殺者まで出てしまったことがあった。そこまで農家を追い詰めたのは誰なのか。農家だけの責任なのか。私たち役場の職員が、一律に一つの制度を勧めるのではなく、農家一軒一軒の実情を見極め、それに見合った制度を勧めるべきだったのではないか。当時の私たちには状況を見て判断し、物事を洞察する力がなかった。その結果、ニセコ町の離農が進む結果となってしまったのである。職員一人一人が、住民の幸福のために、自らの頭で考える力をつける必要がある。私はそう痛感していたのである。

こうした訴えが実り、その後5年ほど1,600万円前後の予算を研修費に充てることができ、職員の質向上に投資することができた。特に効果があったと考えているのが、職員が200万円を自由に使える研修制度である。この研修制度を提案した当初は、使途が不明瞭なお金を渡すなどとんでもない、とこれまた多くの非難を浴びた。しかし私は、職員が研修内容を自ら考えること自体が、自由で創造的な発想を促すことになると考えていた。例えば保育課の担当者が、日々の仕事とは直接関係のないまちづくりの先進事例を視察に行ってもかまわない。世界には様々な分野における先進地があり、まちの外に出て色々な人に会い、自らの常識とは異なるものを見ることは貴重な機会であり、自分のまちのことを考えるヒントを得ることができるし、すぐに何かが変わらなくても、将来的なまちづくりに必ず活きてくると考えたのである。

ニセコ町では現在でも年間600万円程度を職員の研修費に充てている。大分県由布市や中央省庁との職員交流や、オーストラリアのシドニー市への2年間の職員派遣なども行っている。国内外の各地との交流を行うことで、多様な価値観が組織の中に生まれてきている。地域も組織も、多様性があればあるほど豊かになっていくと感じている。

● 町民総合窓口課の新設:住民の立場に立って行動するための意識改革
役場を訪れた住民をたらいまわしにする行政の縦割り体質を解消することを目的に、町民総合窓口課という課をつくったことがある。何か困りごとがあってやってきている方々の痛みがわかって、相手の立場に立って考えることが行政職員の役割である。また、職員は住民からすれば「まちづくりの専門スタッフ」としてオールマイティでなければならないという問題意識の元、職員の意識改革も同時に行うことを目的に新しい課をつくったのである。具体的には、それまでの住民係と広報公聴係を統合し、窓口カウンターの一番近くの席にベテラン課長の席を置き、窓口対応をすることとした。役場職員は一定程度の年齢以上になると、行政の仕事全体のことが分かるようになっているので、役場を訪れた方の困りごとを解決するための担当課をすぐに判断することができると考えた。もし課をまたがる場合は、その担当課の職員たちを全員呼べば、その場でいっぺんに住民の困りごとは解決できることになる。たまたま担当者が不在であったとしても、町民総合窓口課の担当者が住民の方が納得できるよう最後までフォローをするよう徹底した。

職員一人一人が住民の立場に立って考え行動することができるようになれば、同課は不要となる。私は自ら異動し、一日も早く同課をなくすことをミッションに掲げた。当初の見込みよりは時間がかかったが、一定程度の目的を達成できたと判断し、9年後に同課は廃止した。

 

3.財政民主主義の確立

042_R3-1.自治の成り立ち

そもそも原始社会(ムラ社会)においては、みんなで集まって暮らし、みんなで道路や橋をつくり、壊れたらみんなで直し、そうやって集落の社会を維持してきた。集落が発展するにつれ、社会を担う役割が細分化し、それを一人一人が分担するようになっていった。みんなにとっての共通課題が発生した際には、それを解決するためにみんなでお金を出し合い、解決する人に委ねるようになった。これが税の起源であり、自治の根源である。行政の役割もここから見えてくる。

税は住民のものであり、どのように使うかをみんなで考えることが財政民主主義であり、これを確立していくことで豊かな住民自治社会が形成されていく。そもそもの自治の成り立ち、そこに絶えず思いを致しながら仕事をしていく必要ある。

3-2.ニセコ町の予算編成過程

行政は、税を納めた住民にその使途を説明する責任がある。現在ニセコ町では、担当課による予算要求から財政課や首長の査定まで、予算編成のすべての過程を公開している。そんなことをしたら住民の様々な要求に応えねばならないことになり、予算が膨大に膨らんでしまうのではないかと言った意見が聞かれるが、ニセコ町においては何も支障はないと考えている。ニセコ町の方法が絶対的に正しいとは言わないが、行政が持つ情報を公開して、住民と意見交換すると予算が膨大なものになってしまうという考えは、とんでもない間違いである。私たちはこれまで住民と対話を重ねてきているが、必ず最後に行きつく結論が一つだけある。それは子どもたちに借金を残さないということであり、将来を見据えたコスト分析等、住民の目はとてもシビアである。

3-3.「みんなのお金」という意識

老朽化したニセコ町民センターの修繕を計画したことがあった。国土交通省の社会資本整備総合交付金3億円を使って、いよいよ建設工事に着手をしようというタイミングで東日本大震災が起きた。「被災された方々の苦しみを考えたら、今そんなことをしている場合ではない。その交付金3億円はすべて被災地支援に回すべきである」との声が多くの住民から寄せられた。私は眠れない日を過ごしたが、結果的には計画通りに町民センターの修繕を行うことにした。国の財政制度上、仮に私たちが当該交付金を返納したところで、それが被災地の復興支援に回るわけではないことを説明し、ニセコ町の10年後、20年後の負担を考えながら苦渋の決断をしたのである。

ニセコ町の住民は国の金であろうが町の金であろうが、すべて私たち国民の税金だとの認識のもと、その使途について本当に効果があるのか、それをニセコ町でいま使っていいのか、というような議論を当たり前に行っている。

3-4.ふるさと納税の抱える問題

最近話題になっているふるさと納税は、自身が住民票登録をしていない別の自治体に寄付をすることで住民税が控除される仕組みになっているが、これには複数の問題があると考えている。

まず、本来税として納付されるものを寄付金として扱ってしまうことで、日本全体の税収が減ることになる。日本は世界最大の借金国であるのに、税収を減らすことが真っ当な政策なのか。

また、税の公平性も担保されていない。生活が苦しくて大変な人たちからも少額ずつでもきちんと納税していただき、住民の幸福のために税を使うというのが公共のあり方である。ニセコ町の税の徴収率は98~99%であるが、滞納者には毎月500円といった少額ずつでも分納をお願いして、税の公平性を担保するべく日々尽力している。その一方で、お金に余裕がある人が高額寄付し、納税を免れながら車やパソコンなどを返礼品として受け取っている状況はどこかおかしくないだろうか。

そもそも寄付に対して返礼品は必要なのだろうか。寄付というものは見返りを求めるものではなく、人と人とが互いを思いやりあう心なのだと思う。ニセコ町にも様々なNPOなどの非営利で公益のための活動を行う団体がある。そうした団体はこれまで善意による寄付によって活動をしてきたが、ふるさと納税の制度が開始されてから、急に寄付金が減り、活動がままならなくなってきていると聞く。民と官が共に公共を担う豊かな社会を、ふるさと納税制度は揺るがしているのではないだろうか。

ふるさと納税の当初の理念は、税制を通じて生まれ育ったふるさとに貢献しようという素晴らしいものであった(ニセコ町も同様の考えから、同制度が導入される前の平成16年にふるさとづくり寄付条例を制定している)。しかし現在の制度設計は多くの問題があるため、ふるさと納税のそもそもの理念をかなえるための仕組みを新たにつくるべく、現在研究を進めているのが「ふるさと住民票」(二重住民票)である。発想に至ったきっかけは、福島県飯館村の菅野村長の苦悩だった。同村は東日本大震災後、全村避難を余儀なくされ、住民は全国各地で避難生活を送っている。住民の暮らしを守りながら、村のアイデンティティや誇りなどを守れる制度をつくれないかと考えたのが「ふるさと住民票」なのである。 

 

4.自らの頭で考え行動する自治体職員になるために

● たった一人からまちは変えられるという信念
これまで自治体学会をはじめ、複数の学会に所属し、全国各地の様々な事例を学び、多くの実践者にお会いし学んできた。各地で活躍するキーパーソンに出会うと、自分の日々の悩みはなんてちっぽけなんだと痛感することも多かった。中でも大きな影響を受けたのは、福岡県柳川市役所職員であった広松伝氏(故人)である。今では柳川の代名詞でもある掘割(水路)をたった一人で守った同氏の人生は、すさまじい闘いの人生だったように思う。しかしたった一人からまちは変えられるということを、私は同氏から学んだ。当時感じていた孤独感はなくなり、「全国各地で頑張っている仲間がいる。私たち一人一人が日本を変えていくんだ」と思えるようになった。

●自分の名前で仕事をする
一般廃棄物最終処分場の建設を担当していた当時、私は担当課長として、すべて自分の名において仕事をした。反対運動が加速した時期には、私個人に対する誹謗中傷もあったが、町長や副町長の名前は一切使わなかった。住民もみな、すべて私自身との交渉をしに来られた。

住民が安心して暮らせる社会をつくることに全力で取り組むべく、常に自治のプロとしての自覚と責任を持って、自身の名前で仕事をすることが肝要である。そのためには自身の担当する事業に対して問題意識を持ち、関連する制度や予算等をしっかりと勉強する必要がある。

●現場から声を上げる
行政職員は住民の幸福のために働くのは当然のことだが、自分たちのまちのことだけに特化して仕事をしていればよいわけではない。現場での実践からのみ見える課題があるのだから、どんどん声をあげて制度や仕組みを変えていかねばならない。

平成22年に合併特例法と地方自治法の改正がセットで行われた際は、60あまりの市町村長から成る「提言・実践首長会」にて提案書を作成し、各委員会の委員長や総務省の幹部にも説明をしに行った。その結果、提案の約8割が改正法案に盛り込まれ、制度改正につながった。

また、夕張市が財政破綻した際は、同様のことを起こさないことが大切と考え、全国各地の有志十数人と共に、各地での研究会を重ね、財政分析等を行った。最終的には総務省からもプロジェクトチームに加わっていただき、研究の結果を財政再建法の成立に繋げることができた。

現場のことは現場でしかわからない。私たち首長も数々の勉強会に出席し、問題提起をしている。自治体職員も現場がある基礎自治体の強みを活かし、どんどん現場の声をあげていくべきである。

●覚悟を持つ
全国各地で子育て、福祉、環境エネルギー等の様々な分野において、これまでにない画期的な取り組みが行われている。これまでの前例踏襲、横並び、様子見といった“低位平準”から、それぞれの自治体が得意なところに注力し特色を持たせて突破口を開き、各地で“高位平準化”が進んでいけばよいと考えている。地方のことは地方で決めるという社会をどうつくっていくか、その覚悟は地方自治体側にかかっている。みなさん一人一人がどう主体的に行動していくのか、その覚悟が問われているのである。グローバル化やIT化が進んだ現在、世界で起きていることもすべて私たちの地域社会や経済と繋がっているのだから、視野を広げて国の制度や国際社会の動向等もしっかりと学びながら、どのように地域とそこに暮らす人たちにコミットしていくかを考え、仕事をしていこう。

●ぶれない「哲学」をつくりあげる
ニセコ町は観光地であり、必然的にごみが多い。そこで平成10年にニセコ町ごみ散乱防止に関する条例を提案して可決された。その翌年、熊本県水俣市を訪れ、吉井正澄市長(当時)にお会いする機会があった。水俣市は当時から環境先進地として名を馳せていたが、いわゆるポイ捨て条例がないことを疑問に思い、その理由を同氏に尋ねたところ、「ごみを捨てる行為は道徳に反する心の問題であり、条例や規制で縛れるものではない。水俣市は今や国内のみならず世界中から大勢の視察者を受けいれており、確かに捨てられるごみは多い。しかしそれ以上にそれを拾う住民が水俣市には大勢いる。その心が水俣のまちを美しくしている」との回答をいただき、頭を殴られたような衝撃を受けたと同時に、まちづくりには近視眼的にならずに先を見る「哲学」が必要であることを痛感した。

みなさんは日本改革のキーパーソンとして週末学校で学んでいる。半年間しっかりと学び、ぶれない「哲学」をつくりあげていってほしい。

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以上