
(国外視察)市民参加の精神を学んだ米国オレゴン州ポートランド視察
研修生一行は、シルバーウイークを利用して、9月19日(土)から9日間の日程でオレゴン州ポートランドを訪れた。以下は、「週末学校」の終盤に行われた米国オレゴン州ポートランド視察の報告である。
研修生一行は、シルバーウイークを利用して、9月19日(土)から9日間の日程でオレゴン州ポートランドを訪れた。以下は、「週末学校」の終盤に行われた米国オレゴン州ポートランド視察の報告である。
「公」を担うのは「官」と「民」両方です。さらにはっきりさせておきたいのは、「公」とはそもそも「市民の公」であって、「官の公」など存在しないということです。「市民の公」を、市民が自らいろいろな主体を作って担うこともあるし、市民が政府を作って官にやらせることもある、ということです。
「大切なものは何か」、そのことを考えてみましょう。GDPの上昇に比例して、車やテレビ、携帯電話等が1人1台となり、便利かつ快適になりました。しかし、国も地方も借金は増え、年金会計等は大きな不安要因となっています。日本人はこれまで、経済成長や地域開発こそ幸せに至る道と信じ、一生懸命に働いてきました。しかしその結果、果たして私たちは幸せになったのでしょうか。
行政が住民に対して提供するものは何でしょうか。一言で言うと、公益・公共財などと言われるものです。法律家の定義では不特定多数の人々にとっての利益ということになります。この不特定多数とは誰でしょうか。単なる人数の多少ではありません。それがある特定の団体や組織のように枠で囲われておらず、オープンなものであれば不特定多数と言え、その人たちにとって、必要なもの、役に立つことが公益・公共財ということになると、私は思います。
現代における「官」とは行政に携わる公務員や、立法府に属する政治家などと認識されている。しかしわが国の歴史を紐解くと、その概念とは必ずしも 一致しない史実が明らかとなる。